第6話【最終話】めんどくさくてカッコいい私の彼女 〈莉理視点〉

 あれから一年と少し経ち、私たちにとっての二度目のクリスマスが近づいていた。

 今日は慧が札幌から東京まで、私に会いに来てくれる日だ。

 ──そう、今私たちは遠距離恋愛をしている。


 去年は想像もしなかったことだけれど、私は去年末に受けた全国採用枠への登用試験に合格し、今年4月に本社販売部へ異動となったのだ。

 

 地域限定採用から全国採用枠への登用は数年前から開始したものの、合格率も低く、ごく限られた人の話だったので、私には全く関係ないことだと思っていた。何しろ、ちょっと前まで佐々木と結婚して退社することが最高のゴールだと考えていたのだから。

 しかし、女性活躍推進法で定められた女性管理職比率がなかなか伸びないことに焦った上層部の号令により、まずは地域枠の女性社員を全国枠へステップアップさせ、管理職候補の母数を増やすよう号令が出た結果、経営企画部ではなんと私が推薦されたのだった。


 夏の終わりに課長に呼び出されて登用試験を受ける意志があるかどうかを打診された時は、驚くと同時に、自分でも思いがけないことだけれど嬉しさが湧き上がった。

「高橋さん、ここ一年ですごく成長して一人称での仕事も増えてきたし。あとは自分に自信をつけるのが必要だと思っているけれど、そのためにも登用試験にチャレンジしてみてはどうかな?」

 そう言われ、すぐに挑戦してみたいですと返事をした。


 あの大きな喧嘩の後、ようやく全てをさらけ出して本物の恋人になった私たちだったけれど、その後も時折喧嘩はしていた。それは私の慧への仕事面のやきもちだとか焦りが原因だったことが多かったように思う。

 慧の優秀さ、慧の周囲の全国枠の人たち、そしていつか慧が再び本社やその他の地域へ旅立つことを思うと、私の心はいつもざわめいた。ざわめきは胸の奥に溜まり、何かのきっかけであふれ出して慧にぶつけてしまう。


 慧のことを、素敵だな、あんな人と付き合えて誇らしい、と思うと同時に、熾烈な競争を勝ち抜いて全国枠で入社し、重要な仕事を任され経験を積んできた慧に比べ、最初からキャリアの上限が決まっている分、入りやすく辞めやすい地域枠で入社し、気楽に仕事をしてきた自分が価値のない人間にも思えた。営業戦略までを担う慧と、せいぜいPTの管理や各種会議の運営をしている私。同い年で同じ女性だからこそ余計に感じたのかもしれない。

 

 佐々木先輩と付き合っていた時はそんなこと考えもしなかった。

 おそらく、彼が社内の「仕事が出来る女性社員」を、生意気だとか可愛くないとかすぐ感情的になるからやりづらいとかよく揶揄していたからだと思う。

 私もその時は同調していた。

 そもそもキャリア志向じゃなかったし、女がガツガツ仕事しているのが素敵なことだとも思わなかった。早くに結婚して若いママになりたいと漠然と思っていたから、地域枠で入社していい人と出会えれば万々歳だと思っていたのだ。


 でも慧の仕事ぶりは女性から見てもカッコよかった。人物的には人の気持ちに疎いし、マイペースなところもあるけれど、残業もいとわず課題を追求したり、自分の意見を臆せずハッキリ言ったり、分からないことは素直に言って新しいことを積極的に学ぶ慧の様子は周囲にも認められていた。

 慧が昇級して北海道を離れたら、私のことなんてすぐに忘れてしまうかもしれない。なんであんなめんどくさい子と付き合っていたのだろうと我に返って、たちまちハイレベルな恋人を作るかもしれない。

 そんな不安が常につきまとっていた。


 慧は悪くないことは分かっていた。時折、不安が溢れて泣きながら彼女をなじったりしてしまうと、慧は「私はどこに行っても莉理を振るなんてありえないよ」と言ってくれたけれど、これは彼女にどうにかしてもらうことではなく、私の乗り越えるべき課題だった。

 そんな時に舞い込んだチャンス。まずは部内の推薦枠を勝ち取り、受験の土俵に上がるために、さらに積極的に仕事に取り組んだ。


 慧にアドバイスをもらって仕事の仕方を真似したり、薦められたビジネス本も読んで知識を増やしていくと、自分の意見も積極的に言えるようになったし、論理的に仕事を進められるようになって任せられる仕事も増えた。そういったことが部長にも認められたらしく、上期の業績評価の結果、無事に推薦をもらえることになった。


 それからは面談試験用に今までの業績、これからの展望をパワーポイントにまとめ、一人3分のプレゼンの練習に明け暮れた。課長や部長の前で披露してはダメ出しされ、家でも慧のPTのプレゼンを思い出しながら練習を繰り返し、年末に役員試験に臨んだ。

 

 慧には、登用試験を受けることは一切言わなかった。

 受からなかったらカッコ悪いから、というのが一番の理由だったけれど、慧の手助けなしでどこまで自分で出来るか試してみたいというのも大きかった。

 面談試験はスーツを着て受けるので、その日終業後にデートした時、慧になんでスーツなの? と聞かれて答えると、

「莉理は何でも最初に言ってねというくせに、そんな大事なことを私には黙ってたんだ」

と怒っていたけれど。

 自分でも都合がいいとは思うけれど、でもそれは私のこだわりだった。

そして、無事に合格の知らせを受け、一番に慧に伝え喜ばれた時、ようやく大好きな慧に対して感じてしまっていた劣等感が少し解消されたのを感じたのだ。


 とは言え、まさかそのままトントン拍子で本社への異動が決まるなんてことは予想していなかった。支社内での異動だとばかり思っていたのに、まさかの本社、しかも激戦の販売部。自分に務まるなんてとてもじゃないけれど思えなかったし、慧と遠距離になってしまう寂しさもあって、萎縮した私に部長が言ってくれた。


