第284話 性格の悪いあねおといも

――無の世界



 闇のみが支配する、狭間の世界。

 無との境界線。

 

 何もない場所……今あるのは笠鷺燎と地蔵菩薩のみ。


 かつて、笠鷺はこの場所で自分の姿を失いかけた。

 だが、今の彼は確固とした自分を思い描いている。


 細胞の一欠けらも無くす事無く自分を保ち続ける笠鷺へ、地蔵菩薩が話しかける。

「慣れているといえ、こうまで自分を具現できるとは驚きです」

「まぁ、慣れもあるけど、歳を重ねて落ち着いたおかげでもあるかな。お地蔵様こそ、全然平気みたいで」

「私は人とは違うので。とはいえ、あまり長居をすれば無に溶かされてしまいますが……さて、これからどうします?」


 地蔵菩薩は自身が持つ錫杖を揺らす。

 その意味を理解している笠鷺は、彼の錫杖を止めた。



「ちょっと待ってください。二つ、無の世界で想像しなきゃならないことがありますから」

「二つ?」

「そ、二つ」


 笠鷺は無を見つめ、想像する。

 想像は無に反映し、創造となり、有を生み出す。

 一つの有を生み出した彼は、次に二つ目の有を産んだ。

 それらを目にして、さらに修正を加える。


「えっと、長さはこんなもんかな。こっちはもうちょっと、小さめでっと」

「勝手知ったるとはいえ、見事なものです」

「はは、そうかな? これでよしっ」


 彼は二つの有を瞳に映し、地蔵菩薩へ視線を移す。


「準備は万端です。いつでもどうぞ」

「わかりました。場所は?」

「俺がイメージします。そこに……っ?」

 

 笠鷺は言葉途中で軽く首を捻る。

 

「どうされました、笠鷺さん?」

「いえ、なぜ上位者たちはこれを許すのかと?」

「おそらく、それは運命がそうさせるからですよ」

「ここまで俺の予定通り? ということですか?」


「私もはっきりしたことはわかりません。あなたは一時とはいえ、私たちを越えた存在。その力がどこまで影響し、邪魔をすればどのような反応が返ってくるわからないのです」

「ふむぅ~、我ながらすごいね。それじゃ、今度こそイメージして……イメージ完了。お願いします」

「はい」


 

 地蔵菩薩は錫杖を振るった。

 先端にある無数の金環がぶつかり合うと、音は無に広がり、鼓膜を震わせ、心に沁みる。

 

 視界は揺らぎ、次に瞳へ飛び込んできたのは……どこまでも広がる青々とした草原。


 心地よい風と肌を照りつける太陽が笠鷺たちを歓迎した。

 彼は草原の名を口ずさむ。



「シオンシャ大平原……」

「あなたが初めてアクタへ訪れた場所ですね」

「ええ」



 笠鷺燎はアクタへ戻ってきた。

 ただし、姿は少女ではなく、少年の姿で。

 彼は久しぶりのアクタを目にして、大きく背を伸ばす。


「う~ん、懐かしいなぁ。この広々とした平原。季節は夏か。あの時からどのくらい経ったんだろう?」

「さほど経過していませんよ」

「そうなんですか? それはお地蔵様が?」

「ええ、笠鷺さんは時間の特定まで指定しなかったので、勝手ながら……」


 笠鷺は無言で地蔵菩薩に会釈をした。

 そこへ、かなり苛立った様子の女性の声が割って入ってきた。



「一体何のつもりなの? 何故、私を助けた!? 笠鷺燎!」

「どうした、ウード? 何をそんなに怒っている?」



 笠鷺は視線を声に向ける。

 そこには、笠鷺の前世であり、最大の敵であったウードが立っていた。


 しかし、その姿は以前のウードとは全く異なる姿。

 魂の存在であった彼女は、ヤツハを大人にしたような姿をしていた。

 だが、いまは……。



「何故って……こんな、こんな、凡庸な姿で私をっ!」

 ウードは笠鷺を睨みつける。

 以前の彼女であれば、その憎しみ宿る視線さえも美として、他者の魂を蕩けさせていた。

 しかし、今の彼女にはそのようなことはできない。


 ウードは絶世の美女とは程遠い姿をしていた。

 かといって、醜いわけでもない。

 美も醜もない、特に特徴のない大人の女性。

 

 力もまたなく、魔力もない。

 普通の人。



 笠鷺はウードを目にして、薄く笑う。

「ふふ、いい様だな」

「貴様ぁ」

「はは、その姿がお前を助けた理由さ」

「何ですって?」


「少年だった俺はお前に敗北した。だけど、負けっぱなしってのが当時の俺にはどうしても気に食わなかった。だから、お前に仕返ししてやろうと思ったわけだ」

「だから、こんな姿に?」


「そうだ。プライドの高いお前のことだ。普通の人ってのは耐えがたい苦痛だろうな。少年だった笠鷺は、そんなお前が汚辱に悶え苦しみ、年老い、嘆きに閉じるまで見届けようとお前を自分に取り込んだ」


 

 運命を力を冠した少年笠鷺は、ウードを消す直前に、彼女への復讐心に支配されてウードを自分の魂に組み込んだ。

 それが理由となり、前世の罪を覆したにも関わらず、大罪を宿した彼は再び宇宙追放刑を受けることになったのだ。

 

 

