第37話 魔の手は緩やかに侵食する

 二日間。

 六〇人ほどに膨れ上がった捜索隊が結成され、一斉に都市の捜索に当たった。家族からの事前の情報を元に、子供の行動心理とやらに詳しい専門家の意見をいただいたり、人身売買ルートを徹底的に洗ったりと、捜索隊以外の人員も割いた。

 ……が、たった一つの成果も挙げることはできなかった。

 完全なる行方不明。

 防犯上、至る所に監視装置が配置されているのだが、その『目』に引っかかったような形跡もなし。足跡を辿っていくのはもう、手詰まりであった——。


 陽は、落ちた。

 夕闇に暮れつつある第四都区の、とある公園で。

 幼女が一人、遊んでいた。

 幼女は鉄棒で遊んでいる。ある『技』の練習をしているのだ。その名も逆上がり。彼女の友達の中でこの技を成功することができるのは、男子だけだ。女子では一人もいない。であれば、自分が一人目になってやろう。そう思った彼女は、日が暮れるまで練習に勤しんでいた。

 幼女の名は、アイネ・シークリット。

 …………これは余談ではあるが、彼女は最近、大事な大事な「家族」を危険に晒された。

 未遂で終わったけれど、・攫われかけた・。

 許せない。ただただ、許せない。

 彼女の心は、いま、正義に燃えている。

「ねえ、君。ちょっといい?」

 妖艶な声が、幼女の耳に届く——。

 アイネの目の前に佇むは、金髪を緩くウェーブさせた少女。黒いドレスにはところどころフリルがあしらわれている。綺麗な薔薇には棘があるという言葉が何より似合う、そんな少女だった。

 そして奥にいる、色素の薄い髪をした青年。彼は薄ら寒い軽薄な視線を常にアイネに向けている。が、視線はあくまで冷たいのに、そこいらにいる夢見る乙女であれば、見つめられただけで卒倒しかねない色香をも、醸し出している。

 とにかく、人の目を惹きつけることに特化した二人の男女。

 声をかけられた時点でアイネは直感する。

 ——こいつらだ、と。

 即、防犯用に販売されている『警報ブザー』の紐を引き抜く。けたたましい警戒音とともに、彼女は叫ぶ。


「えーいへーいさーん‼︎ ゆうかいはんに、おそわれるぅ————‼︎」


「……っ」

 さすがに想定外の行動であったのか、男女には動揺が走る。二秒ほど迷った後、彼らは素早く身を翻したが……公園の入り口より二人の守護者(アテネポリス)が駆けつけてきた。

「大丈夫か⁉︎ 誰か襲われているのか!」

 運がいい。警戒令が出ているのもあってか、たまたま近くを哨戒していたようだ。

「助けて衛兵さん! この人たち、アイネのこと連れて行こうとしたんです!」

 アイネは青年と少女を指差して、守護者(アテネポリス)に訴えかけた。夕暮れ時に子供がいなくなるという情報、明らかに誘拐しやすい子供が一人の状況、現行犯で逮捕とはいかないだろうが、確実に奴らはマークされる。あわよくば情報を引き出せるし、少なくとも抑止力にはなる、と。

 アイネはこの年代の子供にしては、四、五歳は思考力が上だった。

 守護者(アテネポリス)たちは割り込むようにアイネたちの間に入り、アイネを庇うように立ち塞がる。

「この青年たちが噂の……本当なのかい?」

「ほんとです! 急に話しかけてきて、ぐいって腕を掴まれたんです‼︎」

 泣きそうな声をあげて言う。演技は得意だ。

「ほう……これは、誘拐の現場に遭遇したということでいいのかな」

「いや待て、ローガン。一応、もう片方の言い分も聞く必要があるだろう」

「……ああ、そうだな」

 仲間にローガンと呼ばれた守護者アテネポリスの男は、先程から固まって動かない青年と少女に問いかける。

「あの女の子は、君たちに襲われたと怯えた様子で言ってるんだが、君たちはここで何をしていたんだ? 場合によっては……手荒な手段を取る必要がある」

 いくらか穏やかな口調ではあるが、それはあくまで青年たちが『容疑者』であり、『犯罪者』だと断定できていないからだと、容易にわかる冷たい声音だった。

「あら、誤解よ。衛兵さん。私たちはただ、頑張っている子供たちを応援したいだけ。私たち、『芸』をお仕事にしているの。——そういう『仕事』なの。わかってくださるかしら?」

