第47話 ガリエラの過去

 ソルレイスの村の中心に設けられた寄合所に一旦落ち着いた一行は、見なれぬ葉の茶を差し出された。

 ガリエラはトルケルの傍らから全く離れようとしない。

 それでもまだ照れがあるのか、肌を接触させない微妙な距離を保っている。思わず甘酸っぱさに目が熱くなる思いだ。

 熱めのお茶はちょうど喉が渇いていたこともあって、それはとても口当たりのようものに思えた。

「…………爽やかだな。枇杷茶みたいだ」

「森で簡単に採れるコカの葉の茶でございます。疲れが取れますぞ」


 ――――ぶふううううううううううう!!


 盛大に噴き出してエルロイは絶叫する。


「こここ、コカの葉? まさかあのコカ、なのか?」

「あの? ……これ、ですが?」


 トルケルが差し出した楕円形の葉の特徴的な縦条を見てエルロイは確信した。

 これはあのコカの葉である、と。

 コカは南米で発見されたバラ類コカノキ科の被子植物である。

 薬剤師であったジョン・ペンバートン博士がコカの薬効に着目して作り出したのが、あの世界的に有名なコカ・コーラだ。

(一八九九年、薬局のソーダファウンテン売りから瓶詰売りに切り替えた後はコカイン成分はレシピから取り除かれた)

 当時コカは鎮痛剤や精力剤として、魔法の葉と言われ非常に将来を有望視されている植物であった。

 イタリアではコカイン入りのヴィン・マリアーニというワインが好評を博し、これを飲むと二十四時間働いても疲れないということで、あの発明王トーマス・エジソンが推薦文を書いていたりする。

 コカインが入っているだからそれは疲れを感じないのも無理はない。

 また時のローマ法王レオ十三世もこのワインを愛飲していたということで、十九世紀から二十世紀の初頭はコカは合法的で優れた薬品と見做されていた。

 戦場において兵士の疲れを一時的に吹き飛ばすという意味であれば、これほど有用なものもあるまい。

 麻薬であるということに変わりはないが、比較的依存性は低く、アメリカ精神医学界の依存スコアではアルコール以上タバコ以下とされる。

 使いすぎれば毒になるが、医療技術が未発達なこの世界では薬物としての効能のほうが大きいだろう。


「これはたくさん生えているのか?」

「森にいけばそれなに見かける程度には」

「…………あとで使い道を教えるから、厳重に管理しろ」

「御意」


 エルロイの表情に深刻なものを感じ取ってトルケルはごくりと唾を飲みこんだ。

 茶にして飲んでいる分にはよいが、葉を噛んでいるだけでも不眠不休で働けるという代物である。もちろん薬が切れれば一気に疲れがくる。

 軍でどうしても必要な強行軍などでは、一日不眠不休で食事もせずに山越えを果たしたという記録が残っている。

 見つけてしまった以上は管理しなくては、このソルレイスの村がいつかアマゾン奥地の麻薬地帯のようになっては困るのであった。


「――――まあ、それはさておき」


 いきなりコカ茶に度肝を抜かれたが、もともとの気になっていたトルケルとガリエラに話題を戻す。


「二人はどういう知り合いなんだ?」

「この者の父が私の腹心でありました」


 トルケルが得意とする騎兵運用も、騎兵だけでは戦力としては不完全である。

 その不完全さを補ったのがレダイグ王国の一部族、草原の民であった。

 彼らは騎兵に人間の足で追随できるという、並外れた脚力の持ち主で、偵察や伏兵としての役割を担っていた。

 ガリエラの父の名をマルガスという。

 トルケルにとって信頼のおけるかけがえのない部下だった。


「草原の民の長でもあるマルガスを逃亡に付き合わせるわけにはいきませんでした。彼にはレダイグに残るべきだと思ったのです」


 そしてトルケルはわずかな部下だけを連れて逃亡した。

 ガリエラも置き去りに。


「――――殿下の判断は間違ってはいませんでした。間違っていたのは父の判断です」


 そうささやくように言うガリエラの肩は震えていた。

 ガリエラの雰囲気からトルケルは、マルガスに不幸があったことを察した。

 

