第194話 笠鷺とヤツハとウード
「それで、私に何用なの?」
ウードは身体をしなやかに傾け、
それはヤツハに似た姿でありながら、まったく別の女性……。
美しさを凛と置く可憐な花々も、彼女の純然たる美貌の前では花びらを逸らすだろう。
雨露に濡れる蜘蛛の巣のような夜空の星々も、彼女の
まさに魔性……人を美に狂わせる存在。
俺は彼女に問う。
「ウード、俺は誰だ?」
「誰って、いきなりあなたは何を言っているの?」
「問いに答えて欲しいんだけど、ま、いっか。俺は
「え?」
「え、じゃねぇよ。その原因はお前にあるんだぜ」
この言葉を受けて、ウードは身体をゆらりと振り、艶っぽい所作を見せつつ両腕を組んで、これからの話に臨む姿勢を見せた。
男ならば、いや女であっても、彼女の動作の一つ一つに情欲を駆り立てられるであろう。
かくいう俺も、少しだけウードの姿に魅入ってしまった。
それを小さな笑いで掻き消して、言葉を紡ぐ。
「フフ……まず、お前が抑えている俺の心の一部を返してもらおうか」
「心の一部? それは罪悪感のこと?」
「そう、いまの俺なら受け止められるはずだ」
「そうかしら? あなたの受けた殺人への罪意識は深いもの。下手をすれば、心が壊れるわよ」
「大丈夫だ。たぶんな」
「たぶん……心強い言葉ね。わかった。だけど、いま壊れたら困るので危険だと思ったら止めるから」
「好きにしろ」
ウードは不承不承をありありと見せながら、柔らかな双丘の中心より、黒く蠢く闇の球を生んだ。
俺はソレに近づき、覗き込む。
以前は少し覗いただけで、罪悪感が心を満たし、罪の意識に押しつぶされそうになった。
だけど、今は……。
「はぁ~、あんまいい気分じゃないな。でも、問題ない」
闇に彩られた球に両手を突っ込み、自身の胸に取り込む。
情景が浮かぶ――盗賊の顎先を蹴り、殺してしまった情景が……。
首の骨の折れる音が何度も鼓膜を震わせる。
殺人への罪悪感、恐怖、後悔。
それらは心を
喉を焼く感覚がせり上がってくる。
ヤツハならばここで耐えられなくなり、闇を身から追い出し、吐瀉物をまき散らしたであろう。
だけど、笠鷺燎はそれを受け入れる。
そう、俺はそういう男だった……。
闇を受け入れ、ウードへと顔を向ける。
平然と佇む俺に、彼女は珍しく驚いた表情を見せた。
「どういうこと? あなたは殺人への後悔に打ち震えていたはず」
「それはヤツハだったからだ。元の俺は、お前に近しい感性を持っている」
「ん?」
「ウード。お前はいつから自意識を俺の中に宿した?」
「それは狭間の世界よ。私とあなたの魂は生まれ変わりという鎖でつながっている。おそらく、想像を反映する世界で、あなたの魂の中に潜む私の意識が具現されたんだと思う」
「なるほど……それで、はっきりと自分を意識したのは?」
「アクタへ訪れてすぐ。理由は、地蔵菩薩が贈った過去の知識を眠らせる箪笥の世界。その引き出しの一つに私の記憶が眠っていた。その記憶と微かに具現された私の意識が結び付き、私は私として、あなたの傍に立った」
「あ~、なるほどねぇ。遥か前に忘れ去ったはずの記憶を呼び起こす世界。そいつが前世の記憶まで呼び起こしてしまったわけだ」
「で、それがどうしたの?」
「ってことは、お前は俺がどうやって死んだか詳しく知らないわけだ?」
「そうなるわね。とはいえ、引き出しを使い断片的に見ている。刺されて死んだということはね」
「刺した奴がどうなったかは知っているのか?」
「いえ」
「そうか……」
俺は自分の右手の親指を見つめる。
そこにはあるはずのない、ぬらりとした液体が光る。
「俺は腹部を刺された。だけど……この親指を使い、殺人鬼野郎の目を抉ってやった!」
「えっ?」
