第230話 帰ってきた友

 砂煙が舞う戦場に、二つの影が浮かぶ。

 一つは人猫じんびょう族のケットシー、クイニー=アマン。

 

 艶やかな黒の毛に覆われた彼女は、しなりと体を揺らして歩く。

 そこには気品を感じさせ、まるでお姫様のような歩き姿なのに、服装は真逆。

 黒いコートに白のブラウス。赤いボトムス。

 そして、海賊のトレンドマークであるドクロマーク付きの海賊帽を被っている。



 彼女の隣にはもう一つの影。

 彼の名は近衛このえ騎士団『アステル』の副団長、フォレ=ノワール。

 だけど、今の彼は名もなき一人の男。


 彼は騎士団の象徴である青い鎧を身に纏っておらず、パラディーゾ侯爵から頂いた旅人の姿をしていた。

 上下白色の衣服を纏い、若草色のフード付きマント。

 ただ、エヌエン関所の時とは違い、上下の衣服は薄手のものから厚手のものへと変わっている。


 そして、彼の腰元には……女神の黒き装具を超える、頂にある天穹てんきゅうの装具。日本刀「ヤツハ」をしっかりとたずさえてあった。

 



 フォレは約束通り戻ってきてくれた。

 そして、初めて出会った時のように、盗賊たちから助けてくれたあの時のように、自信に満ち溢れた姿を見せてくれている。



 彼の姿を瞳に宿すと、ヤツハの心が激しく暴れ出す。

 このまま彼の元に駆け出して抱きしめたい……そう、ヤツハは俺に訴える。

 だけど、俺はその思いに応えるつもりない。

 

 多くの目がある戦場。

 危機に瀕したこの状況下で現れた騎士。英雄、ヒーロー。

 ここで彼を抱きしめれば、誰の目にもそう映ってしまう。

 だからこらえる。

 大切な友を傷つけないためにも…………俺はヤツハの心を切り捨てる。


(ヤツハ。悪いが、俺はアプフェルの悲しむ姿を見たくないんだ) 

 そう、彼女の心に語りかけた。

 すると、あれほど高ぶっていた感情は一気にしぼむ。

 ヤツハもまた、アプフェルの悲しむ姿を見たくないようだ。



 残酷な話だが、誰もが手に入れたい幸せを手にすることができるわけじゃない。

 俺は俺の心を犠牲にすることをすでに選んでいる。

 それを生まれたばかりのヤツハに強いることが酷なのはわかっている。

 でも、不完全な彼女ではフォレを愛せない……。


 そうであるのに、そんな力なき存在である痛ましいヤツハに、俺は縋る。

 目を閉じて、心の鍵をかける。

 

 目を開けると、そこは巨大な箪笥が鎮座する引き出しの世界。

 ウードの姿はなく、目の前にいるのは小さな青い燈火ともしび


 俺はヤツハに想いを伝える。

「この戦いまでは、何とか食らいつく。でも、そのあとはっ! ……俺がいなくなったら、ウードからみんなを護ってやってくれ」


 燈火は一瞬だけ、光を強めた。

 意志も存在も虚ろで、か弱き返事をするだけがやっとの彼女。

 そんな彼女に全てを押し付けて……俺はっ。


 

 瞳を開ける。

 

 フォレとアマンがこちらに向かってくる姿が目に入る。

 俺は少しだけ息を漏らし、何の気負いもなく彼らの元へ向かった。



 二人の傍に立ち止まり、背の高いフォレを見上げる。

 そして、柔らかな笑顔を見せつつ、彼を出迎えた。

「フォレ、おかえり」

「ええ、遅くなってすみません」

「まったくだ。だけど、グッドタイミングでもあるよ」


 そう言って、彼の胸元を軽く殴る。

 そこからは彼の逞しく厚い胸板を感じる。その中に宿る力も……。


「すげぇ、強くなったみたいだな」

「何度も死にかけるような修行をしましたので……ホント、生きているのが不思議なくらいに……」


 その修行とやらを思い出したようで、すっごく青い顔を見せている。

 そんな彼に俺は軽い笑いを返した。

 強くなっても、離れていても、変わっていない彼に安堵を覚える。



 フォレから視線を下へ移す。

 

