第28話 夕食をともに
数時間ほどの休息を取ったベアトリスは、ベッドから起き上がると直ちに光冠草の秘薬の製造を開始した。
「こんな素晴らしい状態の素材を無駄にするわけにはいきませんから!」
「その……ダウングレードしたものでいいので、私にも少し……」
「わ、私にも、その、頼む!」
「すげえ、あのガリエラさんが乙女の顔してるぞ」
「うるさいっ! 童貞の坊やはママの乳でも吸ってな!」
「どどど、童貞ちゃうわ!」
「お兄ちゃんサイテー!」
どうにも余計な一言が多い男、ロビンはガリエラの怒号に一蹴され、助けを求めるようにユズリハを見たが、彼女にも目を背けられ、さらにサーシャにまで詰られて撃沈した。
「うおおおおおっ! どうして俺はもてないんだ!」
「ロビンの場合は明らかに性格だよ……」
エルロイの見るところ、ロビンの顔立ちは決して悪くない。
あまり貴族然としていない庶民顔だが、目鼻立ちは整っているし、笑顔も似合う二枚目なマスクだ。
王都にいたころは街娘の間で、それなりに知られた色男であったはずである。
この男の一番の問題は、まず第一に面食いであり、さらに巨乳が好きで目や表情に欲望がわかりやすすぎるくらい出てしまうところであろう。
しかも男慣れしたあまり軽い女は好まず、ユズリハのように毅然としたお姉さんタイプがフェイバリットである。
えり好みさえしていなければ、何人でも付き合えたはずなのに、どこか要領が悪くて憎めない。
そのままのロビンでいて欲しいと願うエルロイであった。それが本人にとって幸せであるかどうかは別として。
「ダウングレードというと……?」
「十代後半の肌が維持できれば何も言うことはありません!」
「その程度なら数年に一度服用すれば副作用もないのだろう?」
「そうですね……お二人ともお若いですから、この先十年二十年は問題ないと思いますよ?」
「見せる相手もいないのにどうしてそんな必死に……ぶべらっ!」
だから一言多いんだって、ロビン。
顔面に裏拳を食らって吹っ飛んだロビンを助けようとする人間は誰もいなかった。
「では最高品質、中品質、低品質で錬金してしまいますね」
今後のベアトリスのための予備として最高品質を二本、十年若返りの中品質を五本、さらに数年お肌年齢維持の低品質が五十本――うち二本はユズリハとガリエラに贈られた。
「わかります。スキンケアは女の命ですからね」
「胸なんて飾りです。男どもにはそれがわからないんですよ」
ほくほく顔で秘薬を譲り受けた二人だが、自分に与えられた使命の方も忘れてはいなかった。
ユズリハがマルグリットとコーネリアに行商人を依頼する一方、ガリエラはヴェストファーレン王国本国の仲間に情報収集を依頼した。
名も無き騎士マイヤーから聞いた噂は決して聞き逃せるものではなかったからだ。
「少し……疲れました」
錬金を終えたベアトリスが再び疲労困憊すると、測ったようにエルロイのほうへとしなだれてきて、抱き上げるエルロイを見たユイの眉がピキリと跳ね上がった。
「――――なんですかこの美味しいスープは!」
夕食に出された根菜のスープやチキンと葉物野菜の炒めもの、さらに圧倒的に柔らかいパンをみてベアトリスは卒倒しそうな勢いで仰天した。
「確かにおかしい」
「これを当たり前と感じると、ヴェストファーレンに戻った時がきつそうだな……」
「王侯貴族が大枚を叩いてもおかしくないと思いますよ……」
「美味しいの~~~~」
エルロイがラングドッグ村へ赴任して以来、食生活の改善には目を見張るものがある。
生命の脅威であった魔物たちは、完全に食糧という名の獲物に変わり、土壌の改善によって畑の収穫物は味も量も各段に向上した。
それだけではない。素材の味が多少向上した程度では、食事の品質はそこまでは変わらないのである。
「ふっふっふっ……俺の味の素が火を噴くときが来たぜ!」
肉用の香辛料とともに、エルロイが今回投入したのは食卓の強い味方、味の素である。
具体的にはグルタミン酸ナトリウムであり、昆布だしの旨味成分を研究した結果、1908年東京大学で発見されたという。
日本の食卓を語るうえで、欠かすことのできない万能調味料だ。
昆布だしが有名だが、精製自体は小麦のグルテンを分解することでも造ることができる。
主食である小麦自体が貴重なので、まだまだ量産することはできないが、サトウキビやトウモロコシからも精製することはできるので、現在トウモロコシがこの世界に存在しないかどうか調査中であった。
サトウキビはマグノリア帝国や南部諸国に存在するらしいが、砂糖が貴重なのでこれも量産は難しい。
しかしトウモロコシなら、それほど世話をしなくても勝手に育ってくれて収穫効率も栄養価も高い。
さらにはコーンウイスキーにも応用できるという万能食材なので、なんとしても手に入れたいのが本音であった。
参考までにバーボンとテネシーウイスキーとコーンウイスキーは全て分類が違う。
前世でエルロイが好きだったジャックダニエルなどは分類上テネシーウイスキーということになる。
ただいずれも一定の割合でトウモロコシを原料として使う蒸留酒だ。
ドワーフとの新たな酒を提供するという約束もある。
すでに救荒作物でもある蕎麦の苗は見つけてあるので、芋か蕎麦かどの焼酎を蒸留するか思案中であった。
「味わいが深いです……こんな料理を食べるのは……いったいいつぶりなのでしょう?」
「ごめん、ちょっと年数の単位が違うので答えられない」
ベアトリスがマールバラ王国から逃亡したころが最後だとすると、二百年以上ぶりということになる。
その間、自然の木の実や退治した魔物の肉ばかりを食べてきたと思うと気が遠くなるエルロイであった。
ベアトリスの碧色の瞳から透明な雫が流れて落ちた。
生き延びることが全てだった。
復讐するために魔法の腕を磨き、生きるために魔物を、自分を狙う傭兵を屠り続けてきた。
もちろん火竜の肉などの高級食材を味わうことはあったが、それはこの夕食のように人の努力が引き立ててくれた味わいではない。
ただの稀少な高級食材であるというだけ。
孤独だった荒野の魔女は、忘れかけていた人間としての生活のぬくもりに涙するしかなかったのである。
彼女の壮絶で長すぎる孤独を理解したエルロイたちは、下手な慰めの言葉をかけることも憚られた。
しかしそうした大人の事情は子供にはわからない。
「大丈夫? お姉ちゃん痛い?」
サーシャが心配そうにベアトリスの頭をなでると、ベアトリスは輝くような笑みを零すのだった。
決してスペンサー王国に対する復讐を忘れたわけではないが、魔女はもう孤独に耐えられるほど強くはなかった。
照明器具のないラングドッグ村の夜は早い。
油を使ったランプもあるが、まだまだ油自体が貴重なのである。
かがり火のための薪も無駄使いはできないし、魔法で灯りをともすのもできなくはないが、あえて使うほどの緊急の用事もなかった。
それに夜が早い分、朝も早いのだ。
そんなわけで日没からしばらくして、ラングドッグ村は早めの眠りにつく。
食事が終わり、夜の見回りを終えたエルロイもまた、ギムレットバードの羽で造られた羽毛布団に身を任せていた。
ギムレットバードは嘴が錐のように鋭い鳥型の魔物であり、村の近辺に出没する今となっては便利な食材である。
「――――あの、まだ眠ってないですか?」
しっとりと濡れたようなベアトリスの声が扉の向こうから聴こえたのはその時であった。
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