第52話

 ゆっくりと、堂々と、ほんの少し足取りに軽やかさを感じさせながらその人物はこちらに向かってくる。

 ……いや、まだ写真が重要とは限らない。ちょっと古くなった干し肉が大好きな人という可能性も十二分に考えられる。


 微かに人影が視認出来るほどの距離になり、軽やかだった足取りは遅く、警戒心を感じさせるものに変わっていく。


 それでも気にせずに待っていると、メレクの姿が見えたからか、元の足取りに戻って、すぐにやってきた。


 第一印象は小柄な男だということだ。探索者に限らず、戦闘をする男は多くの場合は体格が良く、筋肉質な体をしている。


 あるいは女性でも鍛えているものは珍しくない。

 カルアのような細身で小柄、筋肉が少ない体というのは例外であり、そもそもが戦闘などをする気がないから大丈夫なだけだ。


 魔法使いのミエナでさえ、最低限の筋肉は身につけている。


 その男は、男の割に小さく、あまり筋肉質な体をしていなかった。獣人らしい人間のものとは少し違う耳、特徴的な尻尾。

 迷宮の中で作ったらしい毛皮の服に身を包み、思ったよりも若い顔立ちをして、メレク以外の三人を見て首を傾げた。


「初代、久しぶりだな」

「ん、おう……そっちの三人は新入りかな? こんな高層までやってきたのに、随分と軽装だな。大丈夫か? いるか、助け」

「ああ、いや、こっちのランドロスが空間魔法使いなんだよ。だから荷物はあるから大丈夫だ」


 初代は俺の方をジロジロと見る。


「……どうも、ランドロスだ」

「魔族……じゃねえな。人間でもねえ。……相変わらず変なの集めてんだな、お前のとこのギルド」

「一応、初代もウチのギルド員ってことになってんだけどな」

「はん、興味ねえな。まだ潰れてなかったのか。んで、今回は何に呼びにきたんだ? あの嬢ちゃんが辞めて新しいギルドマスターが就任したか?」

「いや、マスターは良くやっている。そうじゃなくてな、迷宮が亜人立ち入り禁止になったんだよ」


 それを聞いた初代はあからさまに顔を歪める。


「はあ? それまたなんで」

「異国の勇者が迷宮の観光に来たんだが、大の亜人嫌いということでな。だから悪いんだが、一度ギルドの方に戻ってきてもらえると助かる」

「そういう面倒ごとを片付けるためにお前らがいるんじゃねえの? 俺がここを離れたら、迷宮内で要救助者が出たらどうすんだよ。却下だ、却下」


 メレクの説明を聞いた初代はにべもなく断る。

 少しぐらい話を聞いてくれても良いだろうと思っていると、メレクは仕方なさそうに頰をポリポリと掻く。


「あー、分かった」

「メレク、いいのか?」

「まぁ、仕方ない。大人しく従ってくれる人でもないしな。伝えるだけ伝えていたら、救助が必要な時以外は人から隠れてくれるだろうし、伝えられただけで十分だ」


 苦労してやってきたのに拍子抜けだ。まぁ、役割が果たせたのだから構わないと言えばその通りなのだが……。

 結構な時間をかけて伝言ひとつというのは微妙な感じだ。


 その場合、報酬の【何でも】はどうなるのだろうか。マスターからの依頼だったので、マスターに何でもさせてもらえるのではないかと期待していたんだが……。


「メレク、これは達成したことになるのか? 依頼」

「ん? いや、どうせマスターからの依頼なんだから気にしなくてもいいだろ」

「いや……報酬で膝枕をしてもらいながら頭を撫でてもらおうかと思っていたんだ」

「…………そうか。まぁ、失敗ということになるんじゃないか」

「じゃあ、せっかくだし捕まえて帰ってもいいか?」

「どんだけ膝枕されたいんだよ。報酬のこととか完全に忘れてたわ」


 ダメか……。仕方ない。個人的なご褒美で頼もう、断られるかもしれないが。


 初代は俺の顔をジロジロと見た後、カルアの方に目を向ける。


「……? どうかされましたか? あ、私はカルア・ナグシャです。よろしくお願いしますね」


 初代はカルアの自己紹介を気にした様子もなく、不思議そうに首を傾げる。


「その顔立ちと目と髪の色……アルカナ王家の人間か? 何でこんなところにいるんだ?」

「えっ、あっ、な、何で」


 カルアは目を丸くして初代を見る。

 王家って……貴族じゃなくて王族だったのか。まぁそれはどうでもいいかと思っていると、ネネとメレクは驚いた表情でカルアを見ていた。


「そりゃ、見た目で分かるだろ。……今のギルドどうなってるんだ? 他国とは言えど王家の人間を抱えているって」

「わ、私は、もう家を出て縁を切りましたからっ。王家の人間ではないです」

「……そうは言ってもな、血は血だろ。……まぁ、俺には関係ないからどうでもいいか。俺はもう行く」


 初代はそう言いながら地面に埋まっていた箱を覗き込む。


「……あ、れ?」

「どうかしたか?」

「いや、どうもしてない。どうもしていないが……」


 明らかにうろたえたような表情を見せる初代。それは、カルアの存在を見たときよりも遥かに感情を揺さぶられたようだった。


「……写真なら、燃やした」

「しゃ、写真? 何のことか初代には何も分からないな。写真ってなんだろ初代全然分からない」

「焦りすぎて聞いたことのない一人称になってるぞ。いや、勝手に燃やしてしまって申し訳ない」


 メレクが小さく頭を下げると、初代は半泣きになりながら返す。


「いや、全然写真とか知らねえし? 俺以外の奴が埋めたんじゃねえの? 知らんけど。俺は干し肉取りにきただけだし」

「そうか。……じゃあ、俺たちは帰るな。初代も体にお気をつけて」


 メレクはそのまま去っていこうとするが、流石に半泣きの男を放置して帰るのも後味が悪い。俺たちが燃やしたわけだし。


 ……そこそこの貴重品だが……一応、迷宮鼠ラビリンスラットの創始者というのなら、敬意を持ってちょっと恵んでやるぐらい構わないだろう。


 俺は空間魔法から一枚の写真を取り出して、初代に握らせる。


「マスターの写真だ。大事にしろよ」

「えっ、いらねえ……」


 照れているらしい。まぁ、マスターの笑顔は可愛いからな。

 きっとこれで初代も満足してくれたことだろう。


 俺はメレクの後を追いながら、うろたえた様子のカルアの手を引く。


「どうかしたか?」

「……えっ、あっ……いえ……その……すみません」


 カルアに尋ねると、カルアは俯いたまま俺に謝る。


「何がだ?」

「その……隠していて、私が……王族だってこと」

「ああ、そんなことか。俺も家族の話とかはしたことないし、そんなもんなんじゃないのか?」

「……か、家族の話に含まれるんでしょうか。王家の一員というのは」

「家族の話じゃないのか?」

「家族の話かもしれないですけど……。あれ、もしかして王族って世間的にはそこまででもない感じの扱いなんですか?」


 カルアは困ったように俺を見る。


「……あの、後でお話ししますね」


 そう言いながら、力なく微笑んだ。

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