第94話


「……じゃあ、何を隠してるのか、教えてよ。私を大切に思ってるなら、隠したりしないで」

「隠していない。……腹を探られても、何もない」


 嘘も隠し事もバレているのだろう。俺は隠すのが下手で、マスターは見抜くのが上手い。ある程度バレてしまった時点で、隠し通せるはずはない。


 だが……話せるはずがないだろう。マスターの心に傷を付けたシルガが再びやってきて、殺されかけたなどと……言ってしまえば、傷つけるに決まっているし、これからシルガを止めるのも止められてしまうだろう。


 マスターのことを守るためには、絶対に口に出来ない。


「……本当のことを言って」

「……本当のことを言っている」

「そんなに、私は、頼りない? ランドロスの力になりたいよ」

「頼りないとかじゃなく……」


 ポロリと、マスターが涙を零す。


「分かってる。ずっと、分かってるよ。私は、ギルドマスターになるべきじゃないなんて、マスターとしてやるべきことなんて、何一つとして出来てないなんて。でも、助けさせてくれてもいいじゃない! 仲間なんだから!」


 マスターはぐすぐすと俺の上で涙を流し始める。その様子に痛みを感じるが、だからといって流されて言うわけにはいかない。


 歯を食いしばって、マスターの頭を撫でるだけに努める。

 長い間マスターはぐすぐすと泣き続け、疲れもあったのだろう、俺の上に乗ったまま、涙を流したまま、小さな寝息を立て始めた。


 ……これ、どうしよう。

 相変わらずべったりとくっついていて気持ちがいいままだし、マスターの寝巻きもかなり……着崩れている。


 朝焼けの光が窓から差し込んで、暗くて良く見えなかったマスターの状況がよく分かる。

 俺がマスターを横に退けると、マスターはモゾモゾと俺の上に乗る。


「……逃げるのは、許さないから」

「……いや、逃げるつもりじゃないけど……その、本当に、マスターの思うようなことはないから」


 もはや誤魔化している場合じゃないと思ったが、マスターは首を横に振る。


「放っておいたら、ランドロスは多分……死んじゃう。だから、目を離すことになるのはダメ。マスターだもん」

「いや、本当に……頼むから」

「……次、無理矢理退けようとしたら、宿で私と一緒に寝たの、二人にバラすからね」

「それはマスターにも被害が出るんじゃないだろうか」

「別にいい。今のまま放置してたら、絶対にランドロスは危ないから。危なっかしいの、治ってきたはずなのに」


 そう言ったあと、マスターは眠たそうにしていた目を開ける。


「あ、そうだ。……大人しくしてくれないと、カルアとシャルに教えるよ。それが嫌ならちゃんと何があったのか教えて」

「お、脅しには屈しない」


 本気でそれは不味い脅しである。

 交際が始まって一瞬で、わざとではないとは言えど他の女の子と同衾をしていたのなんてバレたら……怒られるし、悲しませるだろう。

 もしかしたらフラれるかも……と思うが、言えないものは言えない。


「……本気だよ。脅しじゃない。……よく考えたら、ランドロスと私は秘密にしないとダメなことが沢山あるから、一つずつ言っていこうかな。早めに話した方がいいと思うけど」

「いや、本当にそれはやめてくれ。何をされても言えないからな。意味がないからやめてくれ」

「……ギルドのみんなにもバラす」

「ミエナに殺されるからやめてくれ!」

「……何なら今からチューしようかな。脅す材料なら幾らでも用意出来ると思うけど」

「それ、本当に不味いから、やめよう。言えないから、絶対に俺は何も言えないから。やめよう」


 マスターがバッと立ち上がって俺から離れる。


「……えっ、本気で? 本気でバラすのか……? ちょ、ちょっと待って、待ってくれ!」

「……秘密を話してくれる?」

「いや、それは無理。隠してることなんてないからな」

「じゃあ、二人を呼んでくるね。朝だし、そろそろ起きていると思うから」


 待って、待ってくれ……!

 俺の制止はマスターに届かない。


 ベッドから降りて止めようとするも、やはり身体は上手く動かず、ベッドから転げ落ちるだけだ。上手く立ち上がれない……。


 マスターを止めることは出来ない。

 逃げよう。とりあえず逃げて、しばらく身を隠して闘技大会が終わってから土下座して謝ろう。


 とりあえず、マスターに知られずシルガを倒すのが第一優先だ。

 マスターの脅迫に耐えられるとも限らないし、この場からは逃れないと。


 ……なんとか這いつくばって扉を開けると……いつもの黒装束ではない、白い着物のような寝巻きを着たネネが立っていた。

 生地が薄く若干肌の色が透けて見えるそれを着たネネは、這いつくばっている俺の背中に乗る。


「ぐ、ぐふっ」

「……逃げない。浮気を繰り返す罪を裁かれる時がきた」

「い、いや、浮気じゃない。浮気はしてない」


 ネネは俺の上に乗ったまま、見下すような視線を俺に向けて薄い唇を開く。


「……全部聞こえてたよ。へー、一緒に寝たんだね」

「ね、ネネ……俺達の話が……き、聞こえて……」

「一度、ちゃんと怒られた方がいい。セクハラロリコン」

「違うんだ。あれはその、そういう流れだったというか、お前は味方しろよ! やはり、シルガがいたんだよ。まだ生きているだろうし、闘技大会の人が集まるところを狙っている。マスターに知られないように倒さないと……!」


