第178話 脱出
「あんたが、クラプフェン……」
目の前に立つのは六龍を纏めている男。
身長は高いが、フォレよりも体の線は細い。
髪色は春に葉を結ぶ若菜のように明るい緑。
ショートヘアで、毛先は風に揺れる穂のように揺らめいている。
見た目は二十代後半から三十代ちょっと。
そうであるのに佇まいからは若々しさを感じ、雰囲気だけだとフォレと並んでもそう変わらないように見える。
柔らかな笑みを浮かべるその顔は、天使のように穏やかだが、蒼い瞳の奥には氷のようにとても冷たい光を覗かせる。
女性が羨むくらいに美しく、そして、鋭利な刃物を感じさせる危険な雰囲気を持つ男。
彼はノアゼットのような重装鎧に身を包むことなく、黒い服の上に白いロングコートを纏っているだけ。
そして、腰には女神の黒き装具らしき剣を提げていた。
クラプフェンはティラに視線をチラリと送り、次に俺へ向ける。
「王の執り行いには臣下として沈黙を選ばざるを得ません。ですが、あなたは別ですよ。ヤツハさん」
クラプフェンは性別を問わず全ての者を魅了する微笑みに、殺気を織り込む。
俺の心は一瞬にして凍りつき、恐怖が手足を呪縛する。
(こいつ、とんでもねぇ……)
俺は人を超える者たちの強さを知っている。
ノアゼットの抱く力は圧倒。
黒騎士の抱く力は絶望。
トーラスイディオムが抱く力は絶対。
サシオンが抱く力は静寂。
だが、クラプフェンという男は、そのどれにも属さない。
彼の抱く力は……深淵。
優しき笑みの奥には、光の届かぬ闇が広がっている。
俺の本能はこう告げる。
――勝てない――
だが、退くわけにはいかない。
(まともにやり合えば、死ぬ。だったら、まともにやらなければいい)
一瞬にして浮かぶ策。
その策のヒントは、今のクラプフェンとの会話にあった。
それはとても馬鹿げているが、実に
(ああ、そうだ。たぶんこれは、俺ならではの発想だ)
心の中に広がる違和感と噛み合う感情。
ウードによって奪われた心が、はっきりとした存在を浮かび上がらせる。
俺は一歩後ろに足を置き、ティラに並ぶ。
「ティラ、俺のそばに居ろ」
「う、うむ、わかった」
俺は左腰より、サシオンから授かった剣を抜く。
右の腰にはティラを置き、ぐっと近づける。
それを受けて、クラプフェンは女神の黒き剣を抜いた。
剣は黒の名の通り、刀身は黒騎士の剣と同様に、光さえ飲み込み消し去る黒。
まだ、魔力を注いでいないというのに、命を震えさせる剣気が伝わってくる。
彼は薄く笑う。
「フフ、黒騎士と渡り合ったと聞き及んでいましたが、それほどの腕には見えませんね。どうやら、勝ったのではなく、見逃された、と言ったところでしょうか?」
「うるさい」
「ふぅ~、どれほどのものかと期待していたのですが、期待外れでしたか。ヤツハさん、抵抗は無意味だと思いますが?」
「はっ! 抵抗しても死ぬ。抵抗しなくてもどうせ処刑。だったら、選択肢は一つ!」
「痛みが少ない分、後者の方がお得だと思いますが?」
「死ぬのにお得もクソもあるかっ!」
俺は一気に魔力を膨れ上がらせて、剣を前に向ける。
そして、剣先に力を集約するっ。
「うおぉぉぉぉ!」
「ほほ~、お見事です。女神の装具もなく、そこまでの力を持つとは」
クラプフェンは眉一つ動かさず、剣も構えず、ただ棒立ちしている。
それは、俺の力に対して、何もする必要がないということ。
「くそっ、舐めるなぁ!」
剣の先に魔力の塊が現れる。
近くにある長椅子は悲鳴を上げて、その身を砕け散らせる。
「受けて見ろっ! クラプフェン!」
俺は魔力を解き放つ!
