第96話 私たちはこれがいい(アラサー姉弟)


「姉ちゃんはさ、今のままでいいの」

「なぁに、藪から棒に」

 弟が、神妙な顔をして部屋に入って来た。

 私は、読んでいた愛読書(転生悪役令嬢もの。最近ハマッているのだ。主人公にガッツがあればあるほどいい。日々の疲れをふっ飛ばせる)から顔を上げる。

 弟は、御年二十八の立派なアラサーだが、こうして頼り無げな顔をしていると、どうにもまだまだひよっこ感が漂う。

 背だって高いのに猫背なもんだから、非常に勿体ないなぁと思ってしまう。

「ちょっと納戸を整理してたら、こんなの見付けて」

「なになに……わっ、懐かしい」

 彼が差し出したのは、一冊の古びた冊子。

「小学校の卒業文集かぁ」

「父さんの秘蔵本の奥にあったよ」

「エロ本の奥にしまわれた卒業文集……どう思えばいいかわからないわね」

 私は眉をひそめながら、ぱらぱらとページをめくる。

 現在、父と母はこの家には住んでいない。

 リタイア後、母の田舎に引っ込んで暮らしている。

「で、これが?」

「姉ちゃんのページを、ちょっと見てみたんだけど」

 ぺらり。

 めくると、ちょうど次のページが私の作文だった。

「あー。書いた、書いたね、こんなこと」

 お題は、将来の夢。

「『大富豪と結婚して玉の輿、大富豪は無理でも小金持ちと結婚して店を出す』……若気の至りねぇ」

「姉さんは自分の店を持って、そこそこ繁盛して、そのへんは叶ってると思うけど」

「まあね」

 輸入雑貨店で、衣料品も食料品も色々と取り揃えている自慢の店だ。

 国もヨーロッパ圏からアジア圏まで幅広く扱っている。

「でも、結婚は、その、諦めてるみたいに見えるから」

「んー……」

 私は、腕を組んで宙を仰いだ。

「諦めてるっていうか、興味が無くなったって言うか……」

 大富豪や小金持ちと結婚だと、まず相手を吟味しなければならない。そんなことをするより、自分で動いた方が手っ取り早く稼げると高校時代に気が付いた。

 それからは、あんまり結婚に興味を持てなくなった。

「ホントに?」

 けれど、弟は不安げに問うてくる。

「俺がいるから……とかじゃない?」

「たーちゃん……」

「俺が家にいるから、それで、男の人呼べないとか……俺に気兼ねしてとかだったら、嫌だなあって思って」

 この弟は、確かにずっと家にいる。

 職業が漫画家なのだから、仕方ないのだけど。

「確かに、俺はこの家から出れないし、引きこもりだし、人見知りだけど、でも、もし姉ちゃんの倖せを邪魔してるなら、がんばって家を出ることも……」

「多喜郎」

 つらつらとらしくもないことを呟き始めた弟の名を呼び、

「デッ」

 でこピンを食らわしてやった。

「馬鹿なこと言ってんな? この私が、何でアンタ一人の為に自分の倖せを諦めなきゃいけないのよ、自分を高く見積もり過ぎじゃない?」

「け、結構ひどいこと言ってるって自覚ある……?」

「これをひどいことって思う時点でアンタ、自惚れが過ぎんだよ。ぶん殴るよ」

「殴っちゃないけど、でこピンも立派な暴力だからね……」

「うるさい」

「ぃだッ」

 もう一発お見舞いする。

 ったく。想像力だけは人並み以上にあるんだから。

 変な方向に考えの翼を飛躍させやがって。

「いーい? 私は、私の倖せのために結婚しないの。結婚なんて、面倒くさいだけだし、私の腕と頭は使えば使うほどお金になるんだから、それを誇って生きてけばいいだけなのよ。人生楽勝じゃない? 男は、ときどき恋愛してキャッキャするくらいがちょーどいいの。私の才能を生かすにはね」

「つ、つよい……」

「だから、アンタも馬鹿なこと考えてないで」

 ふん、と鼻を鳴らした。

「アンタの才能を大事にしなさい。アンタは外には出られないけど、頭の中には豊かな世界が広がってる。その世界で、たくさんの人たちが倖せになってる。それでいいのよ」

「姉ちゃん……」

 弟が、感極まった風に私を呼ぶ。

「それに、家のことやってもらえるのはやっぱり私にとっても楽だしね!」

「姉ちゃん……」

 弟が、呆れた声で私を呼ぶ。

 同じ呼び方でも、トーンを変えるだけでまったく違うから面白いものだ。

「そんなわけだから、お茶、いれてくれない? アッサムで。昨日貰った鳩サ○レー付きでお願いね」

「はー……わかったよ」

 弟は一度大きなため息を吐いた。けれど、次にこちらを見た顔は、何処から晴れ晴れとしていて。

「適材適所だね」

「そーそー。早くね」

「はいはい」

 そう来なくっちゃと、私は笑った。


 END.

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