05-02 消えた死体

「お待たせして申し訳ありません。コーヒーでもお淹れしましょうか」


「いいえ、結構です」


 眼鏡の女が即答した。

 いちおう言ってはみたものの、予想通りの反応だ。

 おれは頬がひくつきそうになるのを耐えた。


「……ずいぶん、かかっていますね?」


 本題だとばかりに男が切り出した。

 ひく、と肩が動く。おれはどくどく鳴る心臓に耐えながら、いろいろと手順がありまして、とごまかした。


「手順……ですか」


 いぶかしむような、探るような目つき。

 表面上は穏やかな顔のくせに、隠しきれていない。

 せめてもうちょっとうまく演じてくれれば、かりそめでも安心できたものを。


 だが、なにも知らないままどうにかされるのも嫌だ。

 どちらにせよ手詰まりだった。


 くそ、心臓がうるさい。

 おれは心中で悪態をつくと、両手を後ろに回す。


 そして、人差し指で手の甲を三回、とんとんと叩いた。

 意味のない動き。だがおれにとっては効果があった。


 すっと頭が静かになる。

 呼吸が落ち着く。


 大昔のおまじない、緊張を解くジンクスはまだ、錆びついてはいないらしい。


(とにかく──ここを切り抜けなければ始まらない)


 どうあっても正直には言えない。

 だったら、もう不正直になるしかないのだ。

 おれは小さく息を吸うと、にこりと笑った。


「手続きは無事完了いたしました」


 堂々と言う。

 これは本当だ。手続き自体はすべて完了していた。

 あとは炉に火を入れて、火葬完了の認証をするだけだった。


 神経質そうな眼鏡の女が口を開く。


「彼女を棺から出してはいないでしょうね」

「おや。なぜですか」


 途端に女は黙り込んだ。わかりやすい。

 おれはなにも気付かないふりをした。

 静かに微笑み、珍しいオーダーでしたね、とささやく。


「ですが窓から見たお化粧もきれいでしたし、私が手を入れる必要はございませんでした」


「……そう、ですか」


 たしかに〝必要は〟なかったが、ポリシーとして身なりを整えさせてもらっている。

 後半部分は口に出さず、ただ穏やかな表情を作った。

 女の頬のあたりにようやく安堵が見えた。


 ほっとしたのか、小さく息をつくと、もうひとりの、穏やかぶった女が顔を上げる。


「あの……あの子は?」


 ──とうとう来た。


 おれはさも当たり前のように、礼儀と礼節を貼り付けた笑みを作った。

 そして、恭しくも芝居がかった仕草で胸に手を当ててみせた。

 ここが芝居どころだ。


「彼女はどこへ? そんなことはもはや、私にもわかりません。彼女はもうここから消えてしまった。今はただ──サトウ・タナカが安らかであることを祈りましょう」


 まったくもって答えになっていない言葉で堂々とごまかし、祈るように目を伏せる。


 三人が顔を見合わせる気配があった。

 戸惑いがちに、あのう、という男の声。


「それは──もう焼いてしまった、と?」


 困惑に、おれは当然のように返事をする。


「棺は開けるなとのことでしたので。お顔を見てのお別れは、省略させていただきました。……問題ありましたでしょうか?」


 さも意外だというような顔をする。

 本来ならこんなこと、どうしようもないほど問題だらけだ。

 だが堂々とさえしていれば、人は案外こちらを疑わないものだ。


 男はかすかに顔をしかめた。


「今から火葬する、と伝えられた覚えがありませんが」


 あからさまに咎める目つきをされ、おれはおや、という顔をする。


 デバイスを触る仕草をして、なにかを確認しているふりをした。

 そして、ああ、と声を上げる。


「申し訳ありません。備考欄に、お別れのご希望がなかったものですから……」


 途端、三人が顔を見合わせた。

 わざわざそんなことを書かなければならないのか、と思っているのがありありとわかる。

 おれはすみませんと眉を下げた。


