第280話

 土下座の体勢のまま、俺の知っていることを話すことにする。


「院長先生の方が詳しいと思いますので細かい話はそちらに聞いていただきたいのですが、簡単に話しますと、戦争の影響で資金難に陥ってしまったそうで、孤児院への予算を打ち切ったそうです」

「……う、打ち切ったって……本当ですか?」

「具体的な話は院長先生に聞いてもらいたいのですが、そうですね。……そもそも、元々の予算だって雀の涙で、子供に満足な食事さえ与えられない状況だったわけですが。……シャルさんの身長が年齢の割に低いのもそのせいだと思いますよ。半年前に再会したときは……ぼろぼろのガリガリになっていたので」


 あのままではシャルは飢えて死んでいただろう。

 だから、命の恩人である俺との結婚を許せとは言わないが……ほんの少し思うところがないわけではない。


「それで……出資…….というか、寄付を……」

「まぁ半年ほど前からと短い期間ですし、金を出しているだけで実際には先の商人と院長先生頼りですが」

「……それら、娘がいたから……ですか。今も寄付をしているのも、娘が暮らしていた場所だから、ですか」


 父親の言葉の真意はすぐに伝わる。

 俺がシャルを金で買うようなことをしているのではないかと疑われているのだろう。俺だけではなくシャルにも失礼なので気は悪いが、冷静に首を横に振った。


「……シャルさんを助けるために寄付をしていますが、別にシャルさんが自分の妻や恋人になることはなくても寄付はしました。……一度振られましたが、それからも寄付はしましたし、決して金銭の授受と恋人や婚姻関係には関わりはありません」


 あくまでもシャルとの関係はお互いの愛や恋慕によるもので、金銭的な援助は無関係だ。そう強調すると、父親はほっと息を吐く。


 俺にもシャルにも非常に失礼な話ではあるが、状況的に俺が孤児院を人質に取って金銭の援助の代わりにシャルの身を求めていると思われても仕方なくはある。


 実際シャルや孤児院は俺の寄付がなければ厳しく、なおかつ俺は四人も嫁がいる女好きな馬鹿男だ。疑われるだけの下地はある。


「……それは分かりましたが、私達にとって大切な娘です。妾にするのは……」

「いや、妾というでは……」

「……正妻ですか?」

「いえ、特にそう言ったことは決めていないので……。最初に結婚したのはシャルさんではありますが……」


 ……一応シャルが正妻ということになるのだろうか。あまり扱いに差は付けたくないが……そう言えばシャルとカルアが少しこだわっていたのを思い出す。


「……シャルさんが不幸になることは決してしません。何に変えようと、幸せにします」

「……まだ幼い子供を、親と過ごさせるのが幸せだとは、思ってくれませんか?」


 シャルの父親の言葉に、頭の裏が熱くなる感覚を覚える。

 頭を深く下げながらも「どの口が言っている」と考えてしまう。


 幼いシャルを人にあずけて行ってしまったくせに、俺がいなければシャルは死んでしまっていただろうと言うのに、あれだけシャルを寂しがらせて悲しませた癖に……!


 と、思ってしまったが、決して頭はあげない。

 不満に思うことはある。理不尽も感じる。卑怯だとも思うし、誠実さも欠けているように思える。


 けれど、それでもシャルを愛している、シャルにも愛されている両親であり……喧嘩別れのようなことだけはさせたくない。


 多分、シャルにどちらについて行くかを尋ねれば俺を選ぶ。前にした話だとかは関係なく、目が覚めたあとのシャルの視線は明らかに俺の方に向いていた。


 シャルは俺を選んでくれる。だから、だからこそ……深く頭を下げる。


「思います。俺も、母に先立たれたときは……寂しく思いました」

「なら、分かってくれませんか?」

「……きっと、あなた方ふたりも、シャルさんにずっと会いたいと、一緒に暮らしたいと願いながら従軍していたのだと思います」

「ええ、もちろん、そうです」


 雨が屋根を打つ音が強くなっていく。

 父親の声はそんなに大きくないはずなのに、うるさいぐらいの音がそこら中で鳴っているのに、それでも彼の声はよく響いて聞こえた。


「分かっていただけますか?」


 分からないはずがない。母との死別でどれだけ苦しみ、どれだけ人を憎んだことか。

 けれど……この話の本質はそこにはない。


 雨音の中でもちゃんと聞こえるように、後ろめたい気持ちを抑えながら父親の目を真っ直ぐに見てゆっくりと口を開く。


「……シャルさんは、シャルは俺を選びます。勝手なことを言いますが……。多分、無理矢理連れて行っても、抜け出して俺のところに来ます」


 シャルは心が強いし、頭もいい。街から街へ移動することも出来なくはないだろう。

 当然幼い少女の一人旅なんて危険な真似をさせるつもりはないが、もしもそうなったらそうなるであろうことは確かだ。


 俺の言葉に閉口した父親に目を向けて続ける。


「親子の愛は間違いなく強いものでしょうし、尊く大切なものです。分かっています。ですが、シャルは俺と結婚してくれました。「子供だから考えなしに」したわけではありません。俺が騙してしたわけでもありません。……ちゃんと考えて、決めてくれました。今までの人生の数倍の時間を一緒に過ごしてくれると決めてくれました。それは決して易いものではありません」


 もう一度、地面に額を押し付ける。


「勝手なことを言います。シャルは俺の元に来ます。だから……シャルを「親を捨てた娘」にさせないであげてください。俺と両親を選ぶということをさせないであげてください」


 父親からの返事はない。

 怒っているのだろうか、顔も見えず声も聞こえない状況では確かめようもない。

 対して長くもないだろう時間。けれど俺にとってはあまりにも長すぎる数秒の間。


 理不尽なことを言っている自覚はある。身勝手にもほどがあることを言っていると分かっている。だが、だからこそ、それでも引くことはできない一線だった。俺の言葉には一つの嘘もない。


 俺と両親の意見が分かれれば、シャルは俺を選ぶ。俺を選ぶということは両親から自分の意思で離れていく親不孝者になるし、それはシャルが傷つくだろう。


 喧嘩をしてはならない。譲ってはならない。

 理不尽でも、卑怯でも、俺はシャルを守る必要がある。相手が、シャルを愛していたとしてもだ。


 優しげな声が雨音に紛れるかのように聞こえる。


「……親子で暮らしたかったんですが、本当に……シャルはそれを望んではいないんですね」

「……いえ、シャルさんは、多分ご両親とも、俺達とも一緒に暮らしたいと考えていると思います」

「……ランドロスさん、あなたは正直ですね」


 深く頭を下げたままの俺に父親は言う。


「シャルも交えて話しましょうか。この天気ですし、ゆっくりと」

「ありがとうございます。本当に申し訳ございません」


 よかった。これで少なくとも、シャルが親不幸なことをしてしまったことで傷つくことはないだろう。

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