幕間 自由を求めた少女・二

 私のご主人様、改めカイト。

 彼と、彼の仲間たちは傭兵だ。隣の大国レムナンティアとの戦争に駆り出されているらしい。敵の派兵を退けた帰り道、行き倒れている私を拾ったのだそうだ。

 初めの二ヶ月は泥臭い野郎共と寝食を共にし、最低限の脂肪と筋肉を取り戻した。 

 傭兵たちは定期的にミュール森林前街道(私が逃げ出してきた方角であるらしいプリスト領付近)まで戦闘に駆り出されてはいたが、基本的に雑で気さくな彼らが戦いの中に身を置いている人間とは思えない。

 傭兵とは見事に男ばかりなようで、皆、私に対して、華がある、見てるだけで癒されると、持て囃してくれた。だから、普通に輪姦(まわ)されたりするのかななんて思っていた。

 が、無駄に声をかけてくるところがウザかったとはいえ、まるで……友達(知識の上ではそうとしか呼べない)みたいで。

 カイトは、そんな男たちをまとめるリーダーだった。

 傭兵は国の兵士と違って明確に組織化されているわけじゃないが、彼が勝手にまとめて、勝手にリーダーになったようだ。

 不思議と彼には、人を惹きつける魅力があったらしい。

 傭兵たちの中で誰よりも小さいのに。

 誰よりも強く、美しい。

 かっこいいなと、そう思った。

 ただ私は、一人では広すぎる天幕の中でぼーっとしていただけだったけれど(私が使っているベッドはカイトのものだ)、それでも、彼が帰ってくるのをいつのまにか心待ちにしていたほどで。

