第179話 朝食の風景


「どうしたんだい?ユーノ。最近少し、元気が無いようだが」

「…いえ、特に問題ありませんわ」

「そうかい?何か困っていることがあるなら、何でも相談するんだよ?」

「ありがとうございます、お父様」


 親子がテーブルを囲む、朝食の風景。食卓に並ぶ料理は贅を尽くしたもの、というわけでもなく、ありふれたメニューだ。パン、ソーセージに半熟卵、転生者が料理法を伝えたとされるコンソメスープ。


 料理に使われている食材の質が高いこと。並べられた食器が高級で、半熟卵も行儀よくエッグスタンドに鎮座していること。それ以外に一般的な家庭と異なるのはテーブルの大きさ、使用人の数だろうか。


 領主の館の朝の風景は、その立場からすれば質素なものだった。当主は理性的で、私利私欲に走ることも無く、内政の腕も確かなものだ。大量の転生者が領内に現れるという、いわば突発的な災害のような出来事を、王都と連携してさしたる混乱も無く乗り越えていることからもその手腕がうかがえる。


 その人柄に加えて背が低く、ずんぐりとした体格で笑みを浮かべている姿には何とも言えない愛嬌があり、地元民からの信頼も篤い。唯一の欠点と言えば…。


「ユーノは頑張り屋さんだな。先日も例の件のために、移住先の候補地を選び出したばかりか、自ら視察にまで赴いたそうじゃないか。このことを知ればヌルの領民たちもユーノを褒め讃えること間違いなかろう。いや、ともすればユーノを女神さまが降臨なされたのではないかと崇め奉り始めるかもしれん。いや、それはいかん。いかんぞ。愛すべき領民達とはいえど、さすがにユーノを女神さまと同一視しては女神さまもご不快に思われるやもしれぬ。いや…まてよ?同一視するのは不敬だとしてもユーノはワシの女神さまだから、神殿を立てて新たな女神さまが誕生したと喧伝してしまえば…」

「あなた?」

「はい。すみません」


 唯一の欠点と言えば、娘を溺愛していることと、妻に頭が上がらないことくらいのものだ。


 領主の妻は背が高くやせ型で、夫とは対照的な体型をしている。理性的で人柄に優れているのは夫と同様だが、顔立ちには年齢を感じさせない美しさがある。時に暴走しがちな領主を抑えつつ、その内政を支えてきたと言われている。


 エットを中心とする領内の治安が安定しているのは妻の功績が大きい、という噂も立つほどだが、本人はその度に緩く笑って否定しているようだ。


「ユーノ。お父様の言うことも、最初の一言だけは信用していいのですよ?あとは全て聞き流して良いけれど。貴女はとてもよく頑張っています。でもね、周囲の者からすれば、最近は少し頑張り過ぎているように見えているのですよ」

「お母さま…私は…。」


 食事の手を止め、視線をさまよわせ、言葉を探すユーノ。


 強がってみせたものの、両親の指摘はもっともだと思うし、心配をかけているのも分かってはいる。けれど、領主の娘として初めて任された仕事だから、できることなら最後までやり遂げたいと思う。ここまで上手くやれている自信も無いだけに、ここで力を抜こうとは思えない。


「ご心配いただき、ありがとうございます、お母さま。ですが移住先の候補も見つかりました。現地の魔物を掃討する冒険者についても、目途はたっています。この件はもうすぐ解決できるでしょう。お父様も、ご心配ありがとうございます。それと例の件、ご許可いただき感謝いたします」


「いや何、可愛い娘の頼みだ。どうということはないよ。しかし見事な着眼点だな。その発想、そして罪びとに償いの機会を与えようという慈愛の心。将来はさぞ立派な領主になることだろう。…当然このエットの領主だ。他領に嫁に出すなど言語道断。万が一ワシのユーノに色目を使う男でも現れようものなら、まずは去勢だな。話を聞くかどうかの検討はその後だ。よし、そうと決まれば可能性のある男をピックアップして…」

