第42話 勝手に休学届
「それで? 君はそのままその青年を返してしまったのかね?」
「はい、怪しい事は間違い無いのですが、特に何をしていたという事でもありませんし、ただコンクリート壁に向かってスマホを操作していただけの理由で連行する訳にもいかず……」
「当然持ち物検査はしたんだろうね」
「それが、持っていたのはスマートフォン一個だけでした。写真のストレージも開示させましたが、特に不審な物は何も写っておらずそれ以上の追及出来ませんでした」
麻野は、報告に有ったポイントCにて、不審な行動をする
麻野は
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「久堂さん、あなたの彼氏が職質受けたそうですよ」
野木は、少しニヤついた顔で朝食を運んで来た時にそう
野木は、自分はこの歳でエリート部署に配属された優秀な職員だと自負している。ずっと仕事一筋で生きて来たために未だ独身なのだ。
それが、未だ大学生の
しかも彼氏が居るとは。いや、確かに学生時代は自分にも付き合っていた男は居た。
だが、卒業して就職すると生活時間が合わなく成り、段々と疎遠に成って行って別れてしまった。キャリアを目指す女性にはそういう経験をしている人は少なく無い筈。
この子もきっとそう成るだろうとは思うが、そう思うのは多分自分の嫉妬心から来ている負の感情からなのだろうとは理解している。
野木は、仕事としてするべき事の為には自分の感情は押さえて置ける様に訓練はしている。
ただ、ほんのちょっとだけ意地悪っぽく言ってみたかっただけなのだ。
実際は業務九割意地悪一割というところか。感情面から対象者を揺さぶる作戦の一部だ。
ホームシックにでも成ってくれればガードも甘く成ろうという物。情報も引き出し易く成る。
この子も特殊な能力を持ってしまったが為にきっと苦悩もある事だろう。
現にこうして恋人に会う機会も奪われて軟禁状態に置かれてしまっているのだから。
ここは自分が大人に成って彼女の我儘を受け止めてあげようじゃないか、と。これもマニュアルの一部。
「あ、知ってます。彼とは連絡取ってますから」
「え?」
意外な返答に野木はキョトンとしてしまった。
連絡を取っている? いやいや、そんな筈は無い。だって、電話機も邸内のWi-Fiも使用されていないのだから。
昨日のスマホで会話をしていたのは、そういう風な演技だったと野木は結論付けていた。
丁度良いタイミングで動画を流し、それに返事をする様な演技をして電話をしている様に見せかけていたのだと。
この屋敷の敷地全体には携帯電話や無線機の電波をジャミングする装置が設置されている。
外部と連絡を取るには、備え付けのWi-Fiを使うか有線の電話機を使用する他無いのだ。
そもそも、邸内から電波が発信された形跡は無いのだ。有ればどんな周波数帯であろうと傍受される仕組みに成っている。
先日彼女はスマホで電話をしている風を装っていたが、彼女のスマホから電波は発信されていない事は確認済みなのだ。
だったら一体何時連絡を取ったというのだろうか。
野木は少し動揺したが、これは逆に相手の術中に落ちかけているのだと、直ぐに気が付いた。
お互いに心理戦を掛け合っている。
この子一体何なの? ちょっと特殊能力に目覚めた、ただの大学生の小娘なんじゃないの? と野木は警戒を強めた。
「ああ、ハッタリですか? 連絡は取れていない事は知ってますよ」
「いえ、連絡はとってますよ? 私が連れて来られた時に回りに居た職員さんの一人に、昨日伊豆ヶ崎駅で職質されたんでしょう? ただスマホ弄っていただけなのに」
「どうしてそんな事まで……」
どうも本当に知っているみたいだ。信じられないが信じる他は無い。
ジャブ程度の攻防だったが、こちらの作戦は失敗した様だ。
野木は落ち着いた風を装い、ゆっくりとした仕草で自室へ取って返し、上司へ連絡するべく有線通信機のスイッチを入れた。
そして、どうやら
上司からはその通信方法を探れとだけ命令が来た。
「探れって言われても、どうやったのかさっぱり…… 電波以外の通信手段が有るのかしら?」
一時間程後、野木はブツブツ独り言を言いながら
食べ終わった食器を下げる為である。
食器を片付けながら、野木は部屋の中に何と無く違和感を感じた。
だがその違和感の正体は直ぐに分かった。
さっき食事を持って来た時には無かったノートパソコンが応接テーブルの上に有るのだ。
テーブルの上にあるのは、15インチ程の割と大き目のノートだ。絶対にここへ来た時には何も持っていなかった。それは間違いない。
なのに、今ここにノートパソコンがある。一体どういう事だろう?
誰かがこっそり差し入れたのだろうか? いやいや、ここの管理と彼女の身の回りの世話を任されている自分の目を盗んでそんな事の出来る人間なんて居やしない。
そもそも、彼女の部屋へ出入りする許可を与えられているのは自分しか居ない筈なのだ。
野木は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。
まるで幽霊でも見ている様な悪寒を感じたのだ。
「あ、あの、久堂さん、そのノートPCは一体どうしたのかしら?」
野木は、やっとの事でその言葉を絞り出した。
「ああこれ? 大学の課題が残っているから、ここでやっちゃおうと思って」
「それは久堂さんのノートなの?」
「もちろんよ。実験データが入っているし、書きかけのリポートが有るから、このPCじゃないと続きが書けないし」
「あ、ええ、そうよね」
「あ、そうだ」
「へ? なに?」
考え事をしている所に急に声を掛けられて声が裏返ってしまった。
「リポートを提出に一旦大学へ行って良いかしら?」
「いえ、それは許可出来ないわ」
「それは困る! 留年したくないのに!」
「その件なら、既に大学に長期休学届が出してあるので問題無いわ」
「な! ちょっと! 勝手な真似しないでよ!」
うーん、期せずして感情を揺さぶる事に成功してしまった。
野木は偶然でも良い結果が出たならそれも実力の内だと前向きに考える女だった。
大学に行けなければ単位を落として留年なんでしょう? 焦れ焦れと内心喜んでいた。
「ま、いいわ」
「え? いいの?」
「留年したら大変よ? 困っちゃう~のよ?」
「山本リンダか! 大丈夫です。勝手に行って来るから」
「あの、外出は許可出来ないんだけど。警備を突破するのも無理なのよ?」
「そうですか? でもまた戻ってくれば良いんでしょう?」
「そういう問題じゃ……」
どうも話が噛み合っている気がしない。
そんなに歳が離れているという訳でも無いと思っていたのだけど、今時の若い子は何を考えているのか良く分からない。これが世代間ギャップなのかと野木は少し落ち込んだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
異変は野木が昼食を運んで来た時に起こった。
朝見た時と
ここの施設で用意されている館内着は、高級ホテルで用意されている物と同じゆったりとしたガウンタイプのみで、若い女性が外へ出かける時に着る様な物は用意されていない。
しかし今彼女の着ている服は、昨日着ていた物とは明らかに違うカジュアルな物なのだ。
聞けばその服も私物だと言う。全く訳が分からない。
その時野木の携帯していたスマートフォンから呼び出し音が鳴ったため、
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