第3章 矢野直美 〜 3(3)

 3(3)

 



 きっと、吊られている腕のせいもあるだろう。しかしそれを割り引いても、彼のリフティングは決して褒められたものじゃない。初めの頃は二回と続かず、ボールはすぐにあらぬ方向へ飛んでいった。それでもそろそろ一時間という頃にはだいたい二回、ごくごくたまに三回ないし四回は続くようになる。

 そんな少年の頑張る様子を、直美は毎日見守り続けた。午後一時に現れて、一心不乱にリフティングを繰り返す。すると初めは続かなかったそれが、日に日に少しずつだが上手になった。そんな姿に、映画でも観ているようなドキドキ感を覚える。

 ――がんばって! ほら! もう少し! 

 そんな言葉を、何度も何度も心の中で呟いた。そしていつの間にか少年は、リフティングの回数を数えるようになっている。さらに失敗して悔しがる様子から、目標としている回数がなんとなくだが窺い知れた。

 ――頑張って! あと五、四、三、二! ああ! 惜しい! 

 そのせいでより一層、一緒にボールを蹴ってる気分になれる。そうしてボールを蹴り始めて五日目、その日は久しぶりにザアザア降りの雨となる。

 ――これじゃあ、いくらなんでも、来ないかな……? 

 そんな不安を抱え込み、朝からずっと雨が止む事ばかりを考えた。しかし何週間ぶりとなる冬の雨は、午後になってもその勢いを弱めない。ところがだった。そんな土砂降りの中、彼が忽然と現れる。透明の雨合羽をしっかり着込んで、いつもの時刻、ボールと一緒に姿を見せた。さらに……、

 ――腕を吊ってない! 

 包帯だけは巻かれていたが、邪魔そうだった三角巾は消え去っている。もちろん現れた時にはびしょ濡れで、そのままいつものようにリフティングをし始めた。

 この瞬間、直美は一種、興奮状態に陥った。

 土砂降りの中、懸命にボールを蹴り続けるのだ。そんな姿を見ているうちに、まるで自分のためにしているように、きっと直美には思えたのかもしれない。

 心の中だけでの応援が、いつの間にか口からの声となっていた。

「一、二、三、四……」 

 リフティングを声にして数え、

 ――がんばれ! がんばれ! 

 同時に声援を心で送った。そしてそんな声援のお陰なのか、はたまた三角巾が取れたからか、いきなりその瞬間がやってくる。

「やったあ! 」

 こんな思わずの声がなければ、本当はもうちょっと続いたろう。

 ところが目標だった十回目、頭上からそんな大声が響くのだ。

 とうぜん少年は驚いて、思わずボールを抱え込んでしまった。さらにその時、直美は彼の驚きには気付かないまま、嬉しさのあまり手まで叩いて喜んだ。降りしきる雨の中、彼は見上げた先にそんな姿を目にしてしまう。

 そしてその翌日、前日とは打って変わってよく晴れ渡る。

 少年も変わらず現れて、いつもと同じようにリフティングを始めるが、途中何度もボールを手にして遠慮がちにだが上を向いた。ところが何度見上げても、そこにはなんにもありゃしない。窓はしっかり閉められて、カーテンまでが引かれている。なのに何度も眺めては、少年は再びボールを蹴った。

 直美は昨日、人生で一番心臓の鼓動を力強く感じた。息苦しささえ感じて、このまま死んでしまうと恐怖を思ったほどだった。だからもう一回こんなことが起きれば、今度こそ自分は死んでしまう。本気でそんなことが心配で、かと言って見ないという選択はできそうもない。だから直美は考えた。白いカーテンを少しだけめくり、細い隙間に顔を近付けこっそり覗く。こうすれば、こっちを見ているってわかりっこない。そんな確信はあるのだが、少年が見上げる度にそれはそれでドキドキはする。

 そんな直美の見つめる先で、少年は見違えるように上手かった。腕を固定してないからか、動きがぜんぜん軽やかに見える。一昨日までは十回でさえ四苦八苦だった。なのに今日はあっという間に五十回目をクリアーだ。

 ――凄い! 凄い! 凄い! 

 自分のことのように嬉しくて、直美はドキドキしながら彼の動きに集中した。

 やがて少年は百回を達成し、そのまま二百回目まで到達する。そこで自らボールを手にして、不意にその顔を上げたのだ。その瞬間、直美の身体に電気が走った。

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