「…………そうか」

 短く答えたローガンは少し困った顔をして、アイネの方に向き合う。

「ごめんね。君は怖い思いをしてしまったのかもしれないけれど、私たちは君が襲われるところを見ていないんだ。だから……彼らを捕まえることはできないんだよ」

「ほんとに襲われたんだもん! アイネ嘘なんてついてないよ!」

 わかっていたことだが、だからといって引き下がるのは子供らしくない。

「ごめんね」もう一度ローガンは言って、「ちゃんとあの人たちのことも調べるから。今日のところは、もう一人のアレンお兄さんと一緒にお家に帰ってくれないかな」

「でも……、」

「ごめんね」

「…………うん」

 でもまあ、ここいらが潮時だろう。これ以上粘っても、事態が好転しそうにない。泣き疲れたようなフリをして、大人しく頷いておく。

 だが——。

 アイネは、青年と少女を見据えた。

 逃がさない。顔は覚えた。誰にも言っていないが、自分は似顔絵が得意だ。この澄ましきった顔を正確に描いて皆に広めれば——そこまで考えて。

 プスッ。

 乾いた音とともに、アイネの首筋にチクリと痛みが走った。

「え……」

 振り返ろうとするが、力が入らない。ドタっとアイネは崩れ落ちた。

 かすみゆく視線の先には、液体滴る注射器を持ったアレンと呼ばれた守護者アテネポリスの男が、無機質な表情で自分を見下ろしている。

(……ああ、やっちゃった。まさか、守護者(アテネポリス)まで、お仲間さんだったなんて……)

 自分の甘さをアイネは呪った。この街の闇を甘く見すぎていた。

 結局——子供には荷が重すぎるお話で。

 もともと体力が多くない女の子、意識が消えるのに数秒しかかからなかった……。

「手際は悪くねぇ。このままウダウダ絡んできたらぶっ殺してやるつもりだったんだが……この方が穏便ではあるわな」

 青年の喧嘩でも売るような口調に、ローガンは頭をボリボリとかいて、

「……あんたは、最近、捜索隊だかを結成した奴らが、都市中を嗅ぎ回ってやがるのを知ってるか?」

「当然」

「今日の捜索ではもう、八つの都区はあらかた洗い出したそうだ。残りは第零都区のみ。平民の手が及ぶことは断じてないが……誘拐の現場を目撃されたとなると、また話が変わってくる。『息』がかかっている人員が近くにいたことに感謝こそされど、煽られる謂れはない」

「気にしちまったか? 悪いな。俺は口下手なんだ。許せよ」

 全く悪びれない青年の言葉にローガンは呆れるが、強大な力を持つ者というのは、総じて頭のネジが二、三本は外れているものだ。気にするだけ無駄、だった。

 あくまで冷静にと自制しつつローガンが口を開こうとすると、無口なアレンが急に口を挟む。

「……今回は詰めの甘いガキの背伸びだったようだが、今後、頭の回る奴に似たような事をされないとも限らんぞ」

「あぁ、大丈夫だ心配すんな」青年は風に揺れる前髪を整えつつ、「このガキでちょうど二四人目。『上』からのノルマはこれでクリアだ。テメェらはさっさと『守る側』に帰ってやれよ」

 相変わらず挑発するような口調。無機質なアレンはともかく、直情傾向なローガンには来るものがあった。

 が、ここは抑えて、

「……っ、まあいい、わかった。こちらも『上』に報告しておく。時に…………こちらも言っておくが、→これ以上の面倒は起こすなよ・。なんのことを言ってるかはわかるな?」

「それも心配すんな。・あれ・じゃ、何回やっても俺には勝てねぇ」

 と、青年は、実験に利用されるモルモットを見るような目で聡い幼女を一瞥した後、言った。


「テメェらは、絶級冒険者ランク5に序列が存在する理由がわかるか? ——そこにどうしようもねぇ隔絶があるからだよ」


   ***


アイトスフィア歴六三五年四ノ月二八日


 丸一日の捜索を終えたオレは、よろしければ明日もお願いいたしますという捜索隊のリーダーの言葉を受けた後、帰路についていた。

 今日の一日は、飾らずにはっきり言って徒労だった。まだ何か痕跡でも見つけようものなら救いはあるのだが、目撃情報すら挙がらない始末。悲観に暮れる親たちの顔を見るのはとても忍びなく、また余計な気を遣わせるのもなんなので、素早くその場を去ったが、どうにも彼女たちの表情は頭にこびりついている。

