包帯の男
手紙 (母からの手紙の中略部分を一部抜粋)
何故なら13丁目は、とても不思議な町だからです。
同じ空の下にあるにも関わらず、他の町とはまるで違う世界なのです。
実はあの町は『人ならざる者』が暮らす世界なのです。
彼らの呼び名は、
「
花の口から、母に教えられた言葉が漏れた。
母の言う通りだった。
何もかもが違う。住人も、風景も、雰囲気も。空気さえ不思議な匂いがあって、吸い込むと心なしか甘いように思える。
(ここは本当に異世界だった……!)
足が竦み、リュックの紐を握る手は汗ばむが、
(い、行かないと)
進まないといけない。そうしないと、目的の人物には会えないのだから。
花は目を閉じて深呼吸をする。
(大丈夫よ)
13丁目でも、この国の法律が適用されていると聞いたことがある。いざとなれば警察に行こう。それに自分は、月城町で最も治安が悪い場所で生きてきたのだ。
(ギャングに絡まれても、スリに全財産を取られても、奴隷商人に誘拐されそうになっても、ケルベロスみたいに凶暴な
急に襲ってくる彼らに比べたら、妖はまだ安全だ。母が言うには、こちらが悪意を向けなければ、妖は何もしてこないーーらしい。
花はゆっくりと瞼を上げた。
「っ!?」
見えた世界に、花は心臓が飛び出るくらい驚いた。
「「「……………」」」
突き刺さる複数の視線。
花の周囲はカラフルな髪と着物で埋め尽くされた。
(なっ……!?)
たった数秒だけ目を閉じている間に、花は囲まれていた。
彼女の前後左右にぐるりと立つのは、さっきまで店で売買していた住人たちだ。花よりも大きい彼らの身体が壁となり、13丁目の町並みは見えなくなっていた。それだけの多人数が集まったのに、音も気配も無かった。
『ーーうわぁ、これは人間の子だね』
集団の中の誰かが言った。それを皮切りにざわついていく。
『あらあら、迷子かしら?』
『それとも怖い物見たさで来たのかね?』
『どちらにせよ迷惑だねぇ』
『どちらにせよバカだねぇ』
クスクスと笑い声。花は背筋がスーッと冷たくなる。彼らの口は全く動いていないのに何故か声は聞こえてくるし、花を嘲笑っているはずなのに無表情なのだ。
『それにしても貧乏くさい娘だね』
『小さいし、細っちょろい』
『こいつは貧民区域の出身だな』
『いや、若いと言うだけで美味そうじゃないか?』
『おやめ。薄汚い人なんか喰ったら、食あたりを起こすわ』
(っ! た、食べられる!?)
焦った花は口を開いた。
「私は迷子じゃないんです!」
『うわぁ、喋ったよ』
「こ、怖いもの見たさでもありませんっ、話を聞いてください……!」
『こいつ、声が震えているよ』
『みっともない。怖いのなら、さっさと帰ればいいのさ』
『誰か駅まで連れて行きなよ。人間の足だと彷徨うだろうからね』
『やだよ。俺はお断りだよ』
「私は
「ーーは?」
初めて、目の前にいる妖の口が上下に動いた。
「こ、近衛だって?」
頭に熊のような耳が生えた女の妖だった。やや甲高い声は、確かに彼女の口から出ているものだ。
他の者も次々と開口していく。
「これはどういうことだ?」
「何でこんな小娘が、近衛さまを?」
「それも、あの二郎さまだぞ?」
「おい、これは大変なんじゃないのか?」
妖たちの無表情は崩れ、様々な感情が表に出ている。困惑、混乱、怯えて青ざめている者までいた。
(どうして?)
戸惑っているのは花も同じだ。
〝近衛二郎〟という名前を聞いただけで、何故ここまで妖たちの態度が変わったのか?
「あの!」
花が言うと、水を打ったように妖たちは静まる。
「実は私のお兄ちゃんと、近衛二郎さんが知り合いなんです」
「知り合い……?」
眉根を寄せる妖たちに、花はこくこく頷いた。
貧民街である10丁目出身の兄と、近寄ってはならない13丁目で暮らす近衛二郎。
どういう知り合いかは分からないけど、きっと親しいのだろう。そうでなければ花への手紙に、近衛二郎の名前と住所を残すはずがない。
「でもあんた、近衛家の階級は貴族ーー」
熊の耳の妖が、花に何か言おうとしたその時にだった。
(え?)
