第7話【続編】めんどくさいオンライン彼女

 ゴールデンウィーク。札幌は、たんぽぽも桜も梅もこぶしも一度に花開き、足下から頭上まで春が咲き乱れて一番いい季節。なのに、新型ウイルスのせいで札幌への帰省は中止になった。

 親には二日後に帰ると言っておいて、新千歳空港に到着したら迎えに来た慧と、まずは空港の「きのとや」でソフトクリームを食べ、「ショコラティエ・マサール」で空港限定のチョコセットを買い、エアポートに乗って札幌まで出て、大通公園で焼きトウキビを食べようと話していた。腹ごなしがてら西に歩いてお昼は老舗のスープカレー。久しぶりに納豆と挽肉のスープカレーが食べたい。スープカレーのお店はいくつか東京にも進出しているけれど、やっぱり札幌のからっとした空気の中で食べたい。そして地下鉄で慧の家まで行き、イチャイチャ。

 翌日はサッポロファクトリーの映画館で4月末公開の007を観る。その後は慧の家から歩いて行ける日帰り温泉でくつろいで、また帰宅してイチャイチャ。ていうかイチャイチャだけで過ごしても全然構わない。


 4月1日に本社に異動して初めての帰省予定だった。

 大好きな慧と再会できることを楽しみに、本社での慣れない仕事をなんとかこなしながら札幌での予定を二人で考えていたから、全てがウイルスのせいでダメになった私はひどく落ち込んだ。

 社内の事務連絡ではプライベートでの移動も禁止された。たとえ一緒にいられたとしても、休業要請が出ているから映画館も飲食店も軒並み閉めている。何年も楽しみにしていた007も11月に公開延期になっていた。

 飛行機のキャンセル料がかからなかったことだけが救いだった。


「自粛解禁されたらすぐに会いに行くから、落ち込まないで」

 パソコンの画面の中で慧が言う。

 休みの間は、できるだけオンラインで繋ぎっぱなしにして少しでも一緒にいる雰囲気を作っている。

「うん。でも慧が恋しいよ」

 いくら高精細の液晶画面とはいえ画面の中の慧には触れないし、匂いも嗅げない。

 生理前なのもあり、余計に寂しく感じた。


「私も莉理に会いたいよ」

と言った慧が、なんだかそわそわとしている。

「慧、どうかした?」

「いや、ええと、うんと……あの、今夜6時からなんだけれど、ちょっとこれ途切れちゃう」

「どこか出かけるの?」

 そう聞きつつ、でも札幌だって外出自粛なのは変わらない、と思った。札幌は2月の雪まつりからの感染第1波を乗り越えたものの、現在はそれよりひどい第2波に襲われている。


