第256話

 部屋に戻り、クルルとシャルのふたりと共に寝室に向かおうとすると、カルアに引き止められてリビングのソファに座らされる。


「あ、あー、カルア。その殺人が事実としたら、迷宮鼠にも被害が出るかもしれないから早めに対処したいんだが……」

「そういう集団とランドロスさんが戦うことになる可能性があるってことですよね。……いつも言っていますが、危険なことはずっと反対してます」

「……そうは言ってもな。誰かやらないとダメだからな。そうなると実力がある奴がやる必要があるが……」


 換気のために開けていた窓から夜風が吹いてくる。カルアの綺麗な髪がさらさらと揺れて、思わずその綺麗さに見惚れてしまう。


「っ……あー、えーっと、ミエナは女だし、初代は忙しいし、メレクは今たいへんな時期だし、俺が……」.


 と言っている間に気がつく。メレクの妻が身重だからメレクを可能な限り無理させたくないと思っている。

 ……もしかして、俺がこう思う性格だから……カルアは俺に子供が出来たら無理をしなくなると考えているのだろうか。


 確かに、もしもカルアが身重だったら危険なことどころか、カルアの側から一切離れないだろうが……。


「ランドロスさん」


 カルアの視線を受けて、語気が弱くなっていく。


「い、いや、でもな、誰かがやる必要があるし……俺の強さならほとんど危険もないしな……」

「ですから、私としてくれましたら納得します」

「……いや、もしそういうことをしたら、出来ていなくても可能性があるだけで離れられなくなるしな」


 カルアと行為をして、子供が出来た可能性があったら何かあったときのことを考えてしまう。そうするともう他のことは全部後回しにしてしまいそうだ。


「……多分、夫が戦場に行くのは、妊娠よりも死ぬ可能性が高いことだと思います」

「い、いや、俺が危険なのとカルアが危険なのは違うし……」

「ランドロスさんからしたら私の方が大切かもしれませんが、私からしたらランドロスさんの方が大切です」


 やはり口では勝てないか。いや、一般常識を説いて年齢を理由に……したら、そもそも嫁にもらうのがおかしいことになるよな。


 どうするべきか…….と考えていると、扉がトントンと柔らかい調子でノックされる。

 こんな時間に誰かが訪ねてくるのは珍しいと思いながらそちらに向かい、扉を開けるとぴょこんとした黒い猫耳が見えて、視線を落とすと白い寝巻きを纏ったネネが不満そうな表情で立っていた。


「あれ、そんなにうるさくしていたか?」

「…….気になるほどではない」

「じゃあどうしたんだ?」


 俺がそう尋ねると、ネネは明らかに不機嫌そうな目を俺に向ける。


「っ……お前が来いと言っていたんだろうがっ!」

「……あ、あー、そうだな。悪い、断られたものかと」


 明らかに断っていたと思うが……と思いながら、追い返す理由もないのでネネを部屋に上げると、彼女はカルアと目が合って動きが止まる。


「……まだ寝てなかったのか」

「そんなに警戒しなくても怒ったりはしませんよ。ベッド、五人だと少し手狭ですけどいいですよね?」

「……床で寝る」

「ええ……いや、ダメですよ。めちゃくちゃ気まずいです。ランドロスさんも嫌がると思いますよ」

「いや、ランドロスは女を床で寝かすのが好きなはずだ」

「いやそんな趣味はないからな。やめろ、完全に適当な嘘だからそんな風に信じるな。ネネも嘘を吐くな。ただでさえそういうことでは信用ないんだからな」


 性癖関連はもうボロボロである。完全にロリコンマザコンのハーレム変態野郎という汚名を受けているのに嗜虐趣味まで追加されてたまるか。


 はあ、とため息を吐いているとネネが俺とカルアを見て首を傾げる。


「それで、何の喧嘩をしていたんだ?」

「ん、夕方のときの話です」

「ああ、子供がどうかとか……作るのか?」

「はい。その予定です」

「いや、そんな予定はないからな」


 元気よく返事をしたカルアにツッコミを入れると、ネネが「ああ……」と察したような表情を浮かべる。


「こんな調子なんです、ランドロスさん。ちゃんと結婚もしていますし、子供を我慢する理由なんてないのに」

「はぁ……そうか」

「ネネさんもそう思いますよね」

「いや、普通に話し合って決めたらいいと思うが、ランドロスはなんで嫌がっているんだ? スケベなのに」


 ネネが冷めた表情で俺を見る。

 ……いや、まぁスケベで、カルアと性的な行為をすることにはとてつもなく強い興味があるのは確かなのだが……。


「……カルアの身体に負担がかかるだろ」

「ん? いや、お前は金を持っているんだから治癒魔法使いぐらい雇えるだろ」

「そうです。そうです」

「そういう問題だけじゃ……」

「じゃあどういう問題があるというんですか。全部解決してあげますから」


 ……身体が小さいとか、年齢が幼いとか……。いや、それがダメなのは健康や安全のものであり……。

 あれ、俺はなんで反対しているんだったか。とにかく反対ばかりが頭に浮かんでいて……。

 不意に声が漏れ出てくる。


「俺の……魔族の子供を産んだらお前まで……」


 俺自身の口から出てきた言葉。カルアとネネはキョトンとしていて、それは俺が自分の言葉に驚いているということに対してだった。


 自分で言った言葉に自分で驚くなんて間抜けなことを晒したことに変な乾いた笑いが出てくる。


「えっと、カルア……俺、今……なんて言った?」

「『魔族の子供を産んだらお前まで……』と言われましたね。……あの、ランドロスさん、顔……真っ青ですけど、大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫だ。いや、本当に……ちょっと口喧嘩で血が上っただけで」

「むしろ血の気が引いているように見えますけど……」


 ヘラヘラと笑って見せて誤魔化そうとするが、顔色は誤魔化しようがないせいか、カルアとネネは心配そうに俺の顔を覗き見ていた。


 俺はそんな空間に耐え難く、思わず目を逸らして扉の方に足を向ける。


「ちょっと、外で頭を冷やしてくることにする。口喧嘩になって悪いな」

「えっ、ら、ランドロスさん?」


 俺について来ようとするカルアを手で止めて、逃げるようにして部屋から出る。追って来れないように窓から飛び出て地面に着地してから撒くようにして走る。


 どうかしている。どうかしていた。

 ……今になって、こんな歳にもなって……まだ、十年以上前の出来事を、どうしようもないほどに引きずっていた。


 ここには、魔族の子供を産んだからと迫害するような奴はいないのに……。何故か、町人に殺された母のことが忘れられなかった。

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