第4話:教育と雇用のあり方 ②
このような風潮が定常化していることで、“こうでなくてはいけない”という先入観やバイアスが子供たちの未来を狭めてしまい、このようなものさしで幼少期から評価されてしまうと“自分は~”や“私は~”のように自分ができないことにフォーカスが行ってしまい、この考え方が成長段階で習慣化してしまうと、ふとしたことで取り返しの付かない事態を引き起こすことに繋がるのだ。
このような事態は小学生の頃から発生しやすく、小学生から周囲との熾烈な競争の世界に放り込まれるのだ。そして、いい学校に入ること、自分の思った未来を描くこと、両親の顔が立つような立派な大人になることを求められるのだ。
これが今の社会におけるソーシャル・スタンダード化しているように感じる。そのため、これらの競争に勝った人が競争に負けた人を見下すこと、小学校→中学校→高等学校→大学と段階が進むにつれて周囲の人がどんどん減っていくことになるため、“自分は勝ち組だ!”と錯覚する子供たちも少なくない。
ただ、このような状態ではお互いに支え合って生きていくことは難しいのではないかと思うのだ。そして、自分を美化して“自分のやり方は正しい”という整合性がとれない主張をして、周囲を苦しめてしまうことにも繋がりかねない。
では、この状況を変えるために必要な事は何なのだろうか?
私は“トップダウン型教育の拡充”だと思う。
これは、学校の成績よりも個人の関心・意欲が高い児童・生徒を企業側がスポンサードする形で子供たちの学習支援を行うこと、アイディアなどを企業と共同制作するなど子供たちに対して“自分もこういうことが出来る!”という目的意識を持たせることや本人の自己肯定感を向上させるために必要な体験・経験に繋げていかないといけないと思う。
これは私が以前から疑問に思ってきたことだ。
日本というのは“良い人材が欲しい”・“優秀な人材が欲しい”などの自分たちの利益を求める部分がかなり多いが、私はそういう人材が欲しいと思うなら採用側が“良い人材にするために私たちが今出来る事は何か?”・“そういう人材を育てられるだけの力量があるか?”など自分たちの成長と並行する形で新しい価値観を取り入れることになるため、自分たちの今の立ち位置と新しい人材に対するいく勢力を持ち合わせてないと新しい事に挑戦するために必要な事だと考える事が会社の成長にも、個人の成長にも大事だと思っている。
その理由として、良い人材というのは第三者が自分でその人を育てたことで“良い人材”という評価をしたわけであり、社会全体には“良い人材”としてよりも“可能性が高い人材”と認知されているため、即戦力を求める企業にとっては“優良人材”として、一般的には“人材の1人”として認識されており、その人を“自分たちで育てたい”と思うことでその会社が求める人材を育てることが出来るのだが、この部分のバランスがかなり即戦力に偏っていることで、他者が育てた人材を自分たちのカラーに変えるというのはかなり難易度が高いし、途中から違う事を学ぶためにはそれだけ必要になる人員と時間、人件費がかさむため、可能なら経験者でかつ即戦力の採用に比重を起きたい企業が多いが、それでは業界の成長が進まないだけでなく、余剰人材を滞留させてしまうきっかけにもつながるため、会社を成長させることは出来たとしても、社会を成長させることはかなり難しいと思う。
そのうえ、人手不足が深刻になると、求人をたくさん出すが、自分たちが求めている人材でないと、採用しないため、求職者からすると“求人が出ているのに、なぜ不採用なのだろう?”という疑問を持つ人もいるため、このような積み重ねが人材の社会復帰を遅らせるだけではなく、求人掲載が長期化することで“この会社大丈夫なのか?”という信頼の問題に発展することも少なくない。
この状況を見ていて、時間が経ったとしても変わらない現状を何とかして変えたいと思うし、今まで放置されていた問題を“私が率先して解決したい”という思いを持っていても、実際に動こうとすると身体が震えてしまう、不安に襲われてしまうなど自分の行動に対して恐怖心を持ってしまう、今の社会において“マジョリティ”が基本になっているため、マイノリティな考え方を持っていることで社会から孤立するなど若い世代が問題視することが大事なのだが、これらの不安や恐怖によって若い世代ほど無関心になっている人が多い印象がある。
そのため、気付いている人がどんどん先行的に発信し、その深刻さを幅広い人たちに周知することで物事が起きてからの過激な論争や責任転嫁を伴う他責思考を避けることが出来ると思うし、事前にあらゆるシチュエーションを想定できるため、想定外の事態が起きたとしてもきちんと心構えを持って対応できるなどメリットが多いのだ。
何かを変えたいなら自分から発言、発信をしていく必要があり、最初は批判や罵詈雑言があるかもしれないが、その状況を乗り越えた先に明るい未来が見えるのだ。
なぜ、日本は物事に対して後手になるのか? NOTTI @masa_notti
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