 慧が言いにくそうに迷いつつ口を開いた。

「えっと、オンライン飲み会に誘われて……」

 ピーンとうなじの髪が逆立つ気がする。

「誰と」

「本社の同期メンバー。今はいろんな支社に散ってるんだけれど、やっぱみんな東京に帰省できなくて会えないし、流行りのオンラインしてみようかーってなって」

「どこでそんな話になったの?」

「Facebookです……」

「そう」


 Facebookは元彼の佐々木の本性を発見したツールなのでいい思い出がなく、最近はすっかりご無沙汰になっている。

 私が知らないうちに慧はFacebookでみんなと交流していたのか。


 ああ、わかっている。これは生理前の思考回路。悪い方に悪い方に考えてしまうのはこの時期特有の病気みたいなものだ。落ち着こう私。


 私は深呼吸すると、笑顔を作って見せた。

「いいじゃない。私もこないだやったしね。盛り上がるといいね」

 慧がほっとしたように微笑んだ。

 そう、私も先週、学生の頃の仲間とZOOM飲み会に参加したから、慧のことを止めるいわれはなかった。

「うん。楽しいのかなあと思ったけれど、家にいるのはみんなわかっているし、断る理由もなくて。じゃあ、6時から数時間連絡途切れちゃうけれど、ごめんね」

「ううん、いいよ。お酒とかおつまみとか用意したの?」

「こないだ買ってきたチューハイあるし、あとはちくわと6Pチーズしかないけれどそれでいいや。映える必要もないしさ」

「そうだね」


 笑顔で答えながらも、私は内心もやもやとしていた。

 こんなことを言っていても慧はお酒が好きだし、アルコールが回ったら仲間と盛り上がるのではないか……。

「そのまま日付超えちゃったりして」

と不安を口にすると、

「そこまではいかないよ。ちゃんと莉理が寝る時間までには終わらせて、莉理と話してから寝るから、待っててね」

と慧は微笑んだ。



 夕方6時少し前。

 パソコンでの二人のオンライン通話は30分前に打ち切っている。

 LINEで<もうすぐ始まるね>と送ると、<うまくいくのかなあ>と慧から返ってきた。

<なんかさっき、入社当時の写真がメンバーから送られてきたんだけど>

というメッセージと共に、入社導入研修時の写真が何枚か送られてきた。みんなで課題に取り組む様子。班代表で発表する慧。真っ赤な顔の男子、打ち上げの飲み会なのか、馬鹿笑いしている女子達の間に、酔ってもあまり表情が変わらない慧が涼しげにピースをしている。

 まだ知り合ってない頃の慧。

 私は地域限定採用で全国での研修がなかったから、興味深く見た。

<すごいね、この時も代表で発表したの?>

<ただじゃんけんで負けて決まったんだけどね>

 この時の慧は今より髪が短い。やっぱり好きだと思う。

<若いねえ、慧。かわいいね>

と送った私のメッセージは、既読にはなったけれど返信はなかった。


 時刻を見ると、6時をわずかに進んでいる。きっと飲み会が始まったのだろう。

「行ってきます」も「始まったから後でね」もなく。

 ──私がオンライン飲み会した時は、普通の飲み会に参加する時のように、ちゃんと「じゃあ行ってくるね」って連絡したのに。

 胸が塞がれる思いがした。


 こんなふうにいちいち重たく考えるのも生理前だからだ。

 早く気分転換をしよう。いつも慧といる時にはできないことをしよう。

 私はパソコンでNetflixを起動させ、まだ見ていなかった数年前の恋愛リアリティーショーをクリックした。


 11時を過ぎても慧からのLINEは入らなかった。

 私も会話を邪魔したくなくて、送らないようにはしていたけれど、

<お風呂入るね>

と送ると、すぐ既読にはなった。でもそれだけ。


 やっぱり寂しい。

 それでももしかしてもう終わって連絡が来ているかも、と思いシャワーにして早めに出たけれど、スマホには何の通知もなかった。

 このまま待っていても息が詰まりそうだったのでさっさと寝ようと支度をし、ベッドに潜って<寝るね>と打って部屋の電気を消すと、ようやくLINEの通知を告げる青いランプが点滅した。


<終わった。結構飲んだわ>


 違う、私が聞きたいのはそんなことじゃない。

 待たせてごめんねとか、今から話せる? とか。


 そんな思いを飲み込んで私も返す。

<盛り上がった?>

<うん、結構盛り上がったよ。今日参加できなかった子たちもいるし、暇だからまた明日もしようってなった。シャワーしてくるね>


 ──明日も。

 寂しさが胸にこみ上げてくる。


<わかった。眠たいから先に寝るね>

とだけ、送る。

 すでに慧はシャワーに向かったらしく、既読にもならない。

 いつもだったらお互いに<おやすみ、愛してるよ>と送り合うのを欠かさないけれど、そんな気持ちになれなくて、そして寂しい気持ちをわかってほしくて、わざと送らないでそのまま寝た。


 