 たった二ヶ月の短い期間でも、むさ苦しい男たちの空間は、十分に自分の居場所として馴染んだ。

 ただ、平穏な時は続かない。

「——撤退だ」

 いつにも増して赤い泥だらけになって帰ってきたカイトは、私の顔を見るなり言った。

「何かあった?」

 私は気軽に、そして気さくに尋ねる。私は彼らの友だと言われたから、変な気遣いは無用だと言われたから。

「戦線が後退してな。プリスト領はもう、敵に落ちたも同然だ。下手に抵抗した領主もぶっ殺されたらしい」

 えらく無表情で告げるカイトに、私はどんな顔を返したのだろう。

 ……そうか。あの醜い豚は死んだのか。今のご主人様はカイトであるからして、別にどうでもよかったのだが、それはそれとして奴の醜悪な顔は忘れようにも忘れられないのだ。

「負けたの?」

「まだ、負けてない。だが戦争ってのは一人でどうにかなるもんじゃねえからな。オレの全盛期ならともかくよ」

 今までないことが当たり前だった、左腕が『あるはず』の空間をポンと叩いて、彼は白々しく笑う。

 無理やりな笑みだとわかった。

「……ねえ、バルガとガウルがいないんだけど」

 そんな小さな違いより気になったことについて尋ねる。

 三〇人余りの小隊。全員が全員、ちゃんと話したわけじゃないけれど、名前と顔くらいは覚えている。増してや今挙げた二人は、よく私に絡んできた方だ。

「あー、あいつらはちょっと上に報告に言って——」

「その二人は死んだよ」

 カイトの横で、テリーが言った。たしかガウルと特に親しくしていた男だ。

「おいお前、」 

「隠しても意味ねえだろ、リーダー。ニアもあいつらと知らない仲じゃねえし、何も知らない子供でもねえ。ちゃんと知っとくべきだ」

「……そう、死んじゃったんだ」

 なんとなく、雰囲気的には察していたが。でも本当にひょっとしたら、ちょっと別のことをしていていないだけかもしれないし、そうだったら悪いと思って聞いただけだ。

「悪ぃ、ニア。どうにもお前のこととなると慎重になっちまう」

「あんたは過保護すぎだ。……それはそうとニア、この陣地からは今すぐ撤退しなきゃならん。動けるか」

「ええ、いつでも行けるわ」

「何度も言うが、他に行くとこはないんだな?」

「ないわよ。ここで死んでもそれまで」

 本当にしつこいくらいに問われた質問に、同じ答えを返す。

「よし。じゃあこれを被っていけ。偉いさんたちはどうせ、オレらの顔なんて覚えてないからな」

 マックスが言う。バルガと二人、よく喧嘩していた男だったはず。

「これは……バルガの?」

「ああ、ちっとボロボロだしお前には大きいかもしれんが、使ってやってくれ」

「うん」

 私は、年季の入った深緑のロングマントを羽織った。

「お前は絶対、死なせないからな」

 カイトがぽつりと言って、私の肩を掴む。

「え……」

「リーダーは自分の子供と重ねてんのさ。しっかりと守られてやんな、ニア」

 テリーもカイトの肩を掴んで言う。

 カイトの子供。息子がいると、本人からうるさく聞いてはいたけれど。

 見たこともない同年代の男なんて、正直知ったことではない。

 でも、初めて興味を持った。

 カイトの中で、そいつと私の差はどれくらいなんだろう、と。


 プリスト領近辺から撤退し、王都へと帰還した王国軍。それに追随した傭兵隊には、軍の兵舎の一角が貸し出された。

 一角とは名ばかりの離れだったが、一個小隊規模が過ごすには十分な広さである。

 リーダーであるカイトには、仲間からの厚意によって一人部屋が与えられるも、本人は落ち着かないなと話していた。もっとも、私もそこに住むことになっていたので、何も言うことはなかったが。

 むしろ、なぜここまで私のために尽くしてくれるのかが気になる。

 だから聞いた。一度目は、はぐらかされてしまったから。

「なんで、私を助けたの」と。

 けれど、見惚れるような流し目を向けた彼は、「なんとなく、放っておけなかった。それだけだ」と、そう言った。

 結局、二度目もはぐらかされたのだった。


 王都に移ってきても、私にとっては変わり映えのない日々が続いた。

 たまに、思いっきり馬鹿騒ぎして。

 たまに、戦場に飛び出して。

 たまに、誰か帰ってこない。

 兵舎の離れで過ごすようになって、三ヶ月。

 三一人いた傭兵隊は、二〇人を切りそうになっていて。

 今日も、一人帰ってこなかった。

「マックスが死んだ」

 雨に濡れた瞳で、カイトはそれだけ言った。

「そう……」

 私は答える。いつも通りに、表情を殺して。

 ただ、壁にかかったロングマントを見た。

 バルガが、ひいてはマックスが託してくれたものだ。ずっとずっと、出かける時は使っている。

「……お前、泣いてるのか?」

「え」

「いや、今のはオレが悪かった。それが普通だ。なにもおかしくない。泣くなんて、普通のことなんだ」

 カイトの言っている意味がわからない。

 泣く、とは。涙が出るということか。

 そんな経験などついぞしたことが……、

 ぽたっ。

 擦り切れたぶかぶかのズボンが、ほんのわずかに滲んだ。ぽたっ、ぽたっ。続いて二滴。

「あれ……、これが、泣く?」

 私は生まれて初めて、・泣いた・。

 感情が爆発したというわけでもない。心は冷静だ。でも、体が、目元だけがいうことを聞かない。

 とめどなく溢れるものが。

「人は、なんで泣くの? カイト」

「嬉しい時、悲しい時、なんでもない時、どんな時でも、泣く時は泣くよ。人間はそうできてる」

「じゃあ、私は人間?」

「間違いなくな」

 ただ、男は女を泣かせたらいけない、と言った。

 絶対に、と。

「マックスには妻がいた。帰ってこないと悲しむ人がいた。だから奴は、死んじゃいけなかったんだ。……死なせちゃあ、いけなかった」

 固く、カイトは言う。

 でも、私にはわからない。悲しい、はわかる。

 でも、

「女は違うの? 女は男を泣かせてもいいの?」

 私の疑問に、彼はフッと笑う。

「そういうことじゃ、ねえよ。——だけど大切な人を悲しませるのは、大抵、男の方なんだ」

 私は、強くなりたい、と言った。

 なんでだ、と聞かれた。

 泣かせたくないから、と答えた。

 誰を、と言われた。

 わからない、でもその時が来ても大丈夫なように、と私は言った。

 わかった、とカイトは約束してくれた。


 あれから私は、カイトに師事した。

 彼が持ちうる戦う術を、出来うる限り吸収しようともがいた。

 やはり「武器」を扱うことに関してはそれなりの才能があったらしく、一月もしないうちに様になった。そんな私が、いかにして一振りを早くできるかについて試行錯誤していた時だ。

「図書館に行くぞ」

 突然、カイトは言い出した。

「急に何言ってんの」

 滴る汗を拭いつつ、意図を問う。ボケっと寝っ転がっていたのに、急に起き上がったかと思うとこれなのだ。

「お前、文字の読み書きできないだろ」

「ええ。あいにくお勉強をできる環境で育ってないから。カイトの言う一般常識だって、やっと覚えてきたところなんだから」

「非常にまずい問題だとは思わないか?」

「全然。ペンを持たなくても生きていけるわ。文字で空腹は紛れないでしょ」

 花より菓子という言葉を教えてくれたのは、カイト自身ではないか。

「それは甘い考えだぞ、ニア。この先、どうやって生きていくにしても、書面でのやりとりってのは絶対にある。そん時、文字が読めなかったらどうなる? 大人しく騙されるか?」

