第257話

 カルアには悪いことをした。

 思わず……情けない姿を見せるのが嫌で飛び出してきてしまったが、今も心配をさせてしまっているだろう。


 ……今の状況でカルアの前にいるのと、こうして一人でいるのだったらどちらの方が心配をかけないで済むだろうか。


 また子供がどうとかの話で逃げてしまったし……。カルアの身体が心配なのも確かだが……結局は個人的な感情で怖かっただけだと気がついてしまった。


 ネネが嫁になって子供をほしがっても……多分俺は今みたいになってしまうだろう。


 ……性欲は強くて毎日エロい目で見ているのに、いざ手を出していい本番になったらヘタレるって……格好悪すぎる。

 子供が欲しくないわけじゃないし、そういう行為もめちゃくちゃしたい、カルアと最後の一線を超えるというのも純粋に嬉しい。


 けれど、自覚してしまうと頭の裏側に、町人達に嬲り殺しにされながら俺を逃した母の姿がチラつく。

 ……大丈夫だ。そう頭では理解しているのに、怖くて怖くて仕方ない。


 カルアが俺の子供を産んだせいで、母のように殺されてしまうのではないかと……思ってしまった。


 どうしようと考えていると、一瞬だけ衣擦れの音が聞こえて、前転をして何者かの攻撃を躱す。

 月明かりを反射させた短刀が俺の頭上を通り過ぎて「チッ」と舌打ちの声が聞こえた。


「っ……ネネ、どうした」

「どうしたも、何も。逃げたから追ってきた」

「悪い。でも、少し頭を冷やしたくて……」

「血の気が引いているように見えるが。……カルアはお前を追おうとしていたぞ。力づくで止めたが……。お前があんな様子で出て行ったら追われると分からなかったのか?」


 俺が「あっ」と声を出すと、ネネは寝巻きの白装束を恥らうように抑える。流石のネネも外で薄く肌が透けて見えるような格好は恥ずかしいらしく、俺は急いで服を隠せるようなコートを取り出してネネにかけようとしたその瞬間、腕を掴まれて強く引っ張られて脚に脚をかけられる。


 投げ技……! と理解するのと同時に一瞬だけ耐えようとするが、すぐに力づくで耐えたらネネがそのまま転けることに気がつき、技をかけられてネネの下敷きになる。


 自分を人質にするような投げ技。俺がそれを不満に思いながらネネを睨むと、コートを羽織って俺の上に跨り俺を睨んでいた。


「……カルアは一際見目麗しい。戦ったり逃げるすべもない。夜に一人歩きさせるのは危険極まりないだろう」

「……それは、助かったよ」

「……それだけ我を失っていた、ということでもいいが……さっさと帰るぞ、馬鹿」

「い、いや……今会ったら余計に心配をかけないか? 顔色、やばいだろ」

「……いいから、帰るぞ。お前な、反対だったらどうか考えろ」


 ネネに正論を言われて黙らされる。

 そりゃ……そんな顔色で夜外にいたら不安になるか……。


 仕方ないから戻るか、と考えていた瞬間、何かが空気を裂く音が聞こえる。


 ネネを押し除けて空間魔法から大盾を取り出してそれを防ぐ。

 金属がぶつかる音が聞こえ、大盾に防がれて落ちたそれを確認するとどうやら鎖のようだ。


 何者だ? 大盾を構えながら剣を取り出すと、慌てたような声が静かな夜の街に響く。


「っ……襲われていた方が防いだ? す、すまない。てっきり強盗か何かに襲われているのかと思って……」


 人間の男が物陰から鎖を回収しながら出てきたことで少し警戒を緩めながら、周りに他の人がいないかを空間魔法で探知しながら言葉を返す。


「いや……それは勘違いだ」

「ああ、そうなのか……。てっきり獣人に人間が襲われているのかと……すまない」

「いや、勘違いするのも仕方ないとは思うが……。あー、その恋人同士の戯れというか……」


 適当に誤魔化そうとしてそんなことを言うと、俺の横腹にネネの膝が突き刺さる。


「っ、誰がっ、お前のっ、恋人だっ!」


 そのままぽすぽすと頭を叩かれて、俺とネネの様子に男は微かに笑う。本当に俺が襲われると勘違いしていたらしい。

 敵意のようなものは何一つとして感じられず、仕方ないかと考えていると少しだけ男の顔付きに違和感を覚える。


 人間の顔にしては少し……犬っぽい?


 ……獣人のハーフ? だとしたら迷宮鼠の奴かと思ったがどうにも見え覚えがない。ジロジロと男の顔を見ていると、ネネが俺の腕を引っ張る。


「……行くぞ、ランドロス」

「あ、ああ……」


 強引に引っ張られて、何事かと思っていると、ネネはムッと眉を寄せながら俺を見る。


「……アレとは仲良くするなよ」

「知り合いか? そんなに悪そうな奴じゃなかったが……まぁ急に襲われたのはアレだが」

「そういう問題じゃない。……耳と尻尾を切り取れば人間に慣れると信じている気狂い共だ」

「……なんだそれ。いや、どこかで聞いた話だな。……あ、マスターから聞いた奴らか」


 今のが迷宮で人を襲っている……というようには見えなかったな。悪意は見えなかった。


「……そんなに悪い奴らなのか? 敵意はなさそうだが」

「良い悪い以前に気が狂っている。相手にするだけ無駄だ」

「管理者が言ってた連中の可能性はないか?」

「……それはないと思うぞ。非公認のギルドだからな、迷宮に入るのにも制限がかかる」

「つっても、耳と尻尾を切り落としてる獣人の集団なんてそんなにたくさんいるか?」

「……私としてもお前には無駄に首を突っ込んでほしくないと思っている。あの程度に遅れを取る奴はうちのギルドにはいない」


 だとしても心配だな……。

 俺がそう悩んでいるとギルドの寮の近くまでやってきていて、思わず足が止まる。


「……入るぞ」

「い、いや、ちょっと待ってくれ。カルアが怒ってるかもしれない。……カルアが寝静まった頃に戻らないか?」

「……いや、普通に戻ってくるまで無理してでも起きてると思うぞ」

「……じゃ、じゃあ……先にネネが戻って怒っていないかを確認するとか?」


 ガシッと頭を掴まれて引っ張られる。


「いいから、戻るぞ。一緒に謝ってやるから」

「いや、ほら……待って、待ってくれ……怒られるのが、怖いんだ。分かるだろ?」

「……あまり情けないことを言っていたら、嫌いになるぞ」

「……分かったよ。……ちゃんと帰る」


 ネネに手を掴まれて引っ張られながら自室へと戻ると、部屋の前にカルアが立っていて俺の姿を見てホッと胸を撫で下ろしていた。


「あ、良かったです。ネネさん、ありがとうございます」

「……首輪でも付けていた方がいいんじゃないか、この馬鹿」

「検討します」


 いや、するなよ。カルアがペコリと頭を下げていると、ネネは自室に帰ろうとする。


「あっ、ネネさん、待ってください」

「……何か?」

「えっと、ランドロスさんとお話しをするのに……その、間に入っていただけないかと……。その、私も感情的になってましたし……」


 カルアは俺が逃げないように手を掴みながらそう言う。どうせ断るだろうと思っていると、ネネは不満そうな表情をしながら俺を見る。


「……まぁ、私も文句ぐらいは言いたかった」


 ……一緒に謝ってくれるどころか、一緒に怒るのかよ……。

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