 早朝、目覚めて最初にスマホを確認する。

 慧からは私が寝た後に<おやすみ>とだけ入っていた。


 カチンと来て、メッセージを打ち込む。

<なんで愛してるって書いてくれないの?>

 通知で慧が起きたのか、やがて既読になった。

<おはよう。忘れてたかも。ごめんね、愛してるよ>

<私がわざと書いていないって気づいてないでしょう>

<あ、ほんとだ。莉理すねてるの? かわいい>


 ほんとにわかってない。

 通話に切り替えると、慧が起き抜けの声で「おはよぉ」と言う。

 そののんびりさに腹が立つあまり、私は泣き出した。


「そもそも、行ってきますも始まるよもなくいきなり飲み会に行っちゃって」

「あ、そうだったね、ごめんね」

 私が泣いている気配を感じた慧の声がおろおろしている。

「いつもの挨拶も忘れるくらい飲んで。私が書いていない意味も気づかないで」

「ごめんなさい」

「それでまた今夜もするんでしょ」

「う、うん。今夜はちゃんと行ってきます言うし、寝る前には愛してるよ言うからね」

「そうしてください」

「はい。ねえ莉理、もしかして生理近い?」

「……うん」

「だから余計に情緒不安定なんだね。ごめんね、そんな時に寂しい思いさせて」


 その言葉で、胸に巣くった重たい塊が雪解けみたいに流れていくようだった。

 慧はちゃんと分かってくれる。

 ──やっぱり慧が好き。

 ホルモンから来るどうしようもない不安定さも理解してくれる彼女でよかった。

 歴代の彼氏にこんな気遣いをしてもらったことは一度もなかったと思う。


 私の涙は止まり、着替えた後にまた私たちはオンラインで顔を合わせたのだった。



 夕方6時少し前。

 慧からのLINEが届いた。

<飲み会のURLが送られてきたわ。じゃあそろそろ行くね。また後でね>

<行ってらっしゃい。楽しんでね>

<ありがとう。莉理、愛してるよ>

 慧の学びぶりがすごい。

 私は昨日よりずいぶんと穏やかな気持ちでNetflixを起動させた。

 ──そうなのだ。私はめんどくさいけれど、私を機嫌良くさせておくなんて簡単なんだ、本当は。


 恋愛リアリティーショーの思いがけない展開に夢中になっているうちに、また11時を回っていた。

<お風呂に入るね>

と同じようにLINEしてシャワーした。

 出てくると、<お待たせ。男子達はまだ続いているけれど、私はもう出てきたよ。私もシャワーしておくね>と慧からの返事が届いていた。

 もう飲み会が終わったことに安心して髪をブローしていると、

<出たよ>と慧。

<お帰り。楽しかった?>

<ただいま。うん、でもさすがにもう明日はないよ>

 それを懸念していたので、正直、ほっとする。

<了解>

<莉理は何してたの?>

<ベランダハウス観ていたよ>

<好きだねえ。そういえば、スタジオに出てるあの芸人ってもう復活した?>

 そこからその芸人の話になったけれど、私はもう慧が寝るのではないかと気が気ではなかった。

 飲んだ後の慧はコテンと寝てしまうことが多かったから。

 今日こそはちゃんといつもの言葉を送ってもらって、昨日の上書きをしたい。

<ねえ、芸人の話はもういいからさ。眠くない?>

<大丈夫。ちょっと調べてみるね>


 これは寝るフラグだ……。


 私は急いで歯磨きをしながら入力する。

<慧、眠たいでしょ? 先におやすみする?>

 ──既読にならない。

 私はため息をついた。

 きっとネットサーフィンをしているうちに慧は寝てしまったのだろう。

 だから、芸人の話なんていいって書いたのに。


 バカ慧。


 もちろん私も、「愛してる」は送らずに寝た。



 翌朝、目覚めて最初にスマホを確認する。

少し前に慧が起きたらしく、<おはよう>と入ってる。

 やっぱり今回も慧は失敗したことに気づいていないようだった。

<おはよう>

と送ると、すぐに既読が付いた。

<起きたんだね、莉理>

 嬉しそうなスタンプも送られてきたけれど、私は怒っていた。


<ねえ、言ってないよ>

<あ。本当だ、ごめんね莉理。愛してるよ>

<また言わないで寝たよね。だから、芸人の話はもういいよって送ったのに>

<許してよ。調べながら莉理がベッドに来るの待とうと思ってたんだけれど>

<いつものパターンじゃん。飲んだら寝ちゃうから、眠くない? って書いたのに>

<あ、怒ってる~>


 そのからかうような書き方が引き金だった。


<そういうこと、言われたくない>

<ごめんなさい>

<二日続けてだよね。気をつけるって言ったのに。行ってきますは言ってくれたけれど、やっぱり飲むと愛してるは忘れちゃう。昨日はちゃんと言ってもらって、オンライン飲み会しても大丈夫って私だって言いたかったのに>