 何故かアマンが猫髭をうねうねさせながら俺を見ている。

「どうしたの、アマン?」

「なんだか味気のない再会でしたので……熱い抱擁やキスくらいはないんですか?」


 この言葉にフォレは一気に顔を赤くした。

 彼は相変わらず、こういうのに弱い。


 アマンの言葉を受けて、俺は軽く言葉を返す。

「そうだな、それくらいはやってあげてもいいだろうな」

「え!?」

 フォレが驚きの声を上げた。

 だけど……相手はフォレじゃない。


「アマ~ン」

「みぎゃっ!?」


 アマンを抱きしめて、猫な感触を堪能する。

「アマンの毛、艶々でたまんねぇな」

「や、やめてくださいっ、ヤツハさん!」

「ほれ、のどをコロコロしてやろう」

「にゃううぅ、そこはダメですよぉ~」


 ここからさらに、しっぽの先を噛んでみたり肉球を揉んだりと、散々いじり倒してからアマンを解放してやった。

 アマンは涙目で訴える。


「ひ、ひどい」

「人のことをからかうからだよ。ここが戦場じゃなかったら、もっと揉みくちゃにしてるところだからな」



 彼女から視線を外し、黒騎士を目に入れる。

 フォレとアマンもそれに続く。

 

 黒騎士は身動き一つせず、静かに佇む。


「こちらの再会の喜びを待ってくれてるんだ……なわけないよな」

「はい、僅かな間とはいえ、体力を回復していたようですね」

「はぁ、ヤツハさんのせいですよ。私をもてあそぶから」

「ええ~、俺のせいになるの……でも、今のお前らなら、あいつにっ、黒騎士に勝てるんだろ!?」


 

 神なる魔法を超える黒騎士の刃を打ち消した、アマンの氷壁。

 黒騎士の剣閃と互角の力を見せた、フォレの剣閃。


 今の二人なら、黒騎士を!

 ……と、思ったんだけど、フォレとアマンは首を横に振る。


「残念ながら、黒騎士から感じ取れる力は底知れません。私たち二人の手には余ります」

「シュラク村ではそんなこともわからず挑んだのですから、いま思えば、無謀どころか笑い話にすらなりませんね」


「うそ……お前たちでも届かないのかよ?」

「届かないわけではありません。届くためには、あと少し、力が必要なだけです」


 

 フォレは黒騎士の後方へ視線を投げた。

 そこにいたのはクラプフェン、ノアゼット、クレマ。

 三人は疲れを見せている。

 特にノアゼットとクレマの魔力はかなり弱っており、肩で大きく息をしていた。

 クレマに至っては片膝をついて、立ち上がれずにいる。


 フォレは視線をクラプフェンに合わせる。


「クラプフェン様、あとのことを考えるのはお止めになってください!」

「っ、気づかれましたか」


 

 二人のやり取りに、俺は交互に彼らを見ながら問いかけた。

「はっ、どういうこと?」

「クラプフェン様は黒騎士との戦いの後を見ています。つまり、余力を残しているということです」

「はぁ~っ!? クラプフェン、てめぇ。こんな時に手抜きで戦ってたのかよ!?」


「別に手を抜いたわけではありませんよ。ただ、この後の掃討戦と、ソルガムのことを念頭に置いて戦っていただけです」

「それを手抜きってんだよ。死ぬ気でやれ! このドアホ!」

「く、口が悪いですね、あなたは。はぁ、良いのは見目だけですか」

「はぁっ? ムカつくわ~、あいつっ」


 視線を切り、フォレに向ける。


「それじゃ、お前とアマンとクラプフェンのドアホで?」

「どあほはちょっと……まぁ、それはいいとして、そうなりますね。ノアゼット様やクレマ様は消耗が激しいようですから」


「私を外すつもりかっ!」


 ノアゼットはガントレットに魔力を籠めて、朱き気焔を纏う。


「フォレよっ。私はまだ戦える。足手纏いにはならぬ。だから、下らぬことを言うな!」


 あかに燃える気焔が、真っ赤な髪を舞い上げる。

 彼女は鋭き視線でフォレを切り裂いた。

 