でも、心の中では……。
(な~んちゃってっ)
剣先に集めた魔力を瞬時にして光の魔法へ還元する。
すると、魔力の塊は、夜を切り裂く太陽の
世界の色を全て白に染め上げる光が礼拝所を埋め尽くす。
同時に別の魔法を唱える。
「心は
「え?」
俺はティラを引き寄せ、その場から姿を消した。
――礼拝所
ヤツハの閃光により、全ての者たちが視界を奪われ、瞳は何も映せずにいた。
ブラウニーは片手で両目を押さえて、もう一方の手で周囲を探る。
「目がっ。いったい何がっ?」
王の問いに、忠臣たるクラプフェンは即座に答える。
「陛下、ご安心を。ただの
「なにっ?」
「あの少女は巨大な魔力を産み、戦うと見せかけて、こちらに力を放つ寸前に力の全てを光に還元したようです。そして、同時に転送魔法を唱えた」
「て、転送魔法だと?」
「はい、実に器用な子ですね」
「何を褒めている? すぐに追え!」
「もちろんです。城は結界に覆われ、城外に転送は無理でしょうが……ですが、城内はもちろんのこと、街にも追っ手を差し向けましょう」
クラプフェンは腰に剣を戻し、後ろを振り向く。
ブラウニー王と背後に構えていた兵士たちは、いまだ光の残影が瞳を染めているようで、目を押さえながら呻き声を上げている。
皆は光に色を奪われよろけているが、クラプフェンは何事もなかったかのように礼拝所の出入り口へ向かう。
その途中、足を止め振り返り、先ほどまでヤツハとティラがいた場所を見つめた。
彼の瞳に映るのは光ではなく、ヤツハとティラの影。
(フフ、並みの使い手であれば、一太刀で彼女のみを斬れた。ですが、抵抗叶う相手のそばにブラン殿下を密着させられては万一のことが……)
瞳に映る影には、ヤツハにくっつき腰を抱きしめているティラの姿。
そして、脳裏を過ぎるは迂闊にも口にしてしまった、己の言葉。
『王の執り行いには臣下として沈黙を選ばざるを得ません。ですが、あなたは別ですよ。ヤツハさん』
(あの少女は私がブラン殿下を傷つけることができないと判断して……フフ、サシオンさんからは隙だらけの人物と聞いていましたが、なかなかどうして……手強い)
クラプフェンは礼拝所の外で控えていた兵士を呼び寄せ、新たな指示を与える。
「六龍・パスティスとバスクをこちらに!」
指示を受けた兵士はすぐさま走り出す。
クラプフェンは彼らに直接与える命令を頭に浮かべる。
(王都の外ならば、どうとでもできますね。ブラン殿下は誘拐され、追い詰められた犯人はブラン殿下を殺害。ここが落としどころでしょうか……二人には大変申し訳ありませんが、汚れ役を引き受けてもらいましょう)
ここにきて、クラプフェンは王族を手に掛けることを決断する。
それは事態が切迫してしまったからだ。
ティラが生きていれば、プラリネ派はそれ拠り所にティラを担ぎ上げるだろう。
さすれば、ジョウハクは混乱に陥る。
だからこそ、ティラにはここで死んでもらいたかった。
だが、ティラはクラプフェンたちの手から離れ去ろうとしてる。
再び連れ戻すにも、彼女を守る騎士は非常に手強い。
六龍といえど、手加減はできないだろう。
ヤツハに命の火が灯るかぎり、彼女はティラを守り続ける。
ティラもまた、か弱き手を振るい、抵抗を試みるだろう。
ならば、ヤツハごとティラを屠り、全てをヤツハに押しつけるしかない。
皆が清いままでいるために……。
彼は大きなため息を漏らす。
「はぁ、なんと薄汚い。ですが、この身が地獄に堕ちようと。ジョウハクを守るのが私の務め。民にジョウハクの
クラプフェンは王都の外を見つめる。
「そのためには王都より脱出してもらわないといけませんね……ですが、現状を知らぬ
近衛騎士団は愚かではない。
王城で何が起こっているのか、わかっているはず。
しかし、王たちの争いとして、彼らは沈黙のうちに見守っている。
だが、もし、王族の殺害を臣下たるクラプフェンが行おうとしていることを知れば……彼らはその
クラプフェンは瞳を凍てつかせ、彼女へ微笑む。
「ですので、期待してますよ、ヤツハさん」
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