「そんなの……カイトがやってくれればいいじゃない」

 少なくとも私は、物事を適切に判断する力を持ち合わせていない。いざとなったら力ずくでどうにかしてやれと考える程度の頭だ。

 カイトは私のご主人様なのだから。獣を手名付けることを選んだのだから、捨てるまでは、責任を持ってもらわないと。

「お前な……」けれどなぜか、カイトは呆れたような表情で、「あー、いや、そんな生き方しかしてこなかったんだもんな。無理はねえか」

「私がカイトの武器になって、代わりにカイトが私を飼う。すごく合理的な関係だと思うけど?」

「オレは納得いかねぇの。……というわけで、ニア! お前には文字を覚えてもらいます」

 私の目を見て、はっきりと、言った。

 こうなった彼は頑固だ。それこそ大人しく従うしかない。

「……私が出歩いて大丈夫なわけ?」

 私は傭兵登録すらされていない身。実際には今だって、外にいては怪しまれるので、修行は全て部屋の中で行っていたのだ。(ペットを隠れて飼うようなものだろうか。この場合、ペットはもちろん私自身なのだが)。

「前も言っただろ。偉いさんは、オレらの人数なんていちいち覚えてないって。いいから行くぞ。善は急げだ」

「わかったわよ」模造の剣を置き、深緑のロングマントを羽織る。「図書館って、本を借りるところよね。どんな本が置いてあるの?」

「いろいろだぞ。異形(ヴアリア)の図鑑だったり、宗教の聖書だったり、ちょっとエッチな本とかな?」カイトはニヤッと口の端を緩めて、「言語学の本なんかもあるが、全く初心者のニアには難易度高いだろうし。無難に童話とかから始めないとな」

「童話?」

「子供でも読みやすい本のことだ。『裸のプリンス』とか、『空飛ぶ城』とかな」

「変なタイトル……」

「まぁな。でも、興味惹かれるだろ? 読んでみると、大人でも結構ハマるんだな、これが。ちょっとは興味出てきたか?」

「別に。ただ、行くのは行くわ」

 嘘だ。内容はともかく、本というもの自体には少し興味がある。かつての夢で見た、「お気に入りの本」にも出会えるかもしれないし。

 こうして。

 私は文字を学ぶこととなった。


 カイトとの日々は続く。

「服を買いに行くぞ」

「いらない」

「即答かよ。しかしな、ニア。一回自分のボッロボロの服を見てみな?」

「無理よ。この部屋、鏡なんかないじゃない」

「相変わらず連れねえなぁ」

 意気揚々と洋服店のカタログを持ってきたカイトを、私は三秒で撃沈させる。だって、めんどくさいのだ。

「私は十分、今の服で気に入ってるわ」

「そりゃ、体格が大して変わらねーオレの服でも間に合ってるんだけどよ」

 男としてはいささか小柄すぎるカイトのこと。出会ってから大して成長してない私ではあるが、もともと体格差なんてあってないようなものだった。

「それに、ニアちゃんにみすぼらしいカッコさせるなって、あいつらもうるさいし……ここはオレを立てると思ってさ」

 こういう時、私は必ずこう返す。

「命令なら命令って言えば。なら是非もないわ」

「ったく、お前。オレがしないこと前提で言ってんじゃねえのか? んじゃ、いいぜ。オレ一人で買ってきてやる」

「そう。好きにすれば」

「ただし! 覚悟しとけよ?」それこそ是非もないと適当に答えると、唐突に彼は声を大きくした。「オレにファッションの全てを委任するってことが、どれだけやべーことか、お前は知らねえみたいだからな」

「ど、どういう意味よ」

「言っとくがオレのファッションセンスは壊滅的だ。センスない、気持ち悪い、そんな針の言葉を嫁や仲間から飽きるほどもらった。そのオレが言ってるんだぜ、一人で買ってくるって」

「…………」

「お前、素材は一級品なんだ。メイド服! ロリータ! バニーちゃん! 冷たいニアにはボンデージが最適か⁉︎ さぞ男の願望が詰め込まれた衣装がやってくるだろうなぁ……。もちろん、オレだけじゃなく我らが仲間の意見も参考にさせてもらう! それぞれの思惑が合体したカオスな代物が出来上がるかもしれないぜ⁉︎」

