第176話 王は己の心の彼方を歩く

――琥珀城・礼拝所



 闇に手を伸ばし、希望の欠片を手にする女神の像を部屋奥の中心に据える。

 女神の姿は気高くも美しい女性を表現しており、衣装は丈の長い布を身体に纏った簡素なもの。

 像の背後には、無の闇に過ごす女神と命育む精霊ドリアードとの出会い……そして、アクタが創られるまでを描いた巨大なステンドグラスが飾ってあった。


 像の前では女神に祈りを捧げ、神官たちの言葉を聞くための長椅子の群れが沈黙のままに整然と並ぶ。



 女神像の袂に、プラリネが眠る棺。

 

 その棺を囲む二つの燭台が生み出す影に、小さな少女の影が伸びている。

 ティラは母の棺を抱きしめて、静かに頬を濡らしていた。


「かあさま……」


 彼女は人を遠ざけ、一度女中が訪れて、涙に枯れた体を癒すために水を置いていったきり、ずっと一人で母のそばにいる。

 この礼拝所にいるのは、プラリネとティラと……ブラウニーだけ……。


 ティラの背後に立つブラウニーは抑揚のない声で話しかける。


「ブラン。気持ちはわかるが葬儀もある。王位継承権のない姫とはいえ、女王の娘として責を果たさねばなるまい」


 

 彼の言葉に、ティラはピクリと反応した。

 反応したのは、女王の娘としての責という言葉……ではない。


(なぜ今、叔父上は王位継承権のない姫と?)


 遺された者を慰める言葉にしては、これは過ぎる言葉。

 小さな違和感……。

 これをブラウニーの性格と切ってしまうこともできる。

 だが、ティラは母の死を前にしながらも、王としての思考が駆け巡る。



(サシオンが叔父上を謀殺しようとした。だが、私にはあの者がかような卑劣な真似をする男に見えぬ。母様は亡くし、気が動転していたが、いま思えばおかしな点が多すぎる)


 ティラは王の娘という立場上、何度もサシオンと会話を行っている。

 彼女の知るサシオンは、常に規律を重んじ、理知的で、隙の無い男。

 そのような者が、疎放そほうな暗殺を行うとは思えない。



(仮に行うとしても、サシオンなら決して証拠を残さずやってのけよう。ならば、あやつは陥れられたと考えるのが自然。それに、食事の順番を城の者が間違えるなどあり得ない話)


 城の行事は作法こそ多いが、一度覚えてしまえば複雑ではない。

 行事ごとに決められた作法を守れば良いだけ。

 さらに、王はもちろん客人に失礼なきよう、何重にも毒味などのチェックが入る。

 それらを掻い潜り、最も重要で単純な食事の順番を間違えるなんてことがあるわけがない。


 

 ティラは語ることのない母を目にしながら、無言で光よりも早く思考を重ねていく。


(単純に考えるとするならば、母の死で最も得をするのは……叔父上。しかし、叔父上は命を狙われた身。幸運にも、食事の順番が変わったから助かった……だが、運では無かったら?)


 ブラウニーは命を狙われた。

 しかし、運良く生き残り、犠牲になったのはプラリネ。

 もし、黒幕でありながら容疑者から外れるとすれば、これほど好都合な展開はない。



(それにいくら証拠があろうと、サシオン逮捕から処刑までの手際が良すぎる。これはっ!)


 涙に濡れる瞳に、母の姿が映る。

 だが、ティラは瞳から母を消して、城に蠢く闇を見つめる。


「叔父上……」


 ティラは瞳の端に残った涙を拭き捨て、後ろを振り向き、ブラウニーを瞳に入れた。

 その瞳に疑いの色を乗せることなく、ただ真っ直ぐと睨みつける。

 


――ブラウニーの背には寒気が走った。

 


 まだ、清も濁も呑み込むことのできるはずのない幼き少女に、王たるブラウニーは気圧されてしまったのだ。

 


 プラリネ女王が娘、ブランは問う。



「双子の片翼を失ってしまった今、次なる王はブラウニー陛下の双子の御子である、オランジェット王子とレーチェ姫に執権を移譲なさるのですか?」


「い、いや、王都の復興の目途が立ったとはいえ、北と南に不安を抱えている。今はまだ、余計な混乱を起こしてはならぬだろう」

「なれば、私はプラリネ女王の代理を務めるとなりましょうか?」

「なっ!? それは……お前はまだ幼い。王としての代理を務めるのは困難であろう。今は母の死を悼み、心を休めるがよい」


 ティラの視線はブラウニーの手に飛ぶ。

 その手は僅かだが、震えている。

 彼女は、確信に至る。



「そうですか……ご配慮くださり、感謝の言葉もありません」

 ティラは頭を下げて、一歩後ろへ下がった。

 すると、ブラウニーは詰め寄り、燭台の傍にあったガラス製の水入れを手に取ってコップへと水を注ぐ。

 

「母の死を悼み、涙を出し尽くし、喉も枯れていよう。潤すがよい……」


 差し出されるコップ……その水面みなもは小刻みに揺れている。

 ティラは言葉を返す。


「叔父上こそ、声が掠れているように聞こえます。お先に喉を潤し下さい」


 二人は互いに見つめ合う。

 数秒の間をおいて、ブラウニーは笑い声を上げた。



「はははは、ブランよ。とても姉上の娘とは思えぬ。まるで先王たちのような目をする」

「叔父上……あなたはっ」

「気づいていたか……我が子たちよりも遥かに幼いというのに、恐ろしい子だ。やはり、生きていては禍根を残すな。さぁ、この水を飲み、母のそばに寄り添うがいい」


「母の死を悼み、後を追ったように見せかけるためにその水を……なんと卑劣なっ」

「なんとでも言うがいい。さぁっ!」

  

 ブラウニーは一歩詰め寄る。

 ティラは一歩引き、尋ねる。



「いくら理想がたがえど、何故このようなことをっ?」


「姉上ではこの乱世を乗り越えられぬからだ! お前の母は優しすぎる! このまま姉上がジョウハクを治めていれば、栄光ある人類の祖たるジョウハクは滅びる!」

「そのようなことはない! 母はたしかに王として優しすぎるお方かもしれない。だが、それを支えるのは臣下! そして、身内であり、双子の弟である叔父上ではないか!!」


「黙れ、ブラン! お前にまつりごとの何がわかる!?」

「わかる! 少なくとも、叔父上には任せらぬことは!!」

「なんだとっ?」


「ジョウハクを思うだけならば、なぜ双子の御子に執権を移譲せぬ? お二人は成人し、立派なお方。政治に明るく、軍事に通じており、勇敢なお二人であれば叔父上の本懐は満たせよう!」


「だからそれは、混乱をっ」

「嘘を申すではないっ。叔父上がジョウハクに君臨したいからであろうがっ!」

「クッ!」


「叔父上、いや、ブラウニー。貴様にジョウハクを渡すわけにはいかぬ。母が愛したこの国を、貴様なんぞの卑小な者に渡すわけにはいかぬ!」


 ティラは傍にあった燭台を両手に持ち、ブラウニーに向ける。

 燭台は重く、身体はふらつくが、だけは真っ直ぐとブラウニーを見ていた。


「出合え! 女王の命を奪った奸賊かんぞくがここにおる! 皆の者、出合えぇぇ!!」


 

 ティラは大声で叫び、兵を呼ぶ。

 しかし、声は礼拝所を木霊するだけで、誰も出てこない。

 少女の虚しく響く声を耳にして、ブラウニーは厭らしく笑う。


「ふふ、ふふふ、ふはははは、誰も来ぬよ。お前の声などに、誰も耳を