第218話

 そんなに豪華なものではないが、愛する人と美味しく食事をして、一緒のベッドで眠る。それ以上の幸せがあるのだろうか。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 これはまた夢の中だと気がつく。

 昨日の城の傍という環境ではなく、また見覚えのある空……というか、明らかに迷宮国の中だ。


 俺の知っている町並みとは大きく変化していて見覚えのある建物はないが、それでも変わらずに見えるのは【天より下るノアの塔】だ。あれだけは間違えようもない。


 ヤケに色濃い明晰夢。昨日のものと同じような感覚に陥る。


「……何故、迷宮を登らない」


 背後から聞こえるのは魔王の声だ。怒気を交えたその声に振り返る。


「……親切おじさん」

「その呼び方はやめろと言ったな。それよりも、何故登らないランドロス」

「……半日休んだだけで随分と言われるな」

「私はお前だ。誤魔化しは出来ない」


 記憶の残骸だったか。その理屈はよく分からないが……まあ、魔王の遺志を引き継いでいる俺の心と言ったらいいのだろうか。


「……魔王、俺はあの時言ったよな。人間のためじゃなくて、一人の女の子のために戦ったと。今もそれは変わらない、多少好きな女の子の人数は増えたが……。母を嬲り殺しにした人間達への恨みは変わらない。ずっとな、変わらないんだよ」


 魔王の表情は暗くけれども強い意志を見せるように俺を睨んでいる。


「この世の人類すべてがいなくなるぞ」

「……夢の中……と、まぁ切り捨てられなかったから、カルアにああも甘えたんだが……」


 目の前の地面に剣を突き刺す。

 夢の中だが、いつものように心を落ち着けるように息を整えていく。


 俺は母が好きだった。とても大切だった。守ることは出来なかった。


 シャルが好きだ。カルアが大切だ。クルルを守りたい。今も昔も、頭が良くない俺は単純な目的でしか考えることは出来ず、大局的なものの見方は出来ない。


 魔王と、魔族と戦ってきたのも、ひとえにシャルのためでしかなかった。人間なんて滅んでしまえと思っていた。

 それから半年程度で、そう多く代われるはずがない。


「……私と戦う気か。あの時のような迷いのない鋭さも、純粋ゆえの切れ味も、持たざるゆえの軽さもない、今のお前が。この私に勝てると?」

「……俺が魔王として人を殺してまわったら……アイツらを傷つけるからな。当然、いつかは負ける定めだろう。そうなると、俺の家族なんて生かしてもらえるはずがない」


 魔王としての行動をしたら、あの三人やギルドの仲間たちは魔王の関係者として狙われて遠くない未来に死んでいくことになるだろう。


「……その強大な存在がいたとしても、多分そちらの方は時間をかけて世界を滅ぼすだろう。いや、そう簡単には滅びないだろうし、俺の世代やそれから少しぐらいなら大丈夫のはずだ」

「ランドロス、お前は……!」

「言っただろう。今も昔も、自分の好きな奴のことしか考えていない。世界の存続よりも、アイツらの一秒の方がよほど大切だ」


 剣を握り締める。俺が言い終えるのと同時に赤い雷が俺へと迫るが、今なら落ち着いて対応出来る。練度の問題か、同威力の雷で相殺を狙うことは出来なさそうだが、空間把握で一番雷が薄い場所に集中して雷を当てることで人ひとり通れる穴を作ってそこに入り込む。


 その瞬間、魔王の大剣が俺を狙うが後ろに大きく跳ねて距離を取る。

 くいっと、指先で挑発するように動かし、魔王が連続して放つ雷を避け、あるいは相殺していく。


 シルガの書いた書物に載っていたことだが、魔族というものは魔力も運動能力も人間に勝ると思われているが、実のところ瞬間的に発揮出来る量が多いだけで持久力には劣るということだ。