 だから、上から退いてくれ。俺がそう言おうとした瞬間に、俺の目の前に短刀が突き刺さる。

 いつもに比べて低いネネの声が聞こえる。


「……分かっている。話は知っていたんだ。隣の部屋で話を聞いていたら、お前が何を隠そうとしているかぐらいは理解出来る」

「ッ、じゃあ上から退いて俺を逃してくれよ!」

「……ランドロスは、私をなめすぎだ」


 ネネの怒気の篭った声が耳に入る。


「……なんで私がこんな時間まで起きていたと思っている。なんで今ここにいると思っている」

「えっ、さ、騒がしかったか?」

「……」

「やめろ。無言で短刀を近づけるな。怖いから」

「……私だって、仲間が怪我をしたら心配にぐらいは思う。……その後、ひとりで戦おうとしたら尚更だ」

「……それはそうだが、俺じゃないとアイツは倒せない。あ、当たってる。刃が当たってる」

「当ててるの」

「やめよう。やめて、額が切れるから」

「引かないと切れないから問題ない」


 あるだろ。問題あるだろ。そう思っていると、ネネは仕方なさそうに短刀を回収する。


「……マスターにはそのことを話してほしくないと思っている。でも、ひとりで戦うのも反対してる」

「……でもな、アイツは危ない奴だ。俺だから何とか生き延びれたが……。もし自爆をやられたのが、他の瞬時に回復出来るような手段がないやつだったら……」

「危ないなら、尚更、協力の必要がある。……今回も、始めから私やメレクがいたら、そんな怪我はしてなかった」

「それは……そうかもしれないが」


 援護があれば、魔力切れだったとしても上手いこと牽制しながらシルガを制すことが出来ていたかもしれない。

 俺がそれでも他の奴に危ないことをしてほしくないと考えていると、ネネが懐から一枚の紙を取り出す。


「……頷かないと、この紙をポケットにねじ込む」

「な、なんだ。それは……」


 ぴらりとネネに紙を見せられる。灰色の髪の少女の映った写真で……今よりもまだ幼いマスターの写真で……スカートが風に吹かれてめくれ、ピンクの下着が見えているものだった。


「な、そ、それは!?」

「……二年前に、ミエナが盗撮していたのを取り上げたものだ。こんなものを持っていたとなると、ヒモと先生はどう思うかな」

「……先生?」

「間違えた。シャルだ。……ヒモとシャルはどう思うかな」

「……先生って?」


 俺が尋ねると、ネネは俺のポケットに写真をねじ込む。


「待て、待ってくれ。ちょっと、それは不味い。本当に不味いから!」

「忘れろ」

「忘れるからそれは……!」


 と、ネネと揉めていると、階段の方から複数人の足音が聞こえた。……終わった。

 寝巻き姿のままの三人が現れて、ネネに乗られて捕まっているところを見つかる。


「……また逃げ出そうとしたのか」

「い、いや、そうじゃなくて……」


 マスターの言葉に俺が言い訳しようとしたら、ネネが口を開く。


「逃げようとしてたから捕まえておいた」

「ネネ! お前……!」


 ネネが立ち上がり、俺の足首を掴んで部屋の中に引きずっていき、部屋の中に入れたところでもう一度俺の上に座る。


 恐る恐る、カルアとシャルの方を向くと、カルアは仕方なさそうにシャルはプンスカと怒った表情で俺を見ていた。


「……えーっと、ランドロスさん。……あのですね。……節操がなさすぎると言いますか。恋人になって、まだ数日ですよね。その数日後に、他の女の子とベタべタとしていると。……いえ、怒ってはいませんよ。私のお父さんも何人も側室がいましたしね。ちゃんと愛してくれているなら文句はないですし、その分では怒ることはないです。……ただ、何と言いますか。呆れてはいますよね」

「……すみません」


 カルアは呆れたようにそう言いながら、ベッドに座る。

 シャルの方を向くと、シャルは俺の顔の前で正座する。


「……僕、ランドロスさんのことを信じていたんです。信じていていいんですよね? クルルさんと一緒に寝たって聞いて……ちょっと、よく分からなくなってきました」

「ち、違うんだ! シャル、その……全部事故のようなもので……。な、なぁ、マスター」

「……どうだったかなぁ」


 と、とぼけやがった、このマスター! 不味い。これは不味い。どうしよう。どうすればシャルに嫌われずに済む……!?


 俺がそう考えていると、思わぬところから手助けが来る。


「……隣で聞いていたけど、この男は何も自分からしようとはしていなかった。そういうことになりそうなのは、可能な限り避けていたけど、少し不可抗力で一緒に寝ていただけらしい。」


 ネネ……! そうか、ネネはマスターの脅迫に俺が屈するのは避けたい立場だ。

 あくまでも、俺が逃げるのを嫌がっていたから捕まえただけで……脅迫には屈しないように援護してくれるんだ。


「……そうなんですか?」


 シャルの問いに俺はこくこくと頷く。


「……ふたりの話を聞いている限り、事故のようなものだったようだ」

「でも……その、じゃあ、クルルさんと一緒に寝たというのは」

「……仕方なくみたいだし、コイツは我慢していたみたいだから、上等な方」


 ネネっ! ありがとう! ありがとうございます!

 この上に乗られた状況でお礼を言ったらとんでもない被虐趣味っぽいから、口に出しては言えないけど、ありがとう。届け、この思い。


「そ、そうなんですか……。よ、よかったです……」

「ね、ネネ。どっちの味方なのっ!」

「……マスターの味方。……マスターがランドロスと変なことになっていたのを、ふたりに謝りたいみたいだから、第三者の私が誤解を解いた方がいいと思った」


 マスターはネネのせいで目論見が外れたからか、ぐぬぬ……とした表情をする。

 ……勝った……マスターとの戦いに勝った……助かった……。シャルに見捨てられずに済んだ……よかった。


 後でネネにお礼を言おう。

 こんなに安心したことなど人生において一度でもあったろうか。お礼に何か渡そうか。現金とか。

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