急に花の視界がぐるっとした。次いで、身体が窮屈になって動けなくなる。
(なに!?)
足が地面から離れ、自分の身体が持ち上げられたのだと気付いた。叫ぼうとしたが、同時に顔全体が何かに塞がれ、口と視界が閉ざされる。
「た、
「狸が出たぞ!!」
「ひぃっ、攫われちまった!」
妖たちの声がだんだん遠ざかっていった。
手紙 (母からの手紙の中略部分を一部抜粋)
妖はとても不思議な生き物です。 しかし悪さをしない限り、彼らは人間を襲いません。
それでも13丁目を〝近づいてはいけない町〟である理由は、とても恐ろしい妖がいるからです。
13丁目では〝会ってはならない妖〟が2体います。
そのうちの1体は〝狸〟です。
身体が黒い毛におおわれ、背は天井よりも高く、お相撲さんのように大きな妖です。
この狸には大好物があります。
それは、
ーーーーー
「人間の肉ぅ……」
涎を垂らしながら、花を見下ろしてくる者がいた。
(あっ……)
その者は真っ黒の体毛と、花よりずっと大きな巨体を持っていた。
「狸……なの?」
花が無意識に呟くと、相手はくつくつ笑った。
「ほう。お前は俺を知っているのかい? そうだとも。俺は狸だとも」
(うそ……!)
鳥肌が立った。
会ってしまった。
母が会ってはならないと教えてくれた妖に、近衛二郎より先に遭遇してしまった。
「ずいぶんと驚いてるね? 俺も驚いたさ。久しぶりに町に出たら人間がいるとはなぁ。くく、ついているなぁ」
ざわざわと木々が揺れる。狸に連れてこられた場所は森のような場所だった。聞こえるのは風と葉の音だけで、ここには狸と自分しかいないことが嫌でも分かる。
「じゃあお嬢さんは、俺の好きな食べ物が何なのかは知ってるかね?」
「っ!!」
花の小さな肩がビクッとした。
「くくく。その反応はどうやら知っているみたいだねぇ。そうだとも。俺は人間の肉がーー、特に子供の肉が好きなんだとも」
(ど、どうしよう)
ここでは誰も自分を助けてくれない。後退りをすると、数歩で背中が木にぶつかった。
(走る……?)
無駄だと一瞬で悟る。足の速さには自信があるが、この妖から逃げられるとは思えない。
「おやおや、お嬢さん、泣いてるのかい?」
いつのまにか目から涙が出ていた。身体は震え、歯がカチカチと鳴っている。
この町に来るんじゃなかったーーと、花は初めてそう思った。
ずっと生き延びてきた。
ギャングに絡まれても、スリに全財産を取られても、奴隷商人に誘拐されそうになっても、ケルベロスみたいに凶暴な野良犬に追いかけられても。
(お兄ちゃんが〝月城町13丁目へ行け〟って言った。そのせいで、今こんな目にあっているのに)
それでも思い出すのは兄の顔だった。
だって花が危ないときは、いつも兄が助けてくれたからだ。
ーー〝誰の妹に手ェ出してんだコラァ!!〟
相手が誰であろうと、そう言いながら、いつも駆けつけてくれた。いろんな怖いものから守ってくれた。花だけでピンチを切り抜けたことなんて無かった。
「怖がらなくていいんだよ。頭から食べてあげるからね。脳みそがなくなれば、怖いことを考えなくて済むだろう?」
狸の太い腕がゆっくり動いた。
「……おに……ん」
花の頭部を掴もうと、狸の手のひらが広がった。大きな影が降ってきた瞬間、花は今度こそ叫んだ。
「助けて、お兄ちゃんーーーーっ!」
ーーーー『ゴトッ』
悲鳴をあげた直後だった。
奇妙な音がした。
花は痛みも苦しみも感じなかった。恐る恐る目を開けると、眼前には狸の手がある。しかし黒い手は、花の金色の髪に触れる寸前で止まっていた。まるで時間が止まっているように動かない。状況が分からないでキョロキョロすると、不意に恐ろしい物が見えた。
「っ! いやあああ!」
花はまた叫び、その場にへたれ込んだ。
「く、首……っ!?」
見間違いではなかった。
花の右斜め前ーー地面の上に狸の首がある。首は逆さまの状態で転がっていた。断面部分から血ではなく、黒い霧のようなものが出ている。
「さ、さっきの変な音って、まさか」
「うん。そうだとも。俺の首が打ち落とされた音だねぇ」
「ひっ!?」
首が喋った。狸は生きているらしい。
首を失くした狸の体はぐらりと横向きに倒れ、重々しい響きと共に土煙を上げる。
花を襲う驚きはまだ終わらない。
巨体がなくなった後、次に視界に映ったのは細い身体だった。
男だ。濃紺の着物を纏う男。
(人間?)