 俺のような半魔族はその間、魔族ほど瞬発力はないが人間ほど持久力はない。だが、魔族よりも持久力があり人間よりも瞬発力がある。


 あの時、魔王を追い詰められたのは回復薬での無限に近い回復による長時間の戦闘に魔族である魔王の持久力が保たなかったからだ。


 ……俺はあの時よりも弱くなったのかもしれない。……だが、あの時よりも……大切なものが増えた。


 回避、回避、迎撃、距離を取って、相殺、回避。

 常に対応しきれるだけの距離を保ち続ける。


「何故分からない。ランドロス!」

「……お前は何を分かっているというんだ。魔王」


 長時間、俺が回避に徹していたことで魔王の動きは鈍くなる。一瞬呼吸を深くして休もうとした瞬間を突いて短剣を投げつけて、休憩を許さない。


「何を分かっているか、だと?」


 地面が赤い雷で爆ぜるが、俺は空間縮小で縮めた空間を飛んで、空間を元に戻すことで大きく空の上に逃げる。

 魔王は俺を見上げて吠える。


「──絶望だ」


 赤い雷が幾重もの矢の弾幕となって俺へと迫るが、空間拡大の魔法により矢の隙間を無理矢理広げてその間に落ちることで回避する。


「絶望だ。絶望だ。一人を殺して、千人を生かす。一人を殺して、九百九十九人を生かす。一人を殺して、九百九十八人を生かす。何度私はそれを繰り返した。世界を守るために、何人の臣下を部下を民を仲間を家族を殺した。──そうするしか、なかった」


 空から降りる力を加えた俺の剣と、疲れきった魔王の大剣がぶつかりあう。


「行く道も来る道も、枝分かれする全ての道が血溜まりに浸かっている。けれども、崖にだけは飛び込めない」


 先程までとは打って変わって俺が攻め立てる剣戟が始まるが、魔王の大剣捌きによって思うようには攻められない。

 あの時のように回復薬のゴリ押しで勝つことも出来たが、今はそうすべきではない。


「……魔王、お前……死ぬときに世界のことを案じて死んだのか? 自分が為せなかったらどうしようもないと考えていただろう。滅びゆく世界を案じたか? ……違うだろ。今、お前が絶望と言ったのは……仲間を失うことだろうが」


 赤い雷を剣に纏わせて魔王の大剣を弾き飛ばす。即座に魔王が俺に雷を放って反撃するが、それも雷を纏ったままの剣で叩き切る。


「余裕がなければ、本音が出るな。魔王。仲間がいなくなり、世界も滅びる。なのにお前が苦しんでいるのは世界ではなく、仲間のことばかり。それが答えだろう。俺もそうだ。世界がどうとか考えても、よく分からない。なんとなくしあわせな人が多い方がいいぐらいにしか思わない」

「っ! 人間共の世界のためではない! これから、永遠に続く魔族の未来のためにっ!」

「また数が増えたらわざと戦争を起こして数を減らす。そんな未来のためか」

「これまで、誰かがそうしてきた。これからも誰かがそうしてくる。……そうするしかないんだ!」


 なりふり構わない、魔王自身の体ごと破壊するような雷が俺へと迫るが……この戦いの間、手本は散々見てきた。


 同量の威力の赤い雷を叩きつけて完全に相殺させる。


「俺は顔も名前も知らない誰かのために、大切な奴を犠牲にするつもりはない。話は終わりだ」


 魔王の険しい顔は少し緩み、ぽすんと俺の頭を手のひらで上から抑えるように撫でる。


「……ああ、そうか。……お前が必要になれば、あちらから接触があると思うが……お前は間違えるなよ。ランドロス」


 トスンと、俺の隣に大剣が落ちる。

 それを持ってみると異様に硬く、重い。

 純粋な魔族よりも瞬間的な筋力には劣る俺には持ち上げるのがやっとで振り回せるような質量ではない。


 魔王は【天より下るノアの塔】の方へと歩いていき、ゆっくりと去っていく。あるいはうすらぼんやりと消えていく。


 俺は見知らぬ街の中、急いで迷宮鼠のギルドのある方向に走っていき──。



 ◇◆◇◆◇◆◇



「んぅ、おはようございます。ランドロスさん」


 ──俺の方を見て、寝ぼけながらもニッコリと微笑むシャルの元に辿り着いた。

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