 視線はフォレの心に震えを伝える。

 それは六龍としての誇り。

 そして、戦士としての道を歩む覚悟を決めた、ノアゼット=シュー=ヘーゼルの矜持きょうじ


 フォレは彼女の心を正面から受け止め、はっきりと言葉を返す。

「わかりました。ノアゼット様、共に戦いましょう!」

「うむ」

 ノアゼットは誇り高き頷きを見せた。

 


 その隣ではクレマが息を切らし、擦れるような声を漏らす。


「ま、まて、よ。あたいだって……」

「無理をするな、クレマ」

「だけどよ、ノアゼット。あたいはまだ、黒騎士に一撃すら入れてねぇ。それなのにっ」


「何を言う。先ほどの黒騎士の一撃で、最も強く結界を張ったのはお前ではないか。あれが無ければ、我ら三人は消えていた」

「い、一応、エルフだからな、あたいは。魔法では六龍のあんたらに負ける気は……クソッ、魔力が尽きかけているエルフは足手纏いか!」


「そんなことはない。お前がいてくれたから、私は戦える。まだ、力を示せる。クレマ、礼を言う」

「……しょうがねぇ。頼んだぜ、ノアゼット」

「心得た。黒騎士にクレマと私の矜持を見せつけてやろう!」



 ノアゼットは背中に背負う外套を大きく払った。

 これまでの戦いで外套はボロボロになっている。

 しかし、猛々しい鳥の紋章は健在!

 ノアゼットは背中に多くの誇りを背負い、黒騎士へと向かう。



 

 クラプフェンも黒騎士の元へ向かい、エーヴィヒカイトを握り締めて魔力を刃に伝わせた。

 そこから生まれる気配は深淵。

 底知れぬ力が緑光と共に放たれる。


 アマンは海賊帽の端をピンと跳ねて、冷たき風を纏う。

 無数の水球が彼女を囲み、鈴のような瞳に黒騎士を映す。



 そして、フォレは……。


「ヤツハさん、下がっていてください」

「そうする。悔しいけどね」

「ヤツハさん……あなたの悔しさも私が引き受けますから」

「ああ、大いに期待してるぜ」

「ふふ、私がヤツハさんに期待を向けるときは、ほどほどにと答えるのに……」


「そ、それは……あんまり期待されるとプレッシャーだもん。だけど、お前なら大丈夫だろっ。だから、勝ってこい、フォレ!」

「あはは、わかりました……この日本刀『ヤツハ』に誓って、必ずっ!」


 フォレはスラリと刀を抜き、勢いよく振り下ろす。

 刀身は女神の装具とは違い黒ではなく、眩い銀の輝きを放つ。

 そのやいばが纏う気配は静寂。

 

 舞う砂粒が刀身に触れただけで、粒はさらに身を分かつ。


 ただ、そこにあるだけで全ての存在を切り捨てる刃。

 彼は全てを切る刃に、魔力を灯す。



 蒼光そうこうが刃を包み、そして、フォレを包む。


「では、行ってきます。ヤツハさん」


 フォレは地面を踏み締める音だけを残して、先へと進む。


 彼の頼りがいのある広き背中を目にしながら、俺は右拳を握り締めた。

 その右拳は、一度は砕け散った拳。

 

(黒騎士に一発くらいお見舞いしてやりたかったけど、結局俺じゃ届かなかった……いやっ!)

 紫光が拳を包む。


(もし、隙があれば、あの時の借りを返してみせるぜ。黒騎士!)

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