第84話(閑話)ワウミィ

「…行ってしもうたか」


 ルイの姿が見えなくなり、ワウミィは気が抜けたかのような一言を漏らす。少し放心したのち、自分の右手が未練を残すように上がったままだったことに気づいて、ゆっくりとその手を下ろした。


 泣いてすがるような別れではない、とはいえ寂寥感はどうしようもない。この夏は、これまでの人生で最も充実した夏だったのだ。


 ワウミィの家系は戦いに優れた者を多く輩出してきた。いつの世代の頃からかこの村との縁が生まれ、アングラウ討伐を請け負うようになり、家の者が交代で村に滞在し、その役目を果たしてきた。


 自分も例に漏れず才能に恵まれたようだ。10年前の戦いにおいて幼いながらも活躍することができ、今年はアングラウ討伐の任に当たった。その生き様に疑問を持ったことは無いし、今でも不満は無い。だが、それにしてもこの夏は楽しすぎた。


 幼い頃から訓練に明け暮れた。努力した分、強くは成れたが、子どもらしく遊ぶ時間や人と交流する時間は当然少なかった。大人になってからは大人らしく振舞うことが正しいように思われ、かといって人との交流が急に上手になるわけでもなく。


 この村で過ごす間、女連中は親切にしてくれるし、自分の容姿が男衆の目を惹くものであるという自覚もある。決して、周囲から受け入れられていないとは思っていない。だが距離感とでも言おうか。戦いを生業とし、容姿端麗であることから逆に、孤高の花のように扱われている雰囲気も感じてはいた。


 トヴォでの暮らしは多少の交流、多少の楽しみはあれど、アングラウを討伐するという、いわば仕事をこなすかのような滞在。そんな日々を過ごしていた時に…ルイが現れた。


 浜辺で見事な杖術を披露する少年。村ではまず見かけない転生者であり、やや遠くに天使とポワ・クルーを連れている。そのような異質な存在では目的も知れず、当初は警戒感を持っていた。しかし、すぐに霧消した。


 レベル的にそれほどの強さを感じなかったこともあるが悪意のない言動、行動、何よりも無邪気な目をしていた。それでも念には念をと監視の意味を込めて、当分は自分の手元に置いて様子を見ようと思ったのだが…それは成功だったのか失敗だったのか。


「ふふっ」


 自らも出立するため家の中に戻り、荷物を手にする。視界に入る土間に三和土たたき、朝夕の食事で囲んだ囲炉裏から障子のシミまで。たった数か月の共同生活だが、どれを見ても様々なことが思い出される。どれもこれも、笑みがこぼれるような内容ばかりだ。


「本当に、妙なものを拾ってしもうた」


 共に食事をする暖かな団欒など、心地良い時間だけではない。価値観や考え方の違いから生じる行き違いや新たな発見。数々の料理やスイカ割りなど、どれも新鮮な経験で興味深い出来事ばかりだった。


 それだけならば他の転生者でも同様の生活と成り得ただろうが、そこにルイの人柄が色を添えた。感情豊かで子どもっぽい態度をとるかと思えば、妙に大人のような考え方をする。優しい中にも強い芯のような部分がある。何とも不思議な少年だった。


「またいずれ…そう、またの機会があるからこそ、じゃな」


 ギルドカードを取り出し、眺め、想う。アングラウ戦が終わった後、パーティを解散しておこうという話になった時のこと。ルイはカードを取り出し、”お疲れ様!また、よろしくな!” と言いながら自分に向けて掲げた。その時の笑顔は活力に満ち満ちた、途方も無く魅力的なものだった。まだまだ未熟な少年ながら、一つの冒険を終えたという達成感が、確かにそこには有った。


 冒険者にとって冒険は生活の糧を得るための仕事、そう割り切る者も多いし、事実自分もどこか義務感のようなものを感じていた。だが気づいたのだ。


 そこに深刻な事情があったとしても、例えば村人たちの今後の漁の行方、例えば幼馴染を失った10年前の背景、例えば転生者に対する地元民の意識改善など、成否が後に甚大な影響を与えるほどの事情があったとしても。襲い来る荒波をこのような笑顔で乗り越えていく者が、この世には存在するのだと。その生き様の、なんと眩しい事か。


 そう気づいてからは、自身の日々の生活までもが鮮やかに色づいた。漁も、食事も、訓練も遊びも、これほどに楽しくなるものか。なるほど、幸せになるに自らの生活を改める必要はない。ただそこに楽しみを見出すだけで良いのだ。


 泳ぐのが苦手なはずの自分が、躊躇なく夜の海に飛び込んだ。水に対する恐怖などは微塵も無く、ただ一刻も早く、あの銀髪の少年の下へとたどり着くことしか考えていなかった。その身を抱きしめた時の安心感たるや…その後、漁師たちに助けられる段になって初めて、後先を考えていなかった自分に愕然としたものだが。


 無事に助けられたから良かったものの、一歩間違えれば心中である。普段は冷静

なはずの自分が前後不覚に陥っていたことには驚いたが、しかしながら納得もしている。


 あれは、掛け替えのないものだ。一時も失ってはならないものだ。抱擁に喜んでか、だらしなく緩む顔さえ愛おしい。自分だけではない、疑心暗鬼にとらわれていた村人たちをも笑顔に変えたことからも分かる。周りを巻き込んで幸せにしていくような、そんな稀有な存在だ。


「また会える。その時を、そう。楽しみにしておこう」


 再会を待ちわびる。ただそれだけで、ルイに再び会うまでの時間を幸せに過ごすことができる。確証はなくとも、そう思えた。荷物を手にし、戸口へと向かう。


 引き戸を開けると、夏の終わりの柔らかな日差しが差し込んだ。

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