第158話 午後三時のレストラン~魔法のタリアテッレ~(老紳士と兄妹)
※あまり関係ないけれど、今より少し未来の話です
うちのレストランは、正午から始まって、午後四時に終わる。そして、午後七時から再開して、午後十一時に終わる。
他のレストランと比べてちょっと時間がズレているのだ。
だから、午後三時でもうちには新しいお客さんが入って来る。ラストオーダーは、午後三時半。
「いらっしゃいませ」
入って来たのは、綺麗な
スーツも帽子も古そうではあったが、綺麗に整えられており、飴色のステッキも、使い込まれているからこその深みがあった。
全体的に、品の良い方だった。
(……おや?)
そんな上品な知り合いなんて居ないはずなのに、私はその人に何処か懐かしいものを覚えた。
遠い昔に、会ったことがあるような気さえした。
私が動き出す前に、店長である兄がサッと厨房兼カウンターから出て来てその人を案内した。
その人の佇まいに自然と身体が動かされた。
そんな感じだった。
先ほど最後のお客さんが帰ったところで、店内には私たち以外誰もいなかった。
「この店は昔、神戸になかったかね……?」
その人は、椅子に座るなりそう言った。
ゆったりとしているテーブル席で。
兄が、ハッとした顔になった。
「はい。親父の代までは神戸の元町の方で……俺の代から、こっちでやらせてもらってます」
「ああ、なるほど。……私は昔、この店に亡くなった家内と来たことがあってね」
「! 本当ですか」
「君の、たぶんおじいさまの代だと思うんだけど」
この店の初代店長。
私たちのおじいちゃん。
今は隠居して、神戸のまちで静かに暮らしている。
「ここのトマトクリームのタリアテッレが魔法のように美味しいって、家内がよく言っていたんだよ」
「そうなんですか! ありがとうございます!」
ぱああ、と兄の顔が輝いた。
兄の直接の師匠は、留学先のアレッサンドロさんや父かも知れないが、彼の一番尊敬する人はいつだって祖父だった。
「祖父にはまだまだ及びませんが、今もトマトクリームのタリアテッレはうちのおススメの一品です」
まだタリアテッレなんてパスタの種類が、一般的でなかったころから出していたメニュー。最初は、きしめんパスタという注釈をつけていたらしい。
「では、そちらを頂こうかな」
「ありがとうございます!」
兄は、いそいそとカウンターの中、厨房の方へと入って行った。
「あの……」
私は、水を運ぶついでに、恐る恐るその人に話しかけた。
小さな声で。
奥まったこの席の会話は、おそらく兄の耳には届かないだろう。
「何かな?」
「……もしかして、
覚えがあるのは、『見』覚えの方じゃない。
「祖父が……この店の初代店長が、金塊強奪事件の濡れ衣をかぶせられそうになったのを見事助けて下さったという……」
『聞き』覚えの方だ。
「驚いたな。君たちのおじいさまは、そこまでお話されていたのか」
私と店長が
「いえ、亡くなった祖母がです」
「……そうだな。あの件は、おばあさまが中心となって解決したものだから。私なんか、ちょっとその手助けをしただけさ。……しかし、良く信じたね」
興味深そうに金田中さまは、私を見上げた。
「物を読み取る能力で、事件を解決した話なんて」
祖母には、物を読み取る能力、いわゆるサイコメトリー能力があったそうだ。
その能力ゆえに祖父の無実を知り、それを証明するために金田中さまとその奥さま(当時はまだお付き合いもされてなかったそうだけど)のお力を借りたという。
「兄は信じていません。祖母が、子どもの自分たちを楽しませるために話を盛ったのだろうって思ってます。けど、私はどうしてもそれが嘘に『見え』なかったから」
「ほう」
金田中さまは、目を細めた。
「君も、おばあさまから勘の良さを受け継いだようだね」
「祖母は、いつも言っていました。『金田中さまがいらっしったから、おじいちゃんと結ばれたの』って」
私は、祖母の口癖を真似るようにして言った。
『いらっしった』の言い方が、私は何だか好きだった。
祖母たちが若かったあの頃。平成の時代。
大きな地震が起こって、神戸のまちが、まるで怪獣に蹂躙されたかのようになってしまったときのこと。
色々な思惑が噴出して、知らないところで大きく事が動いたりしたと祖父も祖母も言っていた。
ニュースにすらならないどさくさ紛れの色んなこと。
「『だから、いつでも、どんなときでも感謝して、その幸福をお祈りしているの』って」
金田中さまは、ふふっと照れたように笑って、それから俯いて、さっと目元を拭った。
「……お礼を言うのは、私の方だと言うのに」
礼子さんらしいね、と金田中さまは呟いた。
「私の方こそ、このレストランがあったからこそ、命拾いもして、家内と……」
最後まで言わず、ふぅ、と老紳士は息を吐く。
「でも、そうか。礼子さんも逝ってしまったか……」
寂しそうな声に、こちらの胸までぎゅうと締め付けられた。
一年前に亡くなった祖母の声を、ふと聴きたくなった。
柔らかく優しい声をしていた祖母。
「今日は、祖母の分まで、亡くなった奥さまの分まで、タリアテッレをお楽しみ下さい」
私はこみ上げそうになる涙をおしとどめるよう、敢えて明るい声を出した。
「兄はまだ祖父の味には及ばないかも知れませんが、それでもきっと、思い出のよすがにはなるはずですから」
「そうだね。礼子さんも、おじいさんのタリアテッレをことのほか愛していたからね……」
祖母が言っていた。
『おじいちゃんのタリアテッレが一番好き。それをね、大好きな人たちと食べるのが、私の一番の倖せなの』
きっと当時も、金田中さまとその奥さまと、顔を見合わせては微笑んで、食べていたのだろう。
闇の中で一筋の光を見付けて、ちょっとほっとした、そんな心持ちで。
あるいは、夢見るような温かな心地で。
「大事に食べさせて頂きます」
「ありがとうございます」
私は、そんな三人が見えるような気がして、目を細めて微笑んだ。
END.
.......
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