第269話
シャルは赤い顔を俺に向けたまま、俺が書き終えたばかりの手紙をギュッと握る。
「……その手を離すんだ。シャル」
「嫌です。僕に対するお手紙ですよね。僕がもらう権利があるはずです」
「……別に名前は書いてないだろ」
俺とシャルが二人で紙を持って軽く引っ張り合っていると商人がひょっこりと覗き込む。
「えっ、じゃあアタシにですか? わぁ……こんなに思われていたなんて……照れますね。まぁ野生同然に過ごしていたランドロスの旦那を救ったのは事実ではありますが。愛しているだなんて」
「えっ……」
シャルの目が商人を見る。
「えっ……」
シャルの目が俺を見る。
「いや、違うからな。どう考えても違うだろ。貴女って書いてあるだろ。こいつはどう見ても小汚いおっさんだろ」
「えっあっ、そ、そうですよね。……あっ、ち、違いますよ。小汚いおっさんではなく、小綺麗なおじさんです」
いや、顔が少し脂ぎっていて小太りな汚いおっさんだよ。
商人をシッシッと追い払ってから、シャルの手を離させようとする。
「……書き直すから、離してくれ」
「嫌です。このお手紙がいいです。くれないと拗ねますよ。今夜一緒に寝てあげないですよ」
「……脅しには屈しない」
「ちゅーしてあげないですよ」
「……一日ぐらい我慢出来る」
「僕は……とっても寂しいですけど」
そう言いながら俯いたシャルを見て、思わず手を離してしまう。
シャルはパッと顔を上げて「えへへ」と笑い、俺の手紙をギュッと胸に抱く。
そんなに嬉しかったのだろうか。……俺は死ぬほど恥ずかしいが……シャルが嬉しいなら、まぁよかった。
上機嫌なシャルを見ていると、途中で少し迷ったような考える表情をする。
「どうかしたのか?」
「ん、いえ、ランドロスさんからいただいた恋文をカルアさんとかマスターさんに自慢するか、それとも独り占めするかで悩んでました」
「……自慢したら二人にも書かされそうだから止めてくれ。そのあと、ネネにだけ書かなかったら拗ねるだろうし」
「んっ、それもそうですね。あっ、書き損じの分も全部欲しいです」
「それは勘弁してくれ……」
本当に恥ずかしいことばかりを書いてしまっていた「君は俺の太陽だ」とか「シャルと出会うために産まれたんだろう」とか、もうなんか死にたくなることばかりだ。
絶対に渡すわけにはいかないと思っているとシャルがこてりと俺の方に頭を倒す。
「くれたら、僕の持ってる物なんでもあげますよ」
「……えっ、それは……シャルの私物をもらえるということか!?」
「旦那の発言って基本的に若干の気持ち悪さを孕んでますよね」
「ほっとけ」
とにかく、シャルの私物をもらえるというのなら……と考えてしまう。書き直す前の手紙を渡すのは嫌だが、けれどシャルの私物は欲しい。
服とか、髪留めとか、靴下とか、スプーンやフォークなどの食器やコップ、匂いの染み込んだお気に入りの毛布……あと、まぁ…………肌着や下着などもか。
シャルの下着……。いや、別に下着をもらおうと考えているわけではないが……シャルの下着……。
「……ギルドに帰ったら渡すか。書き損じた紙も結構多いから今渡したら邪魔になるだろ。その手紙も貸してくれ」
「えっ、あっ……ん、んぅ……もう一度読み返すのでちょっと待ってください」
「……いや、俺の前で読み込むのはやめてほしい。……それより、シャルも俺宛てのを書いてくれたんだよな」
「あっ……んっ、そ、それは……その……書きましたけど、ランドロスさんのほど素敵ではないですよ?」
「俺のは素敵でもないだろ。シャルから貰った言葉なら何でも嬉しいから大丈夫だ」
シャルの下着をもらうという約束を一時的に忘れるために話を少し変える。
どういう下着をもらえるのだろうか。……欲を言えば、使い古したものを脱ぎたてがいい。
気持ち悪いのは自覚しているが、もうすでに誰からも気持ち悪いと思われているだろうから今更だろう。
「ん、んぅ……は、恥ずかしいので、やっぱりなかったことに……」
「……書いている途中のを覗いたのにな」
「そ、それは……じゃあ、せめて……僕のいないところで……」
「俺は書いている途中のを見られたんだけどな。書き直したのも全部渡すんだけどな」
「う、うぅ……わ、笑ったりしないでくださいよ」
「シャルがニコニコとしたのと同じ理由でならいいか?」
「だ、ダメです。真顔で、真顔で読んでくださいっ!」
いや、ラブレターを真顔で読むのは難しくないだろうか。すでにニヤつきを抑えられそうにない。だが、あまりごねるとシャルからもらえなくなる可能性もあるのでとりあえず頷く。
最悪、空間魔法で閉まってしまえば取り出しようがなくなるのだ。受け取ってしまえばこちらのものである。
再度「笑わないでくださいね」と念押ししたシャルから手紙を受け取る。
『 拝啓
夏の暑さも終わり、風には落ち葉の匂いが混ざるような季節になりました。ランドロス様は常日頃から僕たちのことを気にするあまりに自分のことを後回しにしている様子がお見受け出来、秋風による冷えなど、失礼ながら少し心配に思ってしまいます。
お手紙、それも僕からランドロス様への恋心を改めて伝えるということには強い羞恥の想いがあるのですが、普段恥ずかしがって直接言えなかったりすることも多いのでこの機会をお借りして、貴方への恋文を綴らさせていただきます。』
俺のものとは違う丁寧な書き出しで、字も俺よりも綺麗だ。元々孤児院の院長に習ったのもあるが、カルアの手伝いもあってこうなったのだろう。
けれど、その後の文字はあまり綺麗とは言いがたく、少し線がブレて崩れているように見えた。
『 好きです。とても好きです。全部好きです。好きと言ってくれるのが嬉しいです。僕が辛くなったときギュッとしてくれるのが嬉しいです。キスをしてくれるのが幸せです。笑顔を向けてくれるとポカポカした気持ちになります。大好きです。一生隣にいてください。』
……いきなり文の方向性が変わったというか……なんて言うか、こう、子供っぽくなったな。
それからもどこが好きだとかどうしてくれると幸せで嬉しいとかが書き殴られていて、締めの言葉は再びちゃんとした文章と綺麗な文字に戻っていた。
本文と言える部分だけあまりにも子供っぽく、幼さが見えて思わずクスリと笑ってしまう。
「あっ、わ、笑いました! 約束したのに……!」
「い、いや、可愛くてな」
「誤魔化されませんっ! 酷いですっ!」
「いや、本当に嬉しくて……」
シャルにポカポカと叩かれるが、全然力は入っておらず、甘える一貫でそういう格好をしているだけだ。
商人に微笑ましそうな表情で見られて微妙な気分になっていると、孤児院のある街に近づいてきた。
シャルの緊張もほぐれたようだし、まぁよかったのだろう。
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