第13話 巫女ステラ

 小柄な腰まで髪を伸ばした可愛らしい少女であった。

「もしかして、魔物使い(モンスターテイマー)?」

「だとしたらとんでもない才能ですね。仮にも神として信仰する者すらいる魔物ですよ」

 あるいはそのままディープアポピスの巫女か。

 人並以上の知能を持つディープアポピスであれば、人間との間に主従関係を築いていたとしてもおかしくはない。

「きゃあああああああああああ!」

 エルダーサイクロプスが畳みかけるようにディープアポピスの胴体を引きちぎろうと両手に力をこめる。

 それを阻止しようと、ディープアポピスは長い胴体をエルダーサイクロプスの上半身に巻きつけるも劣勢は覆しがたかった。

「…………確かにサイクロプスはタフさと再生力が脅威なんだけどね」

 なんといってもサイクロプスの恐ろしさは、腸をぶちまけても手足を吹き飛ばされてもすぐに再生して元に戻ってしまうことにある。

 城壁すら素手でぶちこわしてしまう膂力とともに、人間社会からサイクロプスが天敵のように忌み嫌われるのはいくら傷つけても殺しきれないその不死性だ。

「そのかわり、魔法抵抗力はそれほどでもないんだな、これが」

 傷ならば塞がる。手足ならば再生する。しかし血液が凝固して血管が塞がるのを回復するのはできない。

 サイクロプスの急所は心臓と脳だ。

 大抵の魔物も生物である以上、脳の命令によって身体を動かしているからである。

 ならば、脳への血流を完全に遮断してしまえば、いかに不死性を誇るエルダーサイクロプスであろうと死に至る。

「とはいってもさすがにでけえ…………」

 なかなか効果を表さないうちに、エルダーサイクロプスがエルロイとユイの存在に気づいた。

 正確に何をされているかわかったわけではないが、害意ある存在であることはわかったのだろう。

 ディープアポピスを放り投げ、ギョロリとその大きな単眼で睨んだだけで、エルロイは大地が陥没したような重圧を感じた。

「やっぱり第一級の魔物は半端ないわ」

「そりゃあんなのがポロポロいたらたまりませんよ」

 しかしどれほどの重圧であろうと、二人の泰然とした態度は変わらない。これまで潜り抜けてきた修羅場の数が違う。

 エルダーサイクロプスが可愛く見えるほどの生死の境を、二人は幾度も乗り越えてきたのだから。

「ぐがっ!」

 巨体に似合わぬ素早さを見せていたエルダーサイクロプスが、エルロイへと拳を振り下ろそうとした瞬間、にわかに下半身から崩れ落ちた。

「…………やっと効いたかよ」

 脳からの運動神経に寸断が生じたのだ。

 もうエルダーサイクロプスは自分の思うように身体を動かすことができない。

「それじゃ、加速(アクセル)、と」

 エルダーサイクロプスが反撃のできない状態で、エルロイは新たな術式の実験を開始する。

 電子レンジの原理は食物に含まれる水の分子をマイクロウェーブで加速させることによって、分子振動を熱に変換するものだが、それをエルダーサイクロプスで再現したのだ。

 突如体内で発生した高熱にエルダーサイクロプスは激痛でのたうちまわった。

 衝撃でまるで地震のように大地が揺れる。

 その白昼夢のような光景を、ディープアポピスを操っていたドワーフの巫女ステラは呆然と見守っていた。

「な、何なのこれ…………です」

 里の最終兵器にして守り神、ディプアポピスをもってしても敵わないと思われたエルダーサイクロプスが、たった一人の男に手も足も出ないのである。

 これは夢か幻か、とステラが思ってしまうのも無理はない。それほどに非現実的な光景であった。

「…………ねえ、君」

「ひゃいいいいいいいいいいっ!」

 ステラは虎に睨まれた子猫のように悲鳴を上げた。

 どうあがいても絶対に勝つことができない、それどころか逃げることすらおぼつかない相手が、敵でないという保証はどこにもないのだ。

 ビクビクと怯えて肩を震わせる小柄なステラは、なんとも加虐心をそそらせるオーラに満ちていた。

 ドン!

「みぎゃあああっ!」

 笑顔で木に拳を叩きつけると、いい感じに反応してくれるので思わず笑ってしまったが、その笑みが彼女には捕食する猛獣のように思えたらしかった。

「助けてください! 殺さないでください! ステラはちっちゃくてお肉も少なくておいしくないです!」

「ご主人様、やりすぎです」

「正直すまんかった」

 なんていうか、いじめてオーラがすごいんだよな。これ、わりと本人嫌がってない、とかいう可能性はないだろうか?