 ……それはそうとして、オレは今、一人ではない。

 横にはニアが並び歩いている(アッシュは例のごとく帰った。おそらくシーナの泊まる宿にでもご機嫌を伺いに行っているのだろう)。

「で、アンタはどうしておれについてくる?」

 と、痺れを切らしたみたいに、ニアが突然言い出す。

「今さら何言ってんだお前、昨日も一緒だったろ」

「あれは訓練後の『指導』があったからな。今日はその必要がないだろう」

 昨日の半ば強制的な立ち合いの後、ニアからは『指導』と称したさまざな意見を頂いていた(相変わらず口は悪かったが鋭い意見も多く、得るものは大きかったと言っていい)。

「あのな、第四都区の構造上、橋を渡るまでのルートが限られてんだぞ? それこそ別々に帰る謂れもねえだろうが」

「それはわかってる……ただ、こうして誰かと帰る機会がないから……その、気まずいんだよ」顔を背けて口をすぼめるニア。

「はあ……。ということは、お前、オレら以外とパーティーを組んだことないのか?」

「ないな。何しろおれはつよ……まぁ、そこらの雑魚に負けることなんてない。自分と組んでくださいって頭を下げにきた奴はいたが……ボコボコにしたら逃げてったしな」

 そう考えるとアンタはよく耐えた方だ、と悪びれる様子もなくニアは宣う。

 容赦ねえな……。

 オレと戦闘中もなぜか奇妙なほどに笑っていたぐらいなので、きっと嬉々として希望に溢れた冒険者たちをいたぶっていたに違いない。

「どおりで、無茶苦茶なことしか言わないわけだ」

「おいアンタ、言い方に気をつけろ。人に気を遣うっていうのは弱者の生き方だ。わかるか?」

「いや、わかんねえよ」

 こちとらそんな傍若無人な生き方はしていない。

「簡単に言ってしまえば、自分の思うままに生きて、自分は飾らない。人に感謝したいと思えば感謝するし、謝りたいと思ったら謝る。——それが、強者の生き様だよ」

 まぁ、今まで人に頭を下げたことなんてないけどな、とニアは付け足した。

 そうしてくだらない会話をしつつ、昨日も通った道をゆく。やがて別れ道に着いた。

「……じゃあな。明日は……いつも通りの討伐依頼(キルクエスト)だ」

「いいのか?」

「いいさ。……もともとおれたちは善意の第三者。協力するもしないも自由。違うか?」

 薄く笑っているニアは、どこか諦観した表情で。

「違わねえよ、違わねえさ」

 だけどお前、それは矛盾してるんじゃねえか?

 その言葉は口の中に押し込む。

 数日間とはいえ、彼と関わってきてわかること。彼はとても繊細なのだ。強い言葉を吐いて、それで、人をなるべく寄せ付けようとしない。そんな生き方。

 でも、そんな彼にも、大切なものがある。

 あの姉妹たちだ。

 見目からして明らかに血は繋がっていない。しかし、彼女らをみる視線は兄そのもの。……気恥ずかしいが、シーナから向けられる視線に似ていた。

「……もう行くぞ?」

 何か言おうとしたオレをあえて無視するように身を返したニア。

 ——と、暗闇から何者かが駆けてくる。

「っ……!」

 即座に警戒するが、

「待て」

 ニアが手を水平にして、それを制す。

「おれの知り合いだ」

 明らかに走り慣れていない様相で駆け寄ってきたのは、青い顔した中年女性。それなりに歳を食ってはいるが、若い頃はさぞ美しかったであろう面影がある。ぜえはあと息をつく女性をニアはすかさず介抱して、

