第243話 手札と切り札と殺意

「はぁはぁ、なんだよ? まだ、頭がいてぇ」

 ズキズキと痛むこめかみに左手を当てた。

 そこにはぬるりとした感触が……。


「なに?」

 それは耳傍から感じる。

 手で拭い、目にする。


「血っ!? 嘘っ、耳から!? あっ!」

 ぽたりぽたりと鼻血が落ちる。

「何これ、ヤバくね……この頭痛といい、もしかして、脳に負荷がかかったから?」


 以前、地下水路で迷った際、引き出しの世界の力を多用しすぎて、軽い頭痛を起こしたことがあった。

 

「一気に情報が脳に入ってきたから、それに耐えられなくて……何が起こってんだ?」

 以前とは違う、引き出しの世界。

 文字が浮かび、そこに映ったのは多くの人々の記憶?


「屋敷では過去の会話を聞くテレパシーっぽい能力と思っていたけど、違うのか? 今のは会話というよりも、アクタの人々の記憶っぽい。アクタの? そういや、女神っぽい女の子がくれたメッセージの一部に、たしか……」


 


『引き出しの知識は脳の中だけでは留まらない。アクタと繋がり、先にある無の全てに繋がっている。そしてそれは、君の魂だけに宿る力』



「つまり……この力はアクタと繋がっている? だから、アクタの人々の記憶に触れることができた? そうなると、あのときのアプフェルたちの会話は」


 屋敷で耳にした会話。

 あれは過去の会話ではなく、アクタに刻まれた記憶? ということになるのだろうか?


「だけど、なんで……?」


 このなんでには二つの意味がある。

 一つは、なぜ今になって、この力がはっきりと具現したのかということ。

 もっとも、その答えはすでに出ている。


「コトアは俺の魂だけに宿る力と言った。たぶん、制御力や神龍の力と同じように、俺だけの魂となってこの力がパワーアップしたんだ。となると、もう一つは」



 もう一つのなんで?

 どうして、アクタの人々の情報を見ることができるのか? 

 という部分。


「俺が見たのはみんなの記憶……以前の俺は自分の記憶だけしか見れなかった。つまり、パワーアップして他人の記憶まで見れるようになった? でも、それはおかしい。アプフェルたちの時もそうだったけど、本人もいないのにどうして?」



 情報を持つ者が傍にいないのに飛び込んでくる情報。

 情報――この言葉にある記憶が蘇る。

 それはサシオンからアクタという世界が、どのように生まれたのかを聞いたときの会話だ。


――


『だがある時、命溢れる世界を見つめ続ける神々の中に、その役目に耐えられない者たちが現れた。その者たちは無の世界に有を生もうとした。しかし、創造の力を持たぬ神にそれは叶わず。有は無に抗えず取り込まれる』


『でも、コトアは創り上げた』

『そう、コトアを含め、幾人かの神は命ある世界から漏れ出た情報を使い、世界を産むことに成功した』


『その一つが、アクタ?』


『その通りだ。そして、このアクタは無に生まれた世界の中で、最も形を成している世界。それでも、情報の断片のみで作られた世界であるが』

『つまり、いろんな世界から漏れ出した情報や投棄された情報で作られた、ツギハギだらけの世界ってわけなんだ』


――


「……アクタは情報が積み重なってできた世界」


 アクタは様々な世界の情報を積み上げて創られた世界。

 この世界は情報の塊といっても過言ではない。


「俺は世界の記憶、情報に触れることができるようになったのか。じゃあ、この能力って、自分の記憶に触れる能力じゃなくて、様々な情報に触れる能力ってわけか? 物や形の情報だけではなく、人の心の情報さえも……」


 だから、女神様は引き出しの知識は俺だけには留まらず、アクタと繋がっているとアドバイスしてきた?


「だけど、そうなると、無と繋がっているって、どういう意味だ?」

 

 この意味自体はわからない。

 だが、引き出しの力がもう使えないのはわかる。


「勝手に知識が脳に入り込んでくるんじゃ、危なくて使えない。あんな膨大な知識、扱えるかって話。いつっ、くそっ。まだ、頭がいてぇな」


 

 ズキズキ痛む頭を押さえ、とりあえずわかっていることを整理する。


 現在、俺の手札にあるもの。


 一つ目は、制御力の増した魔力。

 だけど、魔力そのものはちっぽけで大きな魔法は使えそうにない。 

 さらに回復は不可で使い切り。


 二つ目は、トーラスイディオムの力。

 現在、唯一ウードに対抗できそうな力。

 これをどうあの女にぶつけるかが勝敗の決め手。


 三つ目は、引き出しの力。

 だが、まるで情報が暴走しているかの如く無理やり脳に入り込んできて、その負荷に耐えられない。

 使えば、脳が壊れる。


 

「んで、四つ目が拳銃か……魔法の前では役に立たなそうだけど~」

 俺はトーラスイディオムの力が宿る紫の爪を瞳に入れる。


「拳銃を使って……こうすれば…………うん、単純だけど、これぐらいしか思いつかないな。魔法も役に立ちそうにないし。あとはどうやって、ウードへ近づくか?」



 彼女は今どこに居るのだろうか?

 王都かリーベンか?

 

 俺は自分の観察を止めて、周囲を見回した。

 広々した草原。

 最初に訪れた草原に似ているが、ちょっと違う気がする。


 太陽を目にする。

 肌を照りつける陽気は額に汗を浮かばせる。


「夏ってことかな? 問題はいつの夏か……」


 アクタは時間が曖昧な世界。

 近藤は俺より後に亡くなったはずなのに、俺より前にアクタへ訪れていた。

 つまり、俺が死んでアクタに訪れた時間と、トーラスイディオムの力でアクタへ送り戻された時間が同じとは限らない。



「さてと、あの戦争からどのくらい時が経ったのか……それとも、ヤツハがフォレと出会う前なのか。百年前とか百年後だったらどうしよう……それを確認するためにも、村なり町なりを見つけたいところだけど~」


 きょろきょろと辺りを見回すが、それらしきものは見えない。

 そこに強い風が吹いた。

 それには僅かに焦げ臭さが乗っていた。


「スンスン、何の匂い? あっちか」


 風は太陽を正面に置いた右側から吹いてきた。


「太陽の位置が高いから南と仮定して、あっちは西になるのかな? ま、とりあえず歩くか。人がいてくれるといいけど、何気に腹も減ってるし……」


 近藤との待ち合わせは十時だった。

 それから小一時間ほどここで過ごしている。

 だから、腹も減る。


「なんとか、飢え死にする前に村を見つけたいね……死、か……っ」


 死という言葉が無を思い出させる。

 足を前へ踏み出す。 

 それは普通の足。

 火傷も何もない。


 そのはずなのに、無の世界で味わった苦痛が蘇ってきた。

 だけど、嗚咽を漏らすことなく、心に憎しみだけを沁み渡らせる。


「熱かった……苦しかった……逃れたいと思った……死にたいと願った……。ウード、絶対に許さねぇ。必ず、殺してやる――」

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