 気を取り直してエルロイはステラと目線を合わせるように膝をついた。

「危害を加えるつもりはないから安心してくれ。君はあのディープアポピスの巫女、ということでいいのかな?」

「え? はいです。私はロプノール里のステラ。巫女をしています。おかげで祭神様を失わなくてすみました」

『わしからも礼を言おう』

 ディープアポピスからも念話が飛んできた。

 知能が高く、しばしば人間に祀られることもあるとは聞いていたが、なるほど神のような威厳のようなものを感じる。

「それにしてもなんでまたエルダーサイクロプスなんかと?」

「それは……実は私たちドワーフが採掘している鉱山がありまして……」

 貴重な金属を採掘する鉱山と、その鉱山が排出する毒を流す湖、さらに毒を浄化するディプアポピスに信仰と捧げものをするという循環契約のようなものが結ばれていた。

 ところがある鉱道から、偶然サイクロプスが縄張りとしていた地下迷宮へと道が繋がってしまい、そこにアダマンタイトの鉱脈があったものだから、ドワーフ一族は総出でサイクロプスと戦闘に突入したらしい。

「ですがまさかエルダーサイクロプスがいるなんて…………」

 優秀な戦士でもあるドワーフが当初はサイクロプスを圧倒していた。サイクロプスは膂力に優れ、再生能力も高いが知能はそれほどでもなく連携も取れない。

 魔法を付与した数々の武器を操るドワーフが本気でかかれば多少は手強くとも負ける相手ではなかった。

 その全てを覆したのがエルダーサイクロプスの登場である。

 サイクロプスは倒しきれる武器を所有していたドワーフだが、エルダーサイクロプスはどうにか傷をつけるのが精いっぱいだった。

 高い再生能力を持つサイクロプスに傷をつけたところで何の意味ももたない。

 鉱道から叩きだされたドワーフたちを、エルダーサイクロプスは放ってはおかなかった。

 長く洞窟内で生活していた閉そく的な環境のせいであろうか、安寧を脅かされた怒りを爆発させたのである。

 たちまちドワーフたちは大損害を被って撃退され、それどころか里まで襲われそうになってステラに泣きついてきたのだった。

 家族が住まう故郷を見捨てるわけにもいかず、ステラは巫女としてディープアポピスに助力を願い、エルダーサイクロプスと決戦に挑んだわけである。

「おかげさまで我が神を死なせずにすみました。このお礼はいかようにも」

 たとえ命を要求されても断るまい、というステラの決意は、残念ながらいかにもドワーフらしい小柄で愛らしい童顔を引き立たせてしまうだけだった。

「…………いじめたい」

「…………可愛がりまくりたい」

 思わず零れた全く異なる感情に、エルロイとユイは互いに眉を吊り上げて向き直った。

「こんなにイジめてオーラを出している逸材に気づかないとは」

「子供が好きなおもちゃを壊したくなるような幼いこと言わないでください!」

「俺はまだ子供さ」

「ご主人様の本当の年齢言ってあげましょうか?」

「なんだと?」

「なんですか!」

『痴話喧嘩なら余所でやってくれんか?』

「「痴話喧嘩じゃありません!」」

「すごい! 息もぴったりです!」

 ステラにまで天然でつっこまれてしまい、エルロイもユイも肩の力が抜けた。

『ところでお前たち、どこからやってきた?』

「えっ? ソルレイス村の人間ではないのですか?」

 ステラの言葉に今度こそエルロイは己の幸運を信じた。

「俺たちはそのソルレイス村を探して、山を越えてきたのです」

「ふえ?」

 ステラにとっては驚天動地の話であった。

 ソルレイスの村の人間から、あの山の遥か向こうに人間の集落があったということは聞いている。

 だが、自然環境はここよりもさらに厳しかったらしく、とうに滅んでいるはずだと聞かされていた。

 ラングドッグ村から去った開拓民が帰らなかったのは、単純にラングドッグ村よりもこの地が豊かであったためであった。

 その代わり、魔物の脅威はラングドッグ村近辺の比ではないのだが、幸いこの地には先住民のドワーフやワーウルフがいたし、開拓民のなかには元騎士や傭兵がそれなりの数で存在した。

「びっくりしましたです。まさかあの山の向こうにまだ人がいたなんて」

「豊かではないけど、あっちじゃエルダーサイクロプスなんて化け物はでないぜ」

「そうなのです?」

『……せっかくではあるし、エルダーサイクロプスの魔石と心臓を回収していくがよかろう。あれは素材として相当に貴重なものだ』

「ああっ! 倒した方に権利があるのは承知ですが……是非私たちに売ってください! あれがあれば里の再建が助かりますです! その……」

 ここでようやくステラはエルロイたちの名を聞いていないことに気づいた。

「私はロプノールの里の巫女でステラと申しますです。お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「エルロイ・モッシナ・ノルガードだ。一応ラングドッグの村、ソルレイスの村の領主に任命されている」

「領主様なのです?」

「名ばかりだけどね?」

 厳密にはウロボロスラントの大公であるから、ロプノールの里も支配下と言えなくもないが、そもそも彼らはノルガード王国自体知らないだろう。

 未開地の先住者がいるというのは、想定内であり、むしろ僥倖に近いとエルロイは考えていた。

 なんといってもウロボロスラントには絶対的にマンパワーが不足しているからだ。

「よろしければロプノールの里へおいでくださいです。ソルレイスの村も私たちが案内しますです」

「それは助かるな、ありがとう」

 無意識に小さなステラの頭をよしよしと撫でると、ステラははにかみながら両手で頬を抑えた。

「…………やっぱりいじめていいですか?」

 冷ややかなユイの視線にステラは飛び上がってエルロイの背後に隠れる。

「いいいいいじめないでくださいですぅ…………!」

 ツインテールを揺らしてステラはあわあわ、と上目遣いにエルロイとユイを見上げた。

「やっぱりいじめたいかも」

「そうですね」

「ステラをいじめても楽しくないですぅ!」

『その辺にしてやってくれまいか…………気持ちはわかるが』

「そんな、神様まで??」

 信望する神の思わぬ裏切りにステラはひどくショックを受けた様子でがっくりとうなだれた。

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