「…………っ」

 説得……とはいえない、もはや脅迫の域の言葉を立て続けに喋り散らすカイト。その熱量に気圧されて、私は息を呑むしかできない。

 彼の言葉をとりあえず考えてみる。……自分の服装に大した執着はないが、着せ替え人形にされるとなるとより面倒な気がした。

「けど、ニアも一緒に行くってんなら話は別だ」私の思考がまとまるのを待っていたとばかりにカイトは、「お前が気に入ったって服を買ってやる。服じゃなくてもいい。アクセサリーでも、オモチャでも、今まで贅沢してなかった分、たくさん言え。予算の限りは叶えてやる」

「…………。……そこまで言うなら、行くわよ」

「おう、遠慮すんなよ」

 どうやら、服はとっかかりに過ぎなかったようだ。求めることをしない私に、与えようとしてくれているらしい。

 お節介だとは思った。でも、きっとカイトはそういうお節介な人間で、彼を主人と定めてしまったのも自分だ。

「……私も、服なんてどう選んでいいかわからないけど」

「なに。最悪、店員に丸投げすりゃあいい」

「じゃあ、意味ないんじゃ……」

「意味あるさ。着飾った奴は、男も女もそれだけで魅力が一〇〇倍増しだ。何度も言うが、お前、素材はいいんだからよ」

 魅力的。

 傭兵隊の男たちからは日々チヤホヤとされているが、それはあくまで女であるからだと思っていた。異性だからと。実際に今も思っている。

「着飾るって、難しい」

 ふと、思いがそのまま口に出てしまう。

 それを聞いたカイトは、何でもないことのようにこう言った。

「深く考えなくていいさ。自己紹介みたいなもんなんだから、自信持って堂々としてりゃいいんだよ」


 日々は続く。

「うっ…………。なんでいつも、朝からこんな量を……」

「こんな量って、朝食だぞ。一日分のエネルギーを最初に取らないでどーする」

「だからって……」

 私は、テーブルに並べられた大ボリュームの朝食に辟易していた。いつも通りではあるのだが、昨日の実戦に近い訓練(カイトと真剣で丸一日、斬り結んだ)の疲れが残っているからか、食指が重い。

「朝に無理やり食べなくてもいいじゃない……。あー、吐きそう」

「そりゃ無理はしなくてもいいぜ。特に女だったら、体重とかスタイルとか、色々あるらしいからな」

 ベルも体重めちゃくちゃ気にしてたしな、とケラケラ笑って。

「でも、そうできる環境があるんなら、一日三食、きちんと取っとけ。特にニアみたいな成長期、ちゃんと食っとかねーとオレにみたいになっちまうぞ?」

「……じゃあ、食べるわ。食べて食べて、強くなってやる」

 なんて効果的な脅しだろうか。体づくりが大事なのは認めよう。

 何より私は、もっと身長が欲しいのだ。胸はもう頼むから大きくならないでほしいけれど。

「おう、頑張れ!」

 私が初めて食べたパンに不味そうにかぶりつきながら、カイトはグッと親指を立てた。


 日々は——。

「なぁ、ニア。お前は何色が好きだ?」

「いきなり何?」

「なんとなく。いいから答えてみろよ」

 ベッドの上、ベッドの横、視線を合わせず、けれど当たり前の距離感で私たちは言葉を交わしていた。

「赤、かしら」

「理由は?」

「なんでかしらね。強いて言えば、血の色に似てるからかな。血って、とっても綺麗じゃない?」

「…………」

「共感できないって感じね」

「いや! いいと思うぜ、オレは。そう、クールで」

 気まずそうな声が届いた。

 別に構わないが。血は、綺麗じゃないか。鮮やかでも、どす黒くても、生きてるという証だ。

「ならカイトは、何色が好きなのよ」

「オレは黒だ」

「黒? そういえばいつも、何かしらの黒い服を身につけてるわね」

「ああ。黒は信念の色なんだ」

「信念……」

「どんなピンチでも折れない、何色にも染まらない、そんな色だ。何かの本で読んだ聞き齧りの知識からだけど、なんでだか強く覚えてんだよ」

「私と違って、大層な理由があったのね」

「そりゃ皮肉か?」

「別に」

「そうかよ。まぁ、重要なのは理由なんかじゃない」

 オレが言いたかったことはだな、と。

「お前自身の好きな色が、お前にとっての信念の色だ」

 きっと、カイトは酔っていたのだと思う。

 度数の強い酒を煽るように飲んでいた。

 また一人仲間を失って、誰一人死なせないというそんな馬鹿みたいな信念を勝手に掲げて、一人、陰りに落ちて。

 そんな彼を、私如きが変えることはできない。

 でも、変えられなくとも。

「カイトが望むなら——私はずっと、傍にいるわ」

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