第213話 ホットココアとラジオの夜(オネエさんと恋人)
「はい、どーぞ」
コトン、と目の前に置かれたのは、ホットココア入りのマグカップだった。
白くて、ころんとした見た目をしている。
カーテンを閉め切った窓の外からは、雨の音。
部屋の中では、ヴォリュームを絞ったラジオの音。
オレンジ色の照明は、温かに部屋を照らしている。
「……いただきます」
ほかほかと白い湯気が顔に当たる。
甘い香り。ぷかぷか浮いている白とピンクのマシュマロ二つ。
息を吹きかけて、ひと口飲む。
熱と甘さが、じん、と舌を痺れさせる。
目の前の彼……ではなく、彼女は、だらんとしたTシャツワンピースを身にまとっている。
ここ最近の、彼女お気に入りの部屋着だ。
彼女もまた同じくココアを啜って、ぼんやりとラジオに耳を傾けている。
家に帰るとすぐに手洗いうがい、着替えをすませる。けれど、メイクは寝る直前まで保持。それが、いつもの彼女だった。
今日もご多分に漏れず。
すっぴんでも気にしないのに。俺は、すっぴんも好きなんだけど。
恋人の欲目で、可愛く見えるし。
前にそう言ったら、彼女は「欲目って言っちゃってんのがムカつくの」と言って軽く蹴って来たけれど。
俺は、ぼーっとしたまま彼女を見つめた。
彼女は俺を見ず、ただラジオの方へ視線をやって頬杖をついている。
そうして、ただ漫然と時間を過ごして、しばらく。
「……何も聞かないんだね」
「聞いて欲しいなら、聞くけど」
ラジオ番組が終わりを告げるのをバックに問えば、彼女が静かに言った。
ココアは、カップの半分まで減っている。
「ううん。今は、このままで」
「そう」
彼女はうなずくと、またラジオの方へ視線を戻した。
せっかくのデートの日なのに、テンションの低い俺を彼女は怒らず、そのまま真っ直ぐ自分の部屋へ連れ帰った。
そして、こうしてココアを振る舞って静かに一緒に居てくれる。
「どうして、カトリーヌは何も聞かないの?」
「……昔ね」
彼女は、ココアを一口飲んで言った。
「私がよく遊びに行っていたお家があるんだけど。そこのお兄さんたちは、私が落ち込んでても、特に何か聞き出したりはしなかったのよね。こっちが話したら、聞いてくれたけど。その中でも、一人のお兄さんは、本当に何も言わず、ココアを作って出すだけなの。でもずっと近くには居てくれて。……今日のアナタは、あの日の私に似てるなあって思ったから」
お兄さんを真似してみたの。
カトリーヌは言った。
ちょっと懐かしそうに遠くを見る眼差しで。
「……その人のこと、好きだった?」
「やだ、なぁに。嫉妬?」
カトリーヌが、小首を傾げて可笑しそうに聞く。
「違うけど」
嘘。ちょっとやきもち。
「好きよ。でも、恋とかそういうのではない憧れで、何ていうのかしらね。お兄ちゃんに対して、みたいな……先を歩く人への尊敬と親愛、みたいな感じかしら」
「今でも、会ってるの?」
「いいえ」
彼女は首を横へと振った。
「子どもの頃に、会ったきり。……今どこで何をしているのかしらね。や、知らないことも無いけど、でもそれはあの人の『仕事』ってだけだしね。あの人自身のことは、もう何も知らないわ」
「?」
カトリーヌは、ハンガーラックの方を見ながら言う。
そこには、彼女が今日着ていた黄色のワンピースがかけられていた。
「私のこと、覚えてんのかしら」
ほんの少しだけ、寂しそうに彼女が言うから。
「覚えてるよ」
俺は、無責任だけどそう言った。
「きっと、覚えてる」
「……ありがと」
彼女の右手を、そっと包み込む。すると、俺の手の上から彼女の左手が同じように包み返してくれた。
「ふふっ。アナタを慰めるつもりが、慰められちゃった」
「カトリーヌのお蔭で、心が軽くなったよ」
「ホント?」
「ホント」
顔を見合わせて笑い合う。
俺を覆っていた靄はほとんど晴れて、今は重ね合った手の温もりが、ただただココアみたいに甘かった。
END.
カトリーヌさんはこちらの(https://kakuyomu.jp/works/16816452220371917465/episodes/16816927862859376476)。
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