「父はレダイグ王国が一方的な服従を迫り、軍役と税を増大させたことに反対しました。それどころかデルフィン殿下を復権させるよう貴族たちに働きかけたのです」

「なんということを!!」


 そんなことをすれば草原の民が迫害されるのは目に見えている。それをさせないためにトルケルはあえて身を引いたのである。


「父のわかっていた、と思います。属国となったレダイグ王国に他に道のないことぐらい。でも、デルフィン殿下となら勝利できる。殿下は父の生きがいでございました」

「………………」


 トルケルは悔しそうに唇を噛んだ。

 部下の信頼に応えることのできなかった己の不甲斐なさがただただ悔しかった。


「スペンサー王国の怒りを恐れた国王は草原の民の排除を命令します。勝ち目のないことをわかっていた父はあらかじめ部族を解散させました」

 

 ガリエラも父とともに戦うつもりだった。

 しかし断固として父は反対した。最終的にはガリエラをミノムシのように縛り上げ他国へと追放した。


「デルフィン殿下は必ず生きている。お前は生きて殿下とともに生きよ!」

「それではお父様も!」

「草原の民は消滅する。最後の族長として、その証くらいは立てなくてはなるまいよ」


 たった十数人ほどの部下を引き連れ、マルガスは草原の民の土地を接収しようとやってきた領主に抗った。

 十倍以上の領主軍を一度は圧倒し、あわや領主を命を落とす瀬戸際まで追い込んだという。

 しかし多勢に無勢。

 駆けつけてきた援軍に囲まれると、一人、また一人と倒されていった。

 ついにマルガス一人となるも、満身に傷を受けながら立ったまま絶命したらしい。

 それ以後部族の大半はノルガード王国やヴェストファーレン王国に移住したが、ガリエラは父の言葉を信じてトルケルの捜索を続けた。

 必死の捜索もむなしく数年後に飛びこんできたのが、デルフィン王子が味方に裏切られて殺されたという報である。

 当初は信じなかったガリエラだが、首を討ったのがガリエラも知る近臣であることがわかるとさすがのガリエラの心も折れた。

 いっそ父の後を追おうとも思ったが、草原の民の誇りが無為な死を許さなかった。

 傭兵となったガリエラは死に場所を探して各地を転戦する。

 そして傭兵の待遇をめぐって正規軍の士官と争い危うく処刑となるところをコーネリア王女に助けられたのだ。

 何の因果かコーネリアにエルロイとの同行を命じられ、ウロボロスラントへとやってきたのは運命の神の悪戯であろうか。


「本当に……よく生きていてくださいました」

「すまん」


 長いガリエラの苦難の道を聞いたトルケルは頭を下げた。

 頭を下げる以外に術がなかった。

 全ては自分が敗北したために起こったことであり、にもかかわらず自分は再起を諦めようとしてたのである。

 改めてエルロイに対する感謝と忠誠を誓うトルケルであった。


「父から殿下に最後の望みがあるのですが……」

「なんなりと言ってくれ。エルロイ殿下に忠誠を誓った身ゆえ命を差し出すわけにはいかぬが」

「そんなことを父が願うはずがございません」


 そう言うとガリエラは途端にもじもじと顔を俯かせ、両手の指を絡ませて言い淀んだ。

(これは…………)

(そうきましたか)

 視線で察しあうユイとベアトリスとは対照的に、エルロイとトルケルは一向にガリエラの望みについて理解できずにいた。


「傭兵契約なら俺のほうからコーネリアお義姉様に頼んでも…………」

「そういうことじゃないんだよ! この宿六!」

「げふぉあ!」


 コーネリアからガリエラがエルロイに従うよう命じられた期間は三年間。

 すぐにもトルケルに仕えたいのなら、傭兵契約を破棄しても問題ないと思ったエルロイは、ベアトリスに思い切り後頭部を張り倒された。

 あんなにわかりやすい反応なのに、どうして男どもはこうも鈍いのか。


「あの……そのっ!」


 意を決したようにガリエラはトルケルの手を握りしめる。


「殿下との間に子を成して、部族を命を未来に繋げるよう、それが父の最後の願いでございました!」

「んなあぁ?」


 ここまできてようやくガリエラの切ない想いに気づいたトルケルとエルロイは、女性陣の白い目にさらされて身の置き所をなくしたように身を竦めた。

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