「どうしたマチルダ、こんな時間に。アイネたちが心配するだろう」

「はぁ……はぁ……それが、その……はぁ、アイネが、帰ってこないの……!」

「……ッ!」

 彼女の言葉にニアの表情が激烈に変わった。

「マチルダ。大きく息を吸え。そうだ、深呼吸だ。…………落ち着いたか?」

 マチルダと呼ばれた女性は、ようやく息を落ち着け、こくりと頷く。

「よし。……それで、アイネが帰ってこないんだな?」

「ええ、逆上がりを練習をするからって……。今は一人で遊ぶのはやめなさいとは言ったんだけど……ニアと一緒だと言うから。ねえ、ニア。あなた一緒じゃないの?」

 ニアは本当にわからないといった様子で、

「いや……そんな話はしてない。逆におれも、しばらくは大人しくしておけと忠告したんだ」

「……ああ、どうしよう。どうしましょう。やっぱりちゃんと止めるべきだったわ。あの子は賢いから、私も信頼しすぎてた……」

 オロオロと再び不安定になってきたマチルダを、落ち着け、もう一度深く息を吸え、と・無理に作った笑顔→で彼女を落ち着かせるニア。

 目の前で繰り広げられる緊迫した空気に、わずかばかり置いていかれていたオレは、おい、という強い口調により戻される。

「アンタに頼みがある」

「……なんだ」

「マチルダを家まで連れ帰ってくれ。すぐ近くだから時間は取らせない」

 平坦な言葉にオレは気圧されつつも、「お前はどうすんだよ」

「……いつもは散々言ってるが、アンタがどんな奴かは剣を見てればわかる。とりあえず信頼するから——頼む」

 オレの疑問を全く無視して己の言葉を突き通すニア。並々ならぬその意思力に、頷かざるを得なかった。

 ニアは再び表情をかすかに緩ませて、マチルダに寄り添う。

「マチルダ。アイネは必ず無事に連れ帰ってくる。約束しよう」

 言って、彼女の反応すら見ずに駆け出した。

 いきなりの行動に思わず、

「おい! だからお前は何しに行くんだって聞いてんだろ!」

 叫ぶ。

 彼をこのまま放っておくといけない。ロクなことにならない。オレの第六感は、この街に来て一番大きく震えていた。

「——・今度こそ・、クソ奇術師様をぶっ潰しに行くんだよ!」

 風に乗って声が聞こえたと同時、ニアの姿は見えなくなった——。

 クソ、相変わらず説明もなしに勝手しやがって……。一瞬追いかけようと本気で考えたが……足元に崩れ落ちている「母親」を目の端で捉えて、思いとどまる。

「その……大丈夫ですか」

「あなたは……」

「ニアの仲間です。あなたのこと任されたんで、家まで送ります」

 手を貸すために屈むと、ありがとう、と一応は手を取り立ち上がってくれた。

 おぼつかない足取りながらも進む彼女に、ゆっくりと歩みを合わせる。ニアが時間は取らせないと言った通り、別れ道から一筋分進んだ突き当たりに目的地はあった。なんてことのない、石造りの家屋だった。

 ありがとうね、と再びマチルダは言う。

「いえ……」

 送れと言われたから送ったものの、このまま彼女を放っておいていいのかどうか。見たところ、屋内に明かりはついていない。せめて夫でもいてくれればと思うのだが……もしかすると、アイネを探すため駆け回っているのかもしれない。

「ええと、妹の方……ライネさんはご無事なんですか?」

「ええ。しばらくは守護者(アテネポリス)の詰所で保護してもらっているわ。家にいるより安全でしょうから」

「そう、なんですか。……じゃあ、オレはこれで……あの、ニアを探してきます」

 言い淀みながらも、なるべく安心させられるよう言葉を継ぎ足すと。

「……あの子は強い子なの」

 ぽつりと、声。

「……へ」

「すごく強いから……なんでも抱え込んでしまう癖があるみたいでね。あなたはニアのお友達、なのよね」

「まあ、はい。仲間です」

「よかった。恋人さんどころかお友達の話すら聞いたことなかったから、心配してたのよ」

「へ、へえ……」

 気丈に微笑む彼女に対して、オレは苦笑いを返すことしかできない。

「あの子のこと、よろしくね」

 己の娘の安否が心配でたまらないだろうに、それでも実子でないはずのニアの不安定さをも心配するマチルダ。彼女がニアに対して、実娘と等しい愛情を注いでいることが窺える。

 無碍にはできない。

「はい、任せてください。あいつはオレの——大切な仲間ですから」

 強く、頷いた。

 力なく手を振るマチルダから半分逃げるように、オレは走る速度を上げる。

 ああ、ちくしょう。

 オレは、曲がりなりにもニアのパーティメンバーだなんて名乗っておきながら、何も知らなかった。

 まあ、知らなかったこと自体は仕方ねえ。

 ただ、無意識のうちにあいつのことを盲信していた。

 あいつの強さは知っている。ニアなら問題ないだろう、と。

『そうだな……一方的な結果だった』

 その言葉の意味は、ニアが一方的に相手を圧倒したものだと、自然に捉えていたけれど。

 じゃあなんで、服があんなボロボロになってんだ……?

 あれがただ奇襲された際についた『汚れ』なのではなく、勝負に敗れた際の『傷』なのだとしたら——。

 ……問題、ありまくりじゃねえか。

 たしかにニアは、この街でたった七人しかいない最強の冒険者の一人だ。でも、・彼と同じくらい強い奴が、少なくともあと六人もいるのだ・。

 つまり、今日ニアが『喧嘩』したという相手は——、

「絶級冒険者(ランク5)……か。あいつ、いったい何があったってんだよ」

 やはりニアは、何かとてつもないトラブルに巻き込まれてる。

 ……もともと、半ば無理やりに組まされたパーティーだ。いっつもいっつも無茶苦茶やって、とんでもない依頼クエストに駆り出されたりもしたし、散々振り回されたけれど……。

「やっぱり、ほっとけねえよな」

 マチルダから頼まれた以上に、この事件に干渉せず経過を見守ることができないくらいには……自分はニアと関わってしまっていたらしい。

 …………レインには後で、謝らねえとな。

 オレは、『情報』を集めることにした。

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