 ウードは髪を振り乱し、相対する者を石に変えてしまう恐ろしき眼光を飛ばす。

「この~、屑がっ!」

「ふふ、そりゃあ俺はお前の生まれ変わりだからな。そういう屑な部分もあるだろうよ」

「ぐぎ~、こんな侮辱! ただで済むと思っていないでしょうねっ!?」


「ああ、思ってない。好きなだけ抵抗すればいい。好きなだけ何かを企めばいい。だが、その全てを俺が止める」

「あなた如きに私を止められると思ってっ!? 私に敗れた分際で!」

「できるさ。お前こそ、俺を上回れると思っているのか?」

「クッ!」


 笠鷺は瞳へ僅かに力を入れた。

 そこには殺気など微塵もない。

 だが、ウードは目を逸らした。

 彼の瞳にはウードでは届かぬ、ある力が宿っていたからだ。


「ウード。以前のお前は年長者であり、少年だった俺よりも経験があった。だが、今は違う。たとえ、お前が支配を知る女であろうとも、から見れば、小娘同然……今のを出し抜くことができると思うなよ」



 笠鷺の瞳には経験豊富な大人の力が宿っている。

 彼はここまで様々な経験を積んできた。その経験という名の鎖がウードの両手両足を縛る。

 

 ウードは歯ぎしりを立てながら、口を閉じる。

 だが、彼女とて一国を治めた経験を持つ者。

 普通の女ではない。


 歯を滑らし、耳に不快感を与える音とともに、笠鷺へ言葉を返した。



「所詮は凡俗の経験! 恐るるに足りない!!」

「かもな。だから、この子がいる」


 笠鷺の後ろから一人の少女が飛び出してきた。

 少女はウードに向かって、あっかんべーと舌を出す。


「あんたが悪いことしたら、私がとっちめてやるんだから、べ~だ」

「この~、ヤツハ~」



 笠鷺の後ろから飛び出してきたのはヤツハ。

 とても幼いヤツハだった。

 少女はとても愛らしく、艶やかな黒髪と潤んだ黒真珠の瞳を持ち、以前のヤツハをそのまま幼くしたような姿をしている。

 そのヤツハからは壮麗たる魔力が溢れ出し、凡庸なウードとは比べ物にならない。



 笠鷺はヤツハの頭に手を置き、撫でる。

「ほんっと、無の世界っては便利だ。慣れれば、お前たちを作るなんて造作もない」


 彼は無の世界でウードとヤツハを形成し、自分の内に納めていた彼女たちの魂をそれに移したのだった。

 幼女ヤツハはぴたりと笠鷺に寄り添い、彼を見上げる。


「もっと、不細工に作ればよかったのにっ。ううん、人間じゃなくて、バクテリアとかでもよかったのに!」

「それも考えたんだけどね。でも、人間の方が、こっちもウードの苦しみ具合がわかるし。それに、機会を与えたかった。反省する機会をね」


 そう言って、ウードに微笑みかける。

 だが、ウードはその微笑みに大いなる恥辱を味わう。


「私が、同情、されるなんて……」

「ま、お前ならそんな反応するだろうね」

「わ、わかっていて、貴様ぁ」


 

 ウードの憤怒に、笠鷺は笑みを見せ、隣にいるヤツハははしゃぐような声を上げて、彼にハイタッチを求めてきた。

「さすが、お兄ちゃん。ヘイッ!」

「はいよっ」


 手を打ち合い、二人はウードに視線を戻す。

「どうしたんだい、ウードお姉ちゃん?」

「もう、お姉ちゃん。イライラはお肌に毒だよ~」


「こいつらっ。誰が貴様らのお姉ちゃんだ! だいたい、今の笠鷺は私よりも年上じゃないのっ?」


「見た目はお前の方が年上だから。因みに俺は十五歳。ヤツハは十歳。お前は二十歳に設定してある」

「この~、忌々しい、忌々しい、忌々しい~」


 片手で頭を押さえ、呪いの言葉を吐き続ける姉のウード。

 それをしたり顔で見守り続ける、弟と妹……。



 ここまで三人のやり取りを黙ってみていた地蔵菩薩が乾いたような声を漏らす。

「からかい過ぎだと思いますが……さすが、同一の魂といったところでもありますね」

「呆れさせてしまいましたか?」

「いえ、楽しく見物させていただきました」

「ははは、お地蔵様もなかなか」



 笠鷺たちの意地悪な笑い声とウードの呪い声が響く。

 その最中さなか、それらの全てを凍りつかせる、とある少女の声がアクタに広がった。



<ようこそ、アクタへ。笠鷺御一行様>



 その声は四人のそれぞれの背後から聞こえる。

 

 皆の身体は指先一つ動かせず、後ろを振り向き、彼女の姿を自分の目で確認することなんてできない。

 対面する笠鷺たちとウードの瞳にも姿は宿らない。

 たしかに存在するが、覗き見ることを許されない存在――即ち、神。


 笠鷺は絶対なる存在に言葉を返す。



「コトアか……」

「ご名答~」

「何の用だ?」

「人の世界にずかずかと上がり込んでおいてそんなこと言うの~?」

「なら、追い出すか?」

「やめとく。まだ、私の力では君の運命の力に対抗できないもん。だから、追い出すという行為がどんな作用を働かせるかわからないし」


 

 後ろにいる存在は普通の少女のような声を響かせる。

 だが、一声上げるたびに、笠鷺たちの胸を圧迫する。


「この力……さすがは神。でも、できれば、もう少し柔らかく話して欲しいもんだ」

「これでも力を押さえてるんだよ。ま、君のおかげ強くなりすぎたせいでもあるんだけど」

「俺のおかげ?」


「ふふ、やっぱり覚えていなんだ。全知全能であったのは一瞬だから仕方ないっか。だからこそ、答えを教えてあげようとここに来たんだけどね」

「答え……あんたが俺を使い、何かをしようとしていたことか?」


「そのとお~り! 語ってあげる。私が君を利用して、何を為そうとしていたのかを……」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る