【第2章】第9話 不埒な恋の味 

💎前回までのあらすじ💎

【恋愛経験もほとんど無いまま見合結婚した大河瑠色おおかわ るいは、20年近く、夫一筋に家庭円満のためだけに生きてきた。しかし、ある日衝動的に "出会い系サイト" に登録し、そこで出逢った大学准教授の倉松力斗くらまつりきとに抱かれる。その余りのよろこびに瑠色のからだは急激に開き始め、やがて体験したことのない快感を覚え始める】



       【 本 文 】


 瑠色るいは恋愛小説が苦手だった。“不倫もの”など、なおさらだった。

(好いたれたのって、いちいち大げさなのよ、わざとらしい。だいたい、夫も子供もいるオバサンに、恋ができるワケないじゃない。芸能人かドラマにしか起きない、くだらないフィクションよ)

と鼻白み、手に取ってみたことはあるものの、読み始めて早々に馬鹿らしくなって、たいてい途中で投げ出したものだった。

 ところが最近、名作と言われる恋物語を片っ端から読み直し、思わず胸が苦しくなって、涙している自分がいることに呆れるやら、驚くやらだ。

 登場人物たちの想いが胸の内に流れ込んできて、瑠色の感情に同化してしまうのだ。つい最近までは、はじいていたのに。


   ♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️♠️


「なんだお前、“不倫モノ”なんか読んでるのか?珍しいじゃないか」

日曜の午後、瑠色がダイニングテーブルで一心に本を読んでいると、憲介けんすけがわざわざ本の表紙を覗き込んできた。

 本のタイトルを確認してくるとは思っていなかった瑠色は、

(油断した)

と、内心慌てた。

 これまで恋愛小説の「れ」の字も口に出したことがない妻が、よりによって道ならぬ恋の話を読み出すなんて、怪しまれても不思議ではない。

 思わず口ごもる瑠色に憲介が言った。

「お前がそんなの読んだって、どうせ解らねぇぞ」

「……そう、かな?」

瑠色は平静を装って顔を上げ、憲介を見た。

「そうだよ、解るわけないじゃん、お前に男と女の機微なんて。

俺は解るよ、さんざん不貞事件や離婚事件を扱ってきたんだから。

お前みたいに、『不倫は絶対駄目!』とか、『浮気する奴は許せない!』とか、ぜんっぜん思わねぇもん」

「そうなの?」

「そうだよ。こういうことはさ、善い悪いの問題じゃあないんだよ。こんな女なら俺だって浮気したくなるわっ、て思う事例が、いくらでもあるんだから」

と、憲介は訳知り顔で言う。

「ふーん……」

瑠色は、ここは余計なことは言わないに限るとばかりに、相づちだけを打って黙っていた。

「まあ、読んだって無駄だろうけど、お前もこういうことを、少しは勉強しておいても良いかもな」

「え、どうして?」

「少しは人の気持ちが解るようになるかも知れないからさ」

「そう……」

憲介は、小馬鹿にしたようにフフンと鼻でわらうと、事務所へ行ってくるわと出掛けていった。

 自営業者の典型で、休日はあって無いようなもので、憲介が丸1日休みを取るのは、月に1~2度程度だ。


  ♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️♣️


 瑠色は玄関の鍵を閉めると、ホッと胸を撫で下ろした。あの調子では、怪しまれなかったようだ。

 疑り深い性格のくせに、女房に男がいるのではないかという疑いは、頭に浮かばないようだ。

(確かに、人の気持ちは解るようになったわ)

と瑠色は苦笑した。

 彼女はこれまで常に、“ 正統派の立場 ” 、 つまり、妻の立場から不倫をさげすんできた。

 彼女の頭の中では、不倫の “ 被害者 ” は常に妻であって、夫ではなかった。

 不倫は、“ 不良な男 ” と “ あばずれな若い独身女 ” が、肉欲と金で結び付いてするものであって、裏切られるのは常に、真面目に家庭を守る妻であり、それは100%同情に値するものだと、瑠色は信じてきた。

 だから、不埒ふらちな男の不倫相手であるみだらな若い女が、週末や祝祭日、盆暮れ正月に男に逢えないのが辛い、淋しいなどとほざいても、片腹痛く思っていた。

 ところが、まさか自分がその立場に身を置くことになろうとは……。

 自分も力斗も、実際、家族と過ごす休日にはメールさえままならない。それが、身を切られるように辛いことだとは、想像できなかった。

お互いに気持ちが通じ合っていながら、痛いほど辛い状況があることを、知らなかった。

 結婚後間もなくから、憲介がキャバクラなどで深夜まで飲み歩いてくることが週に何度もあることを知ったとき、

(裏切られることがあるとしたら、私であって、憲介ではない)

と、当然にそう考えていた。いや、当然すぎて、考える余地さえないことだった。

 しかし、裏切ったのは、自分の方だった。

 そして、浮気とか不倫というものが、気晴らしやストレス解消といった、そんな軽いものでは必ずしもないことを知った。

 瑠色にとって、「恋」であることに変わりなかったから。

 彼女は、甘やかなのににがい、あやしい恋の味を、初めて体験し始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る