第40話 ラングドッグ村への帰還
「うそ……でしょ?」
「ここが……ウロボロスラントの村だっていうの?」
コーネリアとマルグリットはラングドッグの村へ到着するや呆然と口を開いて立ちすくんだ。
彼女たちの――北部に住む全ての一般人の認識は、ウロボロスラントは不毛の荒野で魔物が日夜徘徊するこの世の地獄である。
もちろんエルロイならば、なんとかなるとは思っていたが、まだ追放されてそれほどの時間は経っていないはずなのに。
今やラングドッグ村は下級貴族の領地なみの木柵による防御施設と濠が完備され、土壌改良された畑には青々とした作物が豊かな収穫を予感させていた。
こんな優良な土地が不毛の荒野のはずがない。
もし王宮がこれを知ったならば、即日返納を命じられたであろうことは確実であった。
「いったい何をしたらこんなことになるのよ…………」
「あっ! エルロイ様だ! また女の人を増やしたの?」
「どこからそういう台詞を覚えてくるのか教えてくれるかい? サーシャ」
まだまだあどけない無垢な少女から、女たらしのクズみたいに言われるとさすがのエルロイも傷つく。
「ああ、おかえりユズリハ」
ロビンが出迎えとともに軽く右手をあげる。
「何か変わりはありませんでしたかロビン」
なんと知らぬ間に呼び方がユズリハさんからユズリハと呼び捨てに変わっていた。
どうやらロビンも着々とモテない男から脱却を図っているようであった。
もっともユズリハにいいように調教されている感がなくもない。
(――――頑張れロビン)
そんなことは本人がわからなければよいことだ。ロビンが幸せならそれでいいではないか。
「ベアトリス様が言っていたの。これからエルロイ様の傍にはいっぱい女の人が増えるからって。サーシャもいつかエルロイ様のところに行くようにってパパも」
「おいこらゴラン、お前可愛い娘になんてこと教えやがる」
「へ、へえ……ですがご領主様のお傍にあがるよりサーシャにとっていい縁なんて、俺には到底思いつきませんで」
力自慢の一村人にすぎないゴランが娘の幸せを考えたときに、エルロイの愛妾というのは名誉的にも生活の安定的にも最高の立場であった。
前世の感覚が残るエルロイの考えのほうが珍しいのだ。
神妙な顔つきで村長が進み出た。
「――――おかえりなさいませ。フーリドマン辺境伯様から言伝が」
「ノリスが?」
「王都の第四王子ハーミース様より、忠誠を誓うよう要請があったが、正式な王位継承が成るまで、フーリドマン家はエルロイ殿下の指示を仰ぐと」
「ずいぶんと買ってくれたものだな」
ウロボロスラント大公であるエルロイとしてはありがたい判断であった。
同時に、予想以上にハーミースの動きが早いのが気になるところである。
もっとも、ノルガード王国がヴェストファーレン王国に対抗していくための御輿は今のところハーミースがもっとも有力なのは間違いない。
フーリドマン辺境伯はエルロイの実戦をその目で目撃したという例外中の例外なのである。
「それにしてもハーミースの王都奪還が早い……案外カトレアの手腕かもな」
エルロイの予想は正鵠を得ていた。
実のところ母アンナの死で落ち込んでしまったハーミースに反撃に出る気力などなく、もっぱら周辺諸侯の取りこみと戦略はカトレアが指揮を取っていたのである。
レオン王国からの支援を匂わせ、ヴェストファーレン王国の卑劣な虐殺を誇張して宣伝したカトレアの見事な戦略勝ちであった。
いずれにしろウロボロスラントからノルガード王国への玄関口にあたるフーリドマン辺境伯との友好は歓迎すべき話である。
「しかしながらひとつ問題が」
少々気難し気に眉をひそめているのは叔父のヨハンである。
実質ウロボロスラントの君主がエルロイであるなら、宰相の役割を担うのがヨハンであった。
「どうした?」
「ユズリハ様の放った鷹から返信がありまして、すぐにも行商人を派遣したいということでしたが……ヴェストファーレン王国は敵国となりましたので」
「それは確かに問題だな」
一難去ってまた一難とはこのことである。
せっかくノルガード王国から秘密を守るためにヴェストファーレン王国へ伝手を求めたのに、そのヴェストファーレン王国が敵に回ってしまったのだ。
ヴェストファーレン王国から行商人が来れば、このラングドッグ村の繁栄と、いずれはマルグリットとコーネリアがいることも知られてしまうだろう。
まさかこんなことになるとはさすがのエルロイも予想できたはずがなかった。
「とはいえヴェストファーレン王国から直接このウロボロスラントへ兵を派遣することはできません。フーリドマン辺境伯と友誼を結べたことは僥倖でございました」
「確かに。ノリスとはさらに関係を密にすべきだろうな」
話がひと段落したところで、村長がぱんぱんと手を打った。
「それではご領主様の帰還を祝いまして、村を挙げて祝賀会と参りましょう」
まだこの時点で、彼はマルグリットとコーネリアが王女であることを知らなかった。
村の中央には大きな石窯が設置されており、肉やパンが焼かれていた。
これはフランス式の自治体による共同石釜で、運用効率がよいうえに一般の民家が失火するようなリスクを軽減することができる。
さらにこの石釜は、いずれ建築する登り窯や反射炉のための耐火煉瓦の実験を兼ねていて、蝋石を素材として使った初期的な耐火煉瓦となっている。
蝋石は火山灰や火山岩が酸性熱水液の作用によって変化したもので、かつて火山付近にあった地層に多く分布している。
ドワーフからの技術導入が進めば、さらに効率のよい窯焼き技術が発展するだろう。
いずれにしろこうして調理の水準があがることは、村の人間にとっても非常にありがたいことなのだった。
「ご領主様! ホーンベアをローストしてみました!」
「腸詰もパンに.挟むとよい味わいですぞ!」
調理にあたった村人たちが、エルロイのもとへ食事を運んできてはうれしそうに自慢していた。
彼らのほとんどにとって、エルロイがこの地を訪れるまで一度も口にしたことのないごちそうなのである。
家族の飢えを心配することのない安定した生活を手に入れた今、エルロイは彼らにとって命を捧げても惜しくない救世主であった。
「エルロイ君を侮ってたわ…………」
「ガリエラから報告は聞いていたけど…………」
これからフーリドマン辺境伯との交易や結びつきが進めば、さらにラングドッグ村の人口は増加するだろう。
市場と商品さえあるのなら、商人は地の果てからだって訪れる。
唯一気になることといえば、ラングドッグ村の人口の小ささであった。
この規模では移民が進んだ場合、旧来のラングドッグ村の住民が、たちまち少数派になることが予想された。
「村長、ちょっといいか?」
「はい、なんでしょう」
コップに注がれた果実酒を飲み干したエルロイは告げる。
「この間見つけ損ねたもうひとつの村を探しに行こうと思ってる。村長の弟がいるようだし、ひとつ協力してくれないか」
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