第48話 失われた村
翌朝の出発に姿を現したトルケルとガリエラの距離が、やたら近いことについては突っ込まずにいてやるべきだろう。
ガリエラが何か股をかばうような歩き方なことも、迂闊に「昨晩はお楽しみでしたね」などといえばまた女性陣から針の筵に座らされるのは確実だ。
このまま残ってもいいとエルロイは言ったが、ガリエラはコーネリアへの恩を返すまでは帰れないと言ってきかなかった。
帰れない、と言っている時点でお察しというやつだ。
時間の問題だが、義理というのも人生には必要なエッセンスではある。
トルケルの奴が顔を赤らめているが、むさいおっさんが照れてもキモイだけだと突っ込みたい。
ガリエラが怖いからやらないが。
「ロプノール湖から流れるマリド川を下っていけば海に出ます。もちろんまともに川を下るなんてことはできません。船が下れるような地形ではありませんのでね」
未開の森は数多くの魔物が生息しており、特に水棲の魔物は対応が厄介である。
これが海であれば、船を大型にして武装を整えることもできるが、川船は小さすぎて個人が力を振るうしかできない。
もっともユイやエルロイはそれでもかなりの戦力を発揮できるだろうが。
「本当についてくるのかい?」
「私がついて行かずしてどうします? そもそも彼らは我がソルレイスの村から分離した者たちですのに」
「実質ソルレイスの防御指揮官だろ?」
トルケルは目だけは笑わず満面に笑みを浮かべた。
「――この日のために私が部下を鍛えていないとでも?」
トルケルのあずかり知らぬところで、エルロイがヴェストファーン王国を相手に大立ち回りを演じたと聞いて、昨晩は悔しさに眠れぬ思いであったトルケルであった。
そのストレスが一部ガリエラに向かったのかもしれないので、結果オーライというやつだろう。
やはり根っこの部分が武人なので、主君を得た今、戦場からあえて遠ざかるのは容認できないのだ。
「村長は残念ながらあのまま体調が回復することなく亡くなられましたが、不在の間村を防衛することぐらいはレダイグ王国以来のモルソンとカイネがいれば問題ありませぬ」
「――――レダイグからここまでついてきた古株なら、確かに」
トルケルの首に懸けられた賞金や、このウロボロスラントまでの逃走経路を考えると、能力と忠誠心に疑いを挟む気も起きない。
エルロイにとってのロビンやヨハンより難易度が高いのである。
将としてトルケルがいかに人望があったのかということの証左であろう。
「それにしても……よくこの魔境からさらに奥へ行こうと思ったものだな」
ソルレイスの村でも十分に秘境である。
それにラングドッグ村に比べれば、まだソルレイス村のほうが食糧事情がいい。
にも関わらずあえてソルレイス村から分離するほどの理由が、エルロイには思いつかなかった。
「やはり、そうお思いか」
「数は力だろ。こんな人外魔境では特に」
生産力や防御力に直接響くのが頭数である。
それをわざわざ分けてまで離れていったのである。よほどの事情があると見るのが妥当であった。
「――――実はこの私も原因のひとつではあるのです。要するに派閥争いというやつで」
「できる新参者が疎まれたか?」
「そもそも開拓民も出身地別に派閥がありましてな。彼らはアントナン出身者が多かったのです」
「アントナン――なるほど、だから海を目指したのか」
「御意」
アントナンはノルガード王国東方の港町である。
その昔はノルガード王国に対抗する小国の領土であったこともあって、財産をなくして身を落とした人間が数多くいた。
ウロボロスラントへの開拓民として集められたのは、そうした生活困窮者が大半であった。
「もともと海民としての技術を持っているとすればもったいない話だしな」
「ええ、どうせ開拓するなら海とともに生きたいと思ったようです。もっとも村長派閥と軋轢があったのも事実ですが」
魔物の脅威さえなければ、食糧事情には余裕のあるこちら側だからこそできた判断であろう。
なまじソルレイスの村が成り立ってしまったので、自分たちも、と考えてしまったのか。
「今度ばかりは少々難儀するかもな…………」
ウロボロスラントの過酷な環境を生き抜いていくためには、共同体同士の協力が不可欠――とエルロイは考えていたが、共同体同士だからこその利害もあれば派閥もある。
今の彼らの村がどんな状況下は知らないが、もし自活できる環境にあるとするなら、ラングドッグの村やソルレイスの村のように簡単に支配下にはできないだろうな、と思うエルロイであった。
「きゃっ!」
下半身に違和感を抱えたガリエラが斜面で足を滑らせるのを、まるで計っていたかのようにトルケルが助ける。
「あ、ありがとうございます…………」
「――気をつけろ」
お互いに顔を赤らめて視線を逸らしあう二人、思春期か!
「きゃあ」
ベアトリスがやや棒読みの悲鳴をあげると、エルロイより早くユイの影がベアトリスの身体を支えた。
「気をつけてくださいね?」
「――――ありがとう……ちっ」
今舌打ちが聞こえたような気がしたけど、気のせいだよね?」
まだ見ぬ村への出発は、いきなり波乱の気配を濃厚に漂わせていた。
――――ホルラト
海の豊穣神の名をつけられたその村は、非常に豊富な海洋資源に恵まれ、どこか故郷のアントナンを思わせる天然の良港でもあった。
「すげえぞ! 入れ食いだ!」
「こんな荒らされてない海は初めてだ! いくらでも釣れるぞ!」
釣り糸を垂れればたちまち魚がかかり、魚を餌とする鳥たちも多かった。
もちろん農地は少ないが、ある程度の収穫は周辺の森でも十分だし、塩や干魚は交易で有力な商品になる。
約束の地を見つけたことに、開拓民たちは歓声をあげた。
木を切り出し、船を造り、それなりの格好がついた半年後、奴等が帰ってくるまでは――
「――――こんなことなら無理やり村を出るんじゃなかったかなあ」
ベルンは冷たい地面に直に寝させられている現状に頭を抱えていた。
ラングドッグ村の村長の弟であるというプライドから、ソルレイスの村を出て新たな新天地を目指すことに賛同してしまった。
新しい村でまで新参者の風下に立たされるのは我慢ならなかったのだ。
――――ゲッゲッゲッゲッ
くぐもった異形の声が夜の空にこだまする。
「あんな連中に支配されるよりは」
ベルンが小さな窓から眺める村の景色には、わが物顔で酒を呷る
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