第196話 罪
ウードは真の名を自らの口で表す。
その名は――
名を明かした途端、彼女の雰囲気ががらりと変わる。
ただ何もせず立っているだけで、淫欲が大気を満たし、色香は俺の鼻腔を突き抜け、脳髄を酔わす。
彼女は一歩、
清らかな川の流れを彷彿とさせる立ち振る舞い。
白鳥が
「フフ、どうしたの?」
「はぁ、はうぅ~」
笑顔を向けられた瞬間、心と身体も……魂さえも彼女に奪われる。
高潔と優雅さを併せ持つ暖かな笑顔。
宝玉のように滑らか肌。
寒空が広がる場所だというのに、
鮮やかで美しく、清らかな翡翠の瞳。
瞳に宿る光は、川面に映る月光。光は遠くへ広がり、空をも照らす。
「フフフ」
彼女は愛欲そそる真っ赤な唇を小さく開く。
そこにはちらりと、真珠のような艶やかな歯が見えた。
同じヤツハの姿でありながら、彼女は俺と比べることすら恥じ入るばかりの完璧な美しさを持つ。
美を表す言葉は全て、彼女のためだけに用意されていたと感じさせる存在。
まさに、絶世独立の美女。
(お、同じ姿でもっ、雰囲気が変わるだけでこんなに違うなんてっ!)
彼女から目を逸らそうと試みる。
しかし、心は美から
瞳に彼女を宿し続ける快感。恍惚。
全てを捧げたくなる。捧げることが当たり前だと感じる。
(クソッ! 負けて、負けてたまるかぁぁあ!)
俺の中に宿る、意地! それは本来、男としての何だかわからん意地!
「はぁ~、おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい! それそれそれそれっ」
下ネタを大声で叫び自分の胸を揉みながら、ちゃんかちゃんかと祭囃子のように舞う。
その様子を見たウードは腹を抱えて笑い声を上げ始めた。
「あははははは、今まで
何かのツボにはまったのか、ウードはらしくない笑い声を出し続ける。
その笑いを聞いて我に返った俺は、恥ずかしさを誤魔化すために言葉を強くぶつけた。
「悪かったな、アホで!! それと、ウード。いや、妲己か? まぁ、どっちでもいいけど、今さら『
「ふふふふ、そうね。あなた相手には、『私』、と口にした方が合っているかも。だから、呼び名もウードでいいわ」
「それじゃ、そうさせてもらう。それにしても……まさか、とんでもない奴が俺の前世だったとはな」
「私もまさか、遥か先の世に名が届いているとは思ってもいなかった」
「ああ、届いてるぜ。お前が犯した非道がな。どうりで宇宙追放刑を受けるはずだっ」
妲己の手で幾万の命が奪われ、幾十万もの人たちが嘆き悲しんできた。
そんな存在が俺の前世だと思うと、吐き気とともに
俺は胸に猛る拒絶と怒気を眼光に宿らせ、ウードを睨む。
彼女はそれを鼻で笑い、自身の刑罰を口にする。
「フフ、私は
「あの程度じゃないだろ!」
「はぁ、愚かね。あの程度なのよ。それについては最初に述べた神々の境界線が薄かった話に繋がるんだけど、まずは私が受けた罰が何だったのかを話すわ。今となれば、良い思い出だからね……」
ウードこと妲己が受けた罰。
妲己は死後、あの世で裁きを受ける。
ただし、彼女は中華の民であったため管轄が違い、日本のあの世の裁判とは勝手が違ったらしい。
それはともかく、妲己はあの世で何度も何度も、身を
虫が体内を這い回り、内臓を食い破る。
頭蓋は引き
糞尿を口から注がれ、それは身体の内部を満たし、逆流した糞尿は目や耳から溢れ出す。
ありとあらゆる苦痛を受けたがそれでも罪は償えず、別の形で償いの続きをすることになる。
それが転生――笠鷺燎として生まれ変わり、過去の罪に気づき、それに反省し、償う。
これらができなければ最高刑である、宇宙追放刑。
俺からしてみれば、理不尽&迷惑極まりない話。
そのことに憤るとウードは薄く笑う。
「フフ、あいつらに、私たち人の価値観など無意味。あいつらは私たちを管理して愉悦に浸る、糞虫にも劣る存在っ」
語尾を吐き捨て、美しい顔を醜く歪める。
俺は彼女の言葉に呆れ返る。
「たしかにわけのわからん基準で刑罰を執行しているけど、お前も十分、糞虫だぞ」
「そうかしら? 今から話す私の大罪の理由を聞けば、高位の存在が如何に人と相容れない存在かわかるわよ」
「ん? 大罪の理由は何万もの人々の命を
「ふふ、ふふふ、ふふふふ……それが大罪の理由じゃない。それだけのことで、私を苛烈に罰したりしない」
「はっ?」
「いい、笠鷺燎。あいつらにとって、命は全て平等なの。人の命も、虫の命も。この意味わかる?」
ウードは地面を見下ろして、ニチャリと笑う。
その行為の意味が分からず戸惑っていると、彼女は地面を足先で踏み、何度も
「人はこうやって、気まぐれに蟻の行列を踏み潰すことがあるでしょう。それによって、蟻たちの命は何十も奪われる」
次に彼女は、目に見えぬ刃を持ち振るう。
「刃物を振るい、何十人もの命を奪う……それは同列。高位の者たちにとって、奪われた蟻の命も人の命も同じ。と、いうわけ」
「蟻と人の命が……本当に?」
「ええ。だから、私が何万、何十万、何百万。いえ、何億の人間を殺そうとも、大した罪ではない。命は全て平等。人は生きているだけで何兆単位で命を奪っている。それなのに、命を奪うことを罪としていたら、罪状が追いつかない」
ウードは右手で左腕をゆっくりと何度も擦り、身体を洗っているかのような動作を見せる。
その様子を見て、俺は声を震わせる。
「細菌やウイルスの命も人の命と同じだと? そうだとしたら、人は数え切れない命を奪っていることになる……だけど、本当に、命を平等として扱っているのか?」
「そうよ。あいつらは命を奪うことを大きな罪と捉えていない。だから、少し彼らのために祈れば、赦される。少しだけ、誰かに優しくするだけで赦される。人の命とは、その程度の価値しかない……」
「そんな、そんなはず……だとしたらっ、あの世の裁きは何のためにあるんだよっ!?」
人の世で巨悪を犯しながら、罰を受けることもなく、のうのうと生きている連中はごまんといる。
そんな連中が死んであの世に行けば、犯してきた罪に震え、罰を受けるはずじゃないのか?
それが僅かな善行で巨悪が赦されるなら、そいつらによって奪われた命や自由は何だったんだっ!?
やったもん勝ちじゃないかっ!!
「あの世の裁判は善人の拠り所だろうが……この世で裁かれなかった悪人。だが、必ずあの世で罰を受けるはず。そう、信じて、善人は道を踏み外すことを留まる。なのに、悪人の罪が、大した罪じゃないなんて」
「人の世で犯した罪は人が裁くしかないってことよ。でなければ、人の嘆きを埋める機会は失われる」
「そんな……」
「さらに不思議なことに、善行を積んだ人間でも時に罰を受けることがあるから、正直、基準が謎で、あいつらの考えは私にもわかりかねる」
「なるほどな……ケンカを売るわけだ」
「え?」
「何でもない」
ウードはサシオンの詳しい事情を知らない。
サシオンはこいつに話を聞かれないように、俺を戦艦のブリッジに転送した。
そうだってのに、危なくあの時の会話を漏らしそうになった。
だから、すぐに話を切り替えることにした。
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