第129話 夕焼け色に染まる(百合。片想い)


 窓から見た夕焼けの始まりが、あまりに美しかった。

 黄色がかった空に、ピンクの紗がかかり、太陽の光の帯が、切なげな橙色に変わっていく途中。

 これは、今日の夕焼けはかなり綺麗なものかも知れない。。

 僕は心躍らせて、上着をひっつかむと部屋を飛び出した。

 向かうのは、寮の屋上。

 鍵が閉まっているテイになっている、秘密の屋上。

 屋上に通じる階段を一気に駆け上り、ひと呼吸。

 そっとドアノブを回し、重い重いドアを、体重を預けるようにして開けると。

「あ……」

「ふふっ、先客が居て、驚いた?」

 夕陽より先に、その人に気が付いた。

 水ヶ崎三佳先輩。一つ上の、高校三年生。

 長いワンレンの黒髪に、白花のバレッタ。白いケープに黒のワンピースがよく映える。

「いえ……先輩も、夕焼けを見に?」

「ええ、そう。受験勉強でこもってばかりだと、身体にも頭にも悪いからね」

 良ければお隣どうぞ、と先輩が、隣を指し示した。

 ありがとうございます、に「お邪魔します」を込めて頭を下げると、僕はそこへ腰かけた。

 びゅう、と冷たい風が吹く。

 山の上にあるこの寮では、いつも秋冬は一足先に訪れた。

 しかし、その冷たい風に晒されてでも、今日の夕焼けは見る価値があると思った。

 目の前の、見事な黄色とオレンジのコントラスト。

 そして。

 拳ひとつぶん離れた先にある、温かな気配。

「……あと何回」

「え?」

「あと何回、ここからの夕焼けを見られるかしら」

 先輩が、歌うように言った。

 夕焼けから視線を外して、先輩を見た。

 キラキラした、魔法の粉みたいな夕陽の光に照らされ、先輩の横顔は天女様みたいに見えた。

 紗がかったようで、遠く、ただただ綺麗な景色みたく。

 言葉の割に、先輩の横顔は微笑んでいた。声も、寂しそうでなかった。

「……何回でも」

 僕は、声が震えないように、細心の注意を払って言った。

「先輩が望めば、卒業したあとだって、見られますよ」

「関係者以外、寮には立ち入り禁止でしょう?」

「先輩は、関係者ですよ」

 関係者以外。

 その言葉に、僕の心臓は怯えた。

 だから、断言した。

 いつまでだって、あなたはここの関係者なのだと。

 ……僕の、関係者なのだと。そんな気持ちを密やかに込めて。

「こっそり、ここまで手引きします」

「ふふふふふ、ありがとう」

 期待してるわ、と軽やかに先輩は言った。

 たぶん、本当には期待していないし、する必要は無い、ということだろう。

 そんなことばかりよくわかる。

 鼻の奥がツンとする前に、僕は慌てて前を向いた。

 夕陽はますます美しく赤く最後の輝きを放ち、空は黄色と橙色だけでなく、ピンクにも赤にも染まり、暖色絵具を贅沢に使った絵画のようになっていた。

「見事に真っ赤ねぇ……」

「そうですね」

 世界の、終わりみたいに。

 僕が思わず呟くと、先輩は笑った。

「世界が終わってもらっちゃ困るわねぇ。まだ受験チャレンジもしてないのに」

「……そうですね」

 僕は、僕は困らない。

「先輩」

「なぁに?」

「……いえ、何も」

 あなたが、ずっとここに居てくれるのなら。

「何も、無いです」

「そう?」

「はい」

 夕陽は、ますます赤く、光を立ち昇らせていた。

「……夕陽が、綺麗ですね」

「ええ、ホント」

 世界を終わらせてくれない美しい夕陽を、あと何度僕はこの人の隣で見られるだろう。

 僕は、冷たい風に火照る頬を晒しながら、その数が少しでも多くあるようにひたすら祈った。


 END.

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