「いくら刺されたとはいえ、とんでもない行動だよな。しかも、とっさにやれるなんて。だけどあの時は、死の恐怖よりも怒りが心を満たし、報復することで頭がいっぱいだった。そして、そのことについて、後悔は微塵もない!」
目を抉り穿った親指をウードに見せつける。
彼女は親指を瞳に宿し、笑う。
「フフ、そう。たしかに、私に近い感性を持っているのかも。前世と生まれ変わり。当然と言えば当然ね。私も自分に仇為す存在を決して許さなかった。自分で言うのもなんだけど、その報復は苛烈だった」
「そうか……だけど、俺とお前とでは異なる点がある」
「それは?」
「お前は本当の意味で自分のことしか考えていない。だけど、俺には他者を思いやる心がある」
近藤――彼を見捨てることができず、助けた。
ウードならば、絶対に彼を助けなかった。
これがウードと俺の決定的な違いっ。
そして、その心はヤツハとなった自分を通して、笠鷺燎にさらなる優しさをもたらした。
俺がヤツハであれ、笠鷺燎であれ、仲間を思う気持ちは変わりはしない。
しかし、ウードは人を思う優しさに嘲笑を浮かべる。
彼女には仲間や友という存在がいなかったのだろう……。
だが、それは彼女が歩んだ道。いや、歩み終えた道。
道は途絶え、戻ることはできない。
俺は話を核心へと近づけていく。
「俺はお前と同じく、自身に仇なす存在を許さない。そして、そんな奴に優しさを持ったりはしない。そのはずなのに、首の骨を折ってしまった盗賊の死を後悔し、恐れた。なぜだと思う?」
「もったいつけないで答えを言いなさいよ」
「ふぅ、せっかちなやつ。まぁいい。答えは……俺が女の体になってしまったからだ」
一歩、彼女に近づき、両手をだらりと下げて体を見せつける。
その両手で体全身をなぞり、そして右手の人差し指を頭へと持ってきた。
「男から女へ。言葉にすれば単純。だが、大きな違いがある。身体はもちろん、特に脳。男性の脳と女性の脳とでは構造が異なる。この変化に心はついていけなかった」
俺はウードへ、俺自身に起こっていることを話していく。
ずっと、男としての身体と脳を持ち、男の思考で生きてきた。
だが、前触れもなく女になった。
その衝撃を受けた心の負荷はどれほどのものだったかは計り知れない。
ヤツハとなった俺は長年男として生きてきた思考と、女性としての心を手に入れた。
女性となったばかりの脳……つまり、生まれたばかりの心は純粋であったのであろう。
殺人という罪悪感に耐えられなかった。
その重さと衝撃は強烈。
だからこそ、心が壊れてしまわないように、ウードが自身の力を注ぎ込み罪悪感を抑えた。
しかし、時が経つにつれて、ヤツハの心に笠鷺燎しての心が戻りつつあった。
その狭間に揺れる心。
女の身でありながら、女性が好きなのか、男性が好きなのか……。
そんな中で、俺はフォレに恋心を抱く。
それは、ヤツハの心。
ヤツハはフォレに惹かれていた。
だから、笠鷺の心を取り戻しつつあった俺でも、彼を忌避感なく受け止めることができた。
その笠鷺の心が大きく戻るきっかけとなったのは――黒騎士との戦い。
そこから繋がる、ウードとの協力。
彼女に歩み寄ったため、心の一部を侵食された。
奪われた心は、俺の中に宿っていたヤツハの心。
これらの事柄に気づいたのは、トーラスイディオムとの戦いでの共闘の際だ。
あの時、俺の中でヤツハの思いが小さくなり、笠鷺としての意識が強くなるのを感じた。
「これは仮説だが、ヤツハの心は俺とお前の魂の橋渡しをしているんだと思う」
「どういうこと?」
俺は一度、俺とウードに指を向けて、次にその中間を指さした。
「俺とお前の間にヤツハがいる。俺たちは彼女の腕をもって引っ張り合っているのさ。この身体の主導権を得るために」
ウードは顎に手を置き、視線を静かに目に見えぬヤツハの影に向ける。