「異動の話が出るということは、こちらの推薦と、向こうも高橋さんならやれると見なしたから成立する話なんだ。将来の管理職候補としてきみは期待されたのだから、行ってきなさい」


 その時、初めて私にも仕事への野心というものが生まれたんだと思う。

 そして、慧が「私が同じ営業系としてここから莉理をサポートするから。そして必ず私も販売部へ異動していくから待ってて」と言い切ってくれたことが背中を押し、私は異動を承諾した。

 

 ちなみに、慧は異動が確実視されていた佐々木先輩が私と共に本社勤務になることを懸念していたけれど、それは杞憂に終わった。

 というのも、彼は私と別れた後に法人営業部の新人女性社員に手を出し、また結婚をちらつかせた挙げ句に東京の本命彼女が妊娠し、傷ついた新人は組合に結婚詐欺だと訴え出た。組合と法人部長、経企部長での話し合いの結果、彼は私と同時期に道内最北の営業所へ飛ばされたのだった。まさに絵に描いたような懲罰人事だ。


 4月、まだ雪の残る札幌から初めての東京暮らし、初めての一人暮らしの戸惑いを忘れるほど販売部の仕事は過酷で、最初は何が分からないかも分からず、何度も失敗しては悔しく情けない思いで泣いた。

 でも慧は約束通り、私の泣き言を聞いては現実的なアドバイスをくれたり、様々な現場のデータを送ってくれたり、私のアイディアを北海道の市場に当てはめてシミュレーションしてくれたりした。そして、本社時代に一緒に仕事をした人たちに私のことをよろしくと言ってくれたおかげで、だいたいの部署に助けてくれる人がいた。慧は広くコミュニケーションを取るのは苦手だけれど、仕事を通して信頼関係を深めた人たちには定期的に連絡を取っていたから、彼ら・彼女たちは親身になって私の相談に乗ってくれた。

 そういった慧の手助けと、周囲の人達のサポートで少しずつ私も慣れていき、必死で仕事をすることで出来ることが広がり、深まる楽しさも味わうようになった。

 まだまだ慧のレベルには遠く及ばないけれど、私は私に課せられた業務に精一杯励むしかない。


 仕事に慣れてくると、より一層慧が恋しくなった。疲れてたどり着く暗い自宅、予定のない週末、一人で食べるご飯。遠距離になって札幌にいた時のように慧に触れられず、慧への恋しさが募った。

 ゴールデンウィーク、夏休み、シルバーウィークでの旅行、ペアリング、そして帰省や会議のタイミングでの再会で思い出は重ねてきたけれど、何度経験しても別れの時には悲しくて寂しくて大泣きしてしまい、慧もほろほろと涙を流し、その後胸に穴が空いたようにしばらく呆然としてしまう。


 近くにいなくても彼女の毎日を見ていたくて、だいぶ減った二人のルールに<毎日自分の写真を送り合う>を加えたいと提案すると、慧は自撮りなんてしたことない、と言って戸惑っていたけれど、承諾してくれた。

 最初は真顔やブレた画像ばかり送ってきた慧だったけれど、だんだんと柔らかい表情で写ることも多くなっていき、日々の慧の姿を励みに私はまた頑張れた。


 今日は2ヶ月前の全国会議ぶりに慧に会える。慧は午前だけ仕事してすでに空港に到着しているらしい。

 私はこんな日に限って打ち合わせが重なっていた。でもどうにか最寄り駅まで慧を迎えに行けるよう、残業を回避するため、お昼も食べずに資料をまとめた。

 午後イチの会議から戻ると、デスクに置きっぱなしのスマホ画面には慧から14件ものメッセージ通知が届いていた。飛行機を待つだけなので暇を持て余しているのだろう。


<思ったより早く空港着いちゃった♪>

<あの飛行機に乗るんだよ>+飛行機の画像。

<今ソフトクリーム食べてます>+食べている自撮り(可愛い)。

<なかなか既読にならないね。莉理忙しいの?>


「うん、忙しいよ」と呟く。


<なんか私だけ張り切っちゃってるみたい>+しょんぼりスタンプ。

<私は大ニュースあるのにな>

<早く話したい!>

<そういえば今日は莉理の写真もらってませんよ>

<ねえねえ、私のこと忘れたの~?>

<まさか本社で浮気してるんじゃ!>+ガーン! 顔のスタンプ。


「あー、めんどくさい!」

と声に出してしまい、隣の先輩に怪訝そうに見られて慌ててごまかし、フロアを出た。

 自撮りを撮るためにトイレに向かいながら思わず笑みがこぼれる。


 ──ああ。めんどくさくて可愛い私の彼女。


 仕事が出来て優秀だけれど人の気持ちに疎くて、マイペースで。

 気になることがあると一人でぐるぐる考えて、勝手に結論づけてそれにがんじがらめになって。

 でも私のことを誰より分かろうとしてくれて、ピンチの時は必ず助けてくれる。

 こんなに離れていても、いつも。


「私が莉理を幸せにしたい」と慧が言ってくれて始まった私たちの恋。

 ──慧。あの頃は私も慧に幸せにしてもらいたいと思ってたくさん甘えたね。

 たくさんわがままも言ったし、やきもちも妬いてきた。

 めんどくさいって思わせちゃったろうに、私のこと好きでいてくれてありがとう。


 ──今は。今は、私だって慧を幸せにするんだって思って頑張ってるよ。


 めんどくさくてカッコいい私の彼女を、誰より愛しているから。

   

                   end.

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