第339話
クルルの発言により議論は続くも、やはり利益が相反するせいで上手く纏まらない。
それでも話を続けているうちに少しずつだが進んでいっているようには思う。
ダマラスも回復して椅子に座って俺の方を見ている。
「なぁ、後でもう一回やらないか?」
「しない。次、襲いかかってきたら衛兵に突き出すぞ。というか、壊れた武器の代金払えよ。無駄遣いしたら嫁に怒られるんだよ」
「……ランドロス、お前……あの歳の子供の尻に敷かれているのか……?」
尻に敷かれているわけではない。
ただちょっと惚れた弱みで頭が上がらないだけだ。
ネネには比喩表現ではなく尻に敷かれているが。
会議が終わったのは街並みが夕暮れの色に染まった頃で、クルルも発言力を得てしまったせいで意見を発する必要が出来たためグッタリとしている。
なんだかんだと丸く収まりはしたが……剣刃の洞の老人が満足そうな表情をしているのが少しイラっとしてしまう。
先に降参されたせいで面倒ごとを押し付けられた形だ。
クルルの叔父らしい男は大人しいもので、時々周りを見回してはニヤニヤと笑うだけで少し不気味だ。
部屋の修繕はどうするのかと思っていると超司祭が土魔法で手早く直していた。おそらく、元々暴れてもすぐ直せるようにしてあったのだろう。
会議が終わるとクルルは俺の手を握って少し急ぎ気味で外に出る。
「……あの男ならまだ会議室でゆっくりしているようだぞ」
俺の言葉を聞いたクルルは分かりやすく安堵した表情を浮かべる。
何かあったのか……? いや、何かあったに決まっているか。そもそもまだ幼いクルルがひとりで迷宮鼠にいること自体が不思議だ。
愛する女性のことだ。気にならないはずがなく……だが、聞きたいという感情をグッと抑えてクルルの手を握る。
話したければ話すだろう。俺はそれを聞いて、助ける必要があれば助けるだけだ。
そう考えていると、クルルは夕焼けで伸びる影を掴もうとしながら、ポツリと口を開く。
「お父さんとお母さん、あのギルド……というか、うちの家系が嫌で迷宮鼠に逃げたの」
「……ああ」
その手の仕草が寂しげで、寒そうに見えて体を抱き寄せる。
「……私って、一目見たらその人がどんな人かだいたい分かるって言ったよね。実は私の特技じゃなくて……血筋の人ならみんな出来るの」
「嘘を見抜いたり出来るアレだよな?」
「うん。昔お父さんから教えてもらったことで、詳しいことは覚えていないんだけど……。人の顔の弁別能力? っていうのがひとよりも高いらしくて、それで分かるんだって。産まれた時からそうだったから、他の人とどう違うのかは分かんないんだけど」
まぁ、詳しいことは分からないが、人の顔から人格や感情を読み取るのが人よりも得意ということだろう。
……改めて考えるとすごい能力だな。ギルドマスターに向いているというか、人を使うのに非常に有利に働くだろう。
「羨ましいな」
「……だから、私は人と信頼関係を築けない」
クルルはそう口にしたあと、ハッとした表情で首をパタパタと横に振る。
「って、昔、叔父に言われたの。酷いよね全く」
その言葉は取り繕ったようなものだった。
いや、叔父に言われたのはきっと確かなのだろうが……今の気にしていないような態度は、多分嘘だ。
秋の風が俺とクルルの間を吹いて、その風をせき止めるようにクルルの方へと身を寄せる。
「……意味が、よく分からないな。人のことがよく分かるのと、信頼関係が築けないことに関わりがあるのか? むしろ逆じゃないか」
「事実は信じるということとは逆だよ。ランドロスの目が紅いとか、髪が黒いとか……そういう事実を言うのと同様に、ランドロスは優しくて私を大切にしてくれているって見て分かるだけなの」
「それは……信頼とは違うのか?」
「……うん。見たままの事実だからね。信頼っていうのは、どちらか分からない状態で信じてあげられることだから」
寂しそうな顔を見て、堪らずにクルルの身体を抱き寄せる。
「……たぶん、クルルが思っているより……俺はダメな奴だぞ」
「……ううん。そんなことないよ。分かってて好きだから」
「あと、間違いなく、クルルは勘違いをしている。クルルが見えている数十倍はクルルのことが好きだからな。本当に全部分かっていたら、俺からの好意が大きすぎてもっとビビっているはずだ」
クルルは冗談だと思ったのかクスクスと笑う。
……まぁ、人よりかは人を観察する力が優れているのは間違いないだろう。だからシルガを止められたわけだしな。
握った手を手繰り寄せる。歩いているうちに夕暮れも終わり、人がいない薄暗い時間に差し掛かっていた。
ゆっくりと腰を屈めて、その小さな背中を抱き寄せる。
俺の意図に気がついたのか、クルルはゆっくりと目を閉じようとして、パッと開く。
「ら、ランドロス、だ、ダメ」
「なんでだ? 嫌そうには見えないが……恋人だろ」
「そ、それは、そうなんだけど……あっ……」
クルルの視線は俺の後ろを見ていて、顔を青ざめさせる。
どうかしたのか……と思いながら空間把握の範囲を広げると複数の人影がこちらを見て立っていることに気がつく。
ゆっくりと振り返ると……いつもギルドで見るが、あまり話はしない少し俺よりも年長の奴等と目が合う。
クルルに視線を合わせてキスをしようとしていた体勢のまま目が合う。
「……」
「……」
不味い。
非常に不味い。何が不味いとか、そういうことを冷静に考えるまでもなく不味い。
……いや、だって……なんだかんだと、カルアやシャルは俺と結婚したことを自慢していたりしていて、二人と結婚していることはそこそこ知れ渡っているし、その状況でクルルにキスをしようとしているところを見られてしまった。
……普通に、子供相手にそんなことをしようとしているところを見られるのでさえ不味いのに、浮気の現場であり、なおかつみんなが幼い頃から可愛がってきていた少女だ。
…………これは、終わったな。
俺はクルルの手を引いて逃げ出そうとして……けれども、人ひとりを抱えた状態で、何人ものベテランの探索者から逃げられるはずはない。
土地勘も彼らの方があるのだ。
あえなく捕まって、無言、無表情の彼等に縛り上げられ、ギルドへと連行された。
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