「あなた?」

「はい。すみません」


 妻からの冷たい視線を受けて一瞬、落ち着いた様子を見せた領主だが、食事を再開しないところを見ると、何やら思索にふけっていると思われた。何やら口の中で次々と人名らしきものをつぶやいているところからすると、候補者のピックアップをすでに始めているようだ。


 妻はそんな夫の様子を少しの間、眺めていた。しかし、いつものことではあるのだろう。ため息を一つ吐いてから娘の方へ向き直るのに、それほど時間はかからなかった。


 ただ娘に向ける眼差しは夫の方に向けていたそれとは異なり、優しさに溢れたものだ。どこか気遣うような気配さえ感じられる。


「ユーノ、私たちの仕事を手伝おうとしてくれる気持ちはとても嬉しく思います。けれど貴女の年頃なら、同世代の友人と交流を深めたり、もっと楽しい時間を過ごしていてもおかしくはありません」

「ですが…」

「貴女には申し訳なく思っているのですよ。領主の娘という身分では友人を作る機会にも恵まれなかったでしょうし」


 友人と言われ、ふとヌルの食堂で出会った熊獣人の女の子が思い出された。話をした時間は短かったが、気立ての良さそうな女の子だった。彼女ならば自分の身分を知っても、友達になってくれだろうか。いや、身分の違いは大きいものだ。普通ならば遠慮されて、とてもではないが対等な友人関係など…。


 そういえば、あの図々しい冒険者。名前は確か、ルイとかいった。あの日以来、姿を見せなくなってしまった。自分に対して変に付きまとわないよう注意するつもりだったので、意図したとおりの結果にはなったものの。


 去り際の、ぶっきらぼうな物言い。自分に対してあのような口のきき方をする者は、これまで居なかった。あれで対等な関係だなどと言い張るのは訳が分からないけれど。


 顔は、悪くない方だった。むしろ美形といってもいいくらいなのに、笑顔には悪戯っ子のような何とも言えない愛嬌があった。身長は、年齢を知らないので何とも言えないが、見たところ自分より少し高いくらいで丁度良い。体格は、冒険者だからといって筋骨隆々というわけでもなく、少し細め。けれど頼りないという印象は無く、充分に引き締まってバランスがとれていたと思う。


 性格は…どうなのだろうか。最初は物腰も柔らかく丁寧な印象を受けた。子供っぽい見た目のわりにどこか大人のような物言いをしていたし、考え方も…。


「ユーノなら友達をつくろうと思えば、いくらでもできるに違いない。何なら王都への留学を早めてもよかろう。それよりも先日、ユーノの持ち物を集めている変態が現れたという噂を小耳にはさんだのだが…」


 うっかり物思いに沈んでしまっていたユーノだったが、領主の言葉によって急激に現実へと引き戻された。


 ちょうどその時想像していた相手の顔はユーノを優しく諭してくれた時の、ちょっと素敵な表情をしていたのだが、急に自分の持ち物を両手に持ってだらしない笑みを浮かべた姿に変わってしまった。そのため少し動揺してしまったのだが。


「ご領主様、お食事中に失礼いたします」


 直後、領主の言葉を遮るように報告に現れた衛兵のおかげで、どうにか頭を振ってニヤけ顔のルイを追い払うことに成功する。しかし…。


「何だ?今は大切な話をしている最中なのだ。後にせよ」

「はっ。しかし第一報だけでもお耳に入れるべきと」

「貴様!最愛の娘との団欒のひと時を「あなた?」過ごしているとはいえ執務も大事だな。うむ。手短に申せ」


 領主の、正確には領主の妻による許可を得た衛兵は、領主の命令に応えて簡潔に要点を報告した。


「はっ!タイガーファングに武装蜂起の兆しがあります」

「「「!?」」」

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