「事前にお聞きするべきでした。棺も開けてはならないということで、通例通り、ご希望がないとばかり」


 わざと『通例通り』を強調する。

 男がようやく表情をゆるめた。


「そういうものなのですか……わかりました」


 やっと引き下がってくれたか。

 すべて手順通り、火葬場では顔を見てのお別れの方がイレギュラーだ、という顔を作ったまま、おれはですがと言葉を続ける。


「一言申し上げるべきでしたね。ご心痛でお疲れのようでしたので、少しでもお休みいただくため、先に火を入れさせていただくべきかと思ったのですが。こちらの気遣いが足りませんでした。……本当に申し訳ございません」


 ひときわ深々と頭を下げる。

 女ふたりが慌てて腰を上げた。


「ああ、いえ。そんな。そういうことなら」


「ええ、ええ。そういうものなんですね」


「一生にそう何度もあることではございませんから。こちらの説明不足でした。お別れができませんでしたこと、心よりお詫び申し上げます」


「そんな、頭を上げてください。焼いてさえくれたなら、こちらとしては何も」


 おれはすまなさそうな顔でゆっくりと頭を上げる。

 彼らの表情にはどことなく、ゆるい安堵が透けて見えた。


 その面々に向かって、清潔で丁寧な笑みを浮かべて挨拶を述べる。


「それでは、お見送りはこれですべて終了となります。お疲れさまでございました」


「……そうですか」


 彼らはほっとした様子だったが、まだ肩のあたりに緊張と警戒の余韻が感じられた。


 おれは率先して扉を開け、会釈しながら依頼人たちをエレベーターホールへ送り出す。

 女二人が先に出て、男が最後、振り向きざまに言った。


「書類ですが。確実な処分をお願いします」


「かしこまりました。どうぞお気をつけてお帰りください」


 穏やかに告げ、後に続く。

 エレベーターを呼んだ。


 少し遅れて到着の電子音。

 男たちがぞろぞろと消えてゆく。

 ひときわ深々と一礼。


 エレベーターの扉がゆっくりと閉まるのを気配で感じ取り、やや長い沈黙ののち、最後に階下へ到着した音を聞き届けて──おれは崩れるように座り込んだ。


 頭を抱え、はあーっ、と大きく息をつく。

 呼気の最後は冷めやらぬ興奮と緊張で震えていた。

 ドッドッドッ、と鼓動が駆けていく。


(な……なんとか、切り抜けた──が)


 切り抜けたのはこの場だけ。

 厄介事はまるで去ってはいなかった。


 おれは震える身体をなだめると、ぎゅうと背を丸める。


 本当に──とんでもないことになった。


 口先のまやかしは、保ってせいぜい一日かそこらだろう。


 なにせ遺体はまだ物質として現実に存在しているのだ。

 絶対にどこかから情報は漏れる。それは確実だった。


 とにかく、失態がばれる前に遺体を取り戻さなければならない。

 それも誰にも知られずに。


 できなければ──おれは終わりだ。


 火葬場の主という立場を失う、だけでは済まないだろう。

 ようやく手に入れた潔白な身だけじゃない、命すらどうなるか知れたものじゃない。


 頭をかきむしる。

 くそ、くそっ、と口汚く吐き捨てた。


(……おれはまだ、終わるわけにはいかない)


 火葬場を失うことはできない。

 愛に見捨てられた者たちの肉体を、搾取から解放する。

 炎によって孤独な彼らを弔い続ける。

 それだけがおれの生きる意味だ。


 たとえ来年には取り上げられる仕事でも、最後の一日まで、いや、最後の一分一秒まで、おれは炉を燃やすつもりだった。


 それどころか、違法化後もなんとか隠れて仕事ができないかと、毎日考えているくらいだというのに。




(こんなところで──終わってたまるか)


 絶対に遺体を取り戻してやる。




 そう決意を新たにすると、おれはしゃがみこんだまま、震える息を長く吐き出した。





 

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