そして、小さく呟く。
「……続けて」
「お前が心を侵食するたびに、ヤツハの心は俺から離れ、お前に近づく。それによって、俺はより一層、笠鷺としての心を取り戻す。同時にそれは、身体の乗っ取りが進んでいることの証明」
「なるほど、その仮説が正しいとするなら、ある疑問が解消されるわね」
「ん、それは?」
「あなたの魔力よ。以前よりもあなたの身体を侵食しているはずなのに、まったく衰える様子がない。おそらくだけど、ヤツハの心とやらを媒介にして私と繋がっているからだわ」
「ああ、言われてみれば……俺の主導権を奪われつつあるんだから、力は衰えるはずだもんな」
「面倒な話ね。それに今ので、あなたの魂を奪っているはずだったのにあなたが持つ力を私が使えない理由がわかった」
「ん、そんな力が?」
「ふぅ、そうね……」
ウードは少し言い淀むが、肩を軽く竦め、この程度ならいいかとわかりやすい態度を取り、話を続けた。
「あなたの宿す黄金の力。あれは私には使えない。あの力はあなたの力」
「え、そうなんだ?」
「おかげさまで亜空間転送は私には叶わないわね。それでも、世界に穴を開けること、っ」
彼女は途中で言葉を切った。
それはしゃべり過ぎたという態度に見える。
俺はそれに鋭く切り込む。
「亜空間魔法は使えるんだな。それを俺に知られると、何かまずいことでも?」
「さぁ。ふふ、あるとしたら、何だと思う?」
「こいつっ」
俺に感づかれたとわかるや否や、からかうような口調を見せる。
そこから実は大したことではないのか、ただの余裕なのか、それとも何か大きな不都合があり誤魔化しているのかわからない。
ウードは一度視線を平原に向けて俺に戻し、小さく息を落とす。
「もし、これらの仮説が正しいなら、この身体の本来の持ち主は女性となった、笠鷺燎であるヤツハのもの。ヤツハの心にどれだけ近づけられるかで、主導権が得られるわけね」
「たぶんな。もっとも、ヤツハの心は生まれたばかりで大した自我もなく、俺かお前に組み込まれることでヤツハの思いを感じることのできる……そんな不完全な存在なんだろうけど」
「そう……それは少々厄介ね」
ウードはそっと胸に手を添える。
添えた中にあるのはヤツハの心。
そしてそれは、彼女にとって最大の懸念となるかもしれない心。
ヤツハの誰かを思う、とても純粋な心……。
情けないことに俺は、そんなヤツハの心に縋るしかない。
この戦争の最中か、その後のどちらかで、俺はウードに全てを奪われるだろう。
そうなったら、ウードを止められる存在はヤツハしかいなくなる。
心を閉ざし、小さく呟く。
(満足に意思表示もできない、幼いヤツハの心に頼るしかないなんてっ)
残酷な役目を押し付けることになる。
でも、ウードを止められるのはヤツハしかいない。
俺はその思いを悟られぬように、いつもの自分に戻り、ウードへ軽口を叩く。
「はは、ヤツハのフォレに対する思いが強いと、お前もあいつに惚れるかもな」
「私がフォレを愛してやまない女になると? フフ、子どもの恋心に振り回せられるほど幼くはないわよ、私は」
「幼くないか……どうだ、そろそろお前が何者か話してみては?」
「そうね。鈍いあなたを待っていて答えが出なさそうだし。もしかして、私が聡明だと感じたのは、ヤツハの思考だったのかしら?」
「うっさいわ。で、誰なんだ、お前は?」
ウードは人差し指と中指でそっと唇を押さえて、軽く悩む様子を見せた。
そこから軽い笑いを落とし、くだらない最後の茶番を口にして、俺はそれに呆れて吼える。
「私が何者なのか? クスッ、ヒントをあげるわ」
「またそれかよっ!?」
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