<ほんとだね、ごめんね>

<また次もあるんでしょ?>

<具体的には決まってないけれど。次はちゃんとするから>

<疑心暗鬼で行ってらっしゃいすると思う>

<頑張ってオンライン飲み会するよ>


 二度目の引き金。

 スマホを投げ出しそうになるのをこらえる。


<そこは頑張るところじゃないでしょう? オンライン飲み会を頑張ってほしいわけじゃないもん>

<ごめんなさい>

<やるってなったらこっちは送り出すしかないけれど。

 もうなきゃいいのに、オンライン飲み会なんて>

<そう莉理に思わせた私が悪い。ごめんね>

 謝られても、なかなか気持ちの落とし所が見つからなかった。

 ──今の私、いつもより何倍もめんどくさい彼女だ。


<ちょっと時間置くね>

 私は画面をオフすると、また布団をかぶって寝た。



 チャイムが鳴って目が覚めた。

 通販か実家からか、と思いつつインターホンに出ると、スープカレー店だった。

「スープカレー? 注文していませんけど」

「札幌の太田様からのご注文です。お支払いも済んでいますのでお受け取りだけで結構です」

 ──慧だ!


 Tシャツにスウェットのぼさぼさ頭で受け取ると、札幌から東京に進出したスープカレー店だった。

 ひき肉温玉納豆、豆乳入りマイルドスープ、辛さ3、ご飯少なめ。

 完璧に私の好きな組み合わせ。


 LINEももどかしく、慧に電話をかけた。

「ありがとう、届いたよ、ナデシコカレー」

「うん。本当だったら、札幌で一緒にスープカレー食べるはずだったし、同じものをオンラインで食べたら少しは莉理の気持ちも晴れるかなって思って」


 ──そういうことか。

 慧の気持ちが嬉しくて涙が出てくる。


「慧にも届いたの?」

「うん、ちょっと前に届いたところ。ね、オンラインしよう」

「私、顔も洗ってないしボサ頭なんだけど」

「そんな莉理もかわいくて大好きだし、余計にお泊まり感が出ていいよ」

 もう。


 それから私たちはオンラインで繋げて、お互いの顔を見ながらスープカレーを食べた。

 慧はチキンと野菜、基本のトマトスープ、辛さ8、ご飯普通盛り。

 札幌に来てから初めて食べたというスープカレーに慧はすっかりはまっていた。

「美味しい」

と何度も言いながら頬張る慧が愛おしい。

 もちろん、触れ合える距離で一緒に過ごせるのが一番だけれど、私の大好きな彼女はいつもこうやって私を気遣い、喜ばせてくれる。(失言もするけれど)


「ねえ、もう怒ってない?」

「怒ってないよ」

「よかったあ」

「大好きだよ、慧」


 そう言って画面の中の慧をじっと見つめると、理解した慧が画面に顔を寄せてきた。

 私も画面に向かってかがみ込み、目を閉じる。

 画面越しのキス。

 私の唇には慧のあの柔らかい唇の感触も、温かさも、吐息の甘さも感じられないけれど、慧の愛情は痛いほど感じられた。

 私達は830キロも離れていて、次にいつ会えるかわからない。

 でも確かに同じ時間を生きている。

 愛してる。

 愛してるよ。

 ウイルスなんかでこの気持ちは変わらない。

 だからきっとまた会える。


「これからもまたこんな喧嘩を繰り返すんだろうね」

「このウイルスが収束する頃には喧嘩のネタもなくなっているかもしれない」

「そうだといいけど」


 画面から少し離れると、私の胸元を慧が凝視していた。

「莉理、すごいサービスショット」

 慌てて胸元を押さえる。

「何見てるの、バカ慧」

「ねえ、もう一度……」


 慧が目を細めている。

 私を欲しがっている時の目だ。

 こんなに離れて、会えなくて、でもこんなに愛し合ってる私達に、また新たなオンラインが始まるのかもしれなかった。

 

                        (end)

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めんどくさい彼女 おおきたつぐみ @okitatsugumi

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