第149話 あの日々のように

「今戻ったよ」

「あぁ、シンアルお帰り。お茶入れるから座っててくれ」

「ありがとう。やぁ、久しぶりにルイのお茶が飲める。やはり乳鉢じゃ…」

「っ!?シンアル!」


「ほぅ?バルバラ?茶器は水屋箪笥の一番下の段にしまってあるから、乳鉢を使うなって、わざわざ手紙でも書いたよな?」

「あぁ、小うるさいのが始まっちまったじゃないか、まったく」

「バルバラ!」

「そんなこたぁどうでもいいだろ。さっさと茶を淹れて、シンアルにも説明してやりな」

「どうでも良くない!あとで説教だからな…」


 このまま言い争いを続けていてはシンアルに茶が出せない。仕方がないからシンアルに座って待つよう改めて伝え、台所に引っ込むが…どうしたものか。


「あぁ、ルイが何故帰ってきたかは大体把握してるよ。これは聞いた話なんだがね…」


 シンアルがバルバラと話を始めた声を背に、茶を淹れながら想う。まったく、バルバラにも困ったものだ。アラカが淹れてくれたとき以外は、相変わらず乳鉢で茶を飲んでいたらしい。


 乳鉢は本来、素材をすり潰すための道具だ。ふちも含め全体的に頑丈に分厚くしてあるし、少し薄いところもあるが、それは飲み口じゃなくて注ぎ口だ。当然、口当たりは良くない。


「バルバラは、あまり知らないと思うがね、最近ヌルの様子が…」


 器の飲み口が厚いか薄いかだけでも、飲み物の味の印象は大きく変わってくるのに。面倒くさがりにも、ほどがあるだろう。


 せっかくだから美味い茶を飲ませてやりたいのだが…乳鉢を隠しちゃうか?いや流石にそんなことしたらバルバラも困るだろう。なら…注ぎ口に何か苦い汁を塗っておくとか?でもそれはそれで調合結果に影響しちゃいそうだし。


「でね、ウルガーが…」


 最後の一滴まで注いで、っと。あとお茶請けの餅だな。とと、危ね。考え事しながら運ぶとこぼれそうになるな。はぁ。…あ、そうだ!乳鉢に似た形の茶器を作るとか?乳鉢風の湯呑みっていうか、何かゴリゴリできそうな雰囲気のやつ。いや…でも口縁こうえんの厚みが問題なんだし、形状的にも両立は難しいか。あぁ、もう!


「だからね、バルバラ。たぶんルイはアラカの手紙か何かで知って、」

「もういっそのこと、湯呑みの横っちょに、”これは乳鉢です” って書いておくか」

「そう、湯呑みに乳鉢って書きにきたと思うんだよ・・・って、えぇ!?そんなことのために帰ってきたのかい?」

「この馬鹿共が…」


 うっかり考えてたことが口から出てただけなのに、何故かシンアルと二人して叩かれた。まだ何もしてないのに、納得がいかない。


 それはそうと、世話好きであちこちに顔を出しているシンアルは情報通でもあるようで、最近のヌルの街の様子は知っているみたい。それはまだしも、その状況を知った俺がヌルに戻ってくるところまで予測してたのにはちょっと驚いたけど。


「まぁそんなわけだから、当面の目標はウルガーの救出だね」

「へ?救出?ウルガーって今、どんな状態なんだ?」

「おや、ルイは…そうか。ごく最近の詳しい状況は知らないわけだね。それなら情報交換といこうか」


 シンアルの説明によると、ヌルには貧民街と呼ばれる、比較的貧しい人たちが暮らす一角があったらしい。ウルガーに誘われたことはあったけど、クヌに近寄るなって言われて、結局行かなかったんだっけ。


 ウルガーはその界隈で、手下的な人たちと徒党を組んで、用心棒みたいなことをしてたみたい。ちょっと剣呑な感じだけど、領主に立ち退きを迫られた貧しい人たちを護ってたみたいだから、一概に悪い人たちではなさそう。まぁ領主側にも事情はあるだろうし、善良とも言えないんだろうけど。


 で、あまりにウルガーが邪魔するもんだから領主様に捕まった、と。正確にはユーノさんに、か。けどそれじゃあ…。


「簡単に言えば悪いことして捕まった犯罪者なわけだけど…救出なんてできるのか?ていうか救出していいのか?その状況で」

「できるかどうかについてはクヌが、ルイならあるいはって言ってたんだろう?その方法については想像がつくけど、まずはクヌ本人に会って聞いてみるべきだね。救出していいか、救出した方がいいかどうかについては…これもルイ自身が判断した方が良さそうだ。取り合えず、タイガーファングを訪ねてみたらどうかな」


 んー。確かにシンアルの言う通りだ。アラカの手紙に応じて来てはみたものの、やっぱり自分自身で確かめてみないと。話はそれからだな。


「うん。じゃあ明日ヌルに行って、それから色々と判断することにするよ。…さて、これからのお話は、ここまでだな。せっかく帰ってきたことだし、これまでのお話をするとしようか」

「ふん、聞くまでも無いさ。手紙であらかた知ってるよ」

「ふふっ。何度も何度も読み返してたからねぇ…ほぐわぁ!?目が、目がぁ!?」


 たったの2滴。俺が少しこぼしかけていたために湯呑みの側面に付いていたお茶の雫を、バルバラが人差し指で弾いた。結果はのたうち回るシンアルを見れば言わずもがな。バルバラ…恐ろしいヤツだ。まだこんな技、隠してやがったのか。あとで教えてもらおう。おっとそれはさておき。


「バルバラ?お茶の一雫でも、食べ物や飲み物を無駄にしちゃだめだぞ?」

「悪かったね。ふんっ」


 困ったものだ。普段はこんなことしないし、つい照れ隠しが過ぎたのであろうことはパタパタとせわしなく動く耳からも分かるけど。ふふん。そうかそうか。手紙を何度も読んでくれてたのなら今日ばかりは許してやらんことも無い。


「それじゃあまずは、エンに行く道中からだな。あの日は春らしい、とっても良い天気で…」

「そんなとこから話し始めたんじゃ、日が暮れちまうだろ。エンに着いた後からにしな」

「ねぇルイ?バルバラ?私を放ったらかしにして話を進めるのはひどいんじゃないかな?せめて目を拭うものを取ってくれよ。前は見えないし、ちょっと目が渋い感じだし…あぁ、ありがとう。やれやれ…ってこれ、さっきこの机を拭いてた布じゃないかい?」


 時折目を細めて聴き入るバルバラ。柔らかく微笑んでうなずきながら話を聞くシンアル。そんな二人に、俺は身振り手振りを交えつつ、夜遅くまで話をしてやった。1年分の感謝を込めて。

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