男には、妖特有の獣の耳や尻尾が無い。
でも珍しい特徴はあった。
それは、顔の包帯だ。
男は顔のほとんどに白い包帯を巻いていて、左目と鼻と口元しか出ていない。年齢や人相は判断出来ないが、彼の髪と瞳が真っ黒であることは分かった。
「お嬢さん。そいつの左手を見てごらん。あれが俺の首を斬ったのさ」
言われるがままに目線を移すと、男は短刀を持っていた。不思議だった。狸は一滴の血も流していないのに、男が持つ短刀は血で汚れていた。
「やれやれ。人間の頭を食べようとしたのに、自分の頭を落とされるとは。それにしても面白い男が来たもんだ」
狸はくつくつ嗤う。
「久しいなぁ、引きこもりの次男坊よ。あまりに見かけないから、屋敷の奥でカビでも生やしているのかと思ったよ」
「慎みなさい。我が主を侮辱することは許さぬぞ」
どこからともなく1羽の#梟__ふくろう__#が現れた。男と狸の間に立ち、狸を威嚇するように睨みつける。
狸が舌打ちした。
「ふん。俺が話したいのはお前じゃないね。なぁなぁ次男坊、
「狸殿、帰られよ」
男が初めて口を開いた。
花を見下ろしていた左目が、狸へと向けられる。
「僕は、貴方と戦いたくはない」
声は、若かった。決して大きくはないのに不思議と聞きとりやすい。
(……ふむ。こいつが今着ているのは、家着だな)
男をじっとり見つめる狸。
男が着ているのは濃紺の着物1枚だけだ。長襦袢が見えない。長襦袢は和装では下着の役割を果たすもので、着ていれば襟元の部分から一部分が見えるはず。
さらに男は羽織も持っていない。家でくつろいでいるような軽い装いだ。足に至っては素足だったのでさすがに驚いていると、梟が威嚇を強めるように羽を大きく広げた。そこから2枚の下駄がボロボロ落ちてくる。
(……こいつまさか、ここまで走っていきたのかい?)
想像する。
慌てて履いた下駄が走りづらく、男が途中で脱ぎ捨てた。それを従者である梟が拾う様子を。
(足袋も草履も履かずに、外着に着替える余裕も無かった? 息一つ乱していないようにみえるが、実は急いで外に飛び出したってことかい? 何故だ? 伝統ある町の祭や行事にさえ顔を出さないこの男が……?)
まさか、と狸は思う。
(この娘のためかーー?)
この人間を助けるために、男は現れたのか?
だとしたら、この娘は一体……?
(ーーまぁ何にせよ、次男坊といきなり戦うのは厄介だ)
狸の首と体に異変が起きた。断面図から出ていた黒い霧が、狸を包みこんでいく。
「安心しな。今日は帰るよ」
狸はニィと笑って、
「じゃあね。〝狐〟によろしく言っといておくれ」
そう言い残すと、スッと跡形もなく消えた。
(……たすかった……?)
彼らのやり取りを茫然と見ていた花は、狸が去ると全身から力が抜けた。
(……助けてくれたの? じゃあお礼を、言わないと)
そう思うのに身体が言うことを聞かない。
(……だれなの?)
包帯の男の人。
(あなたは誰なの?)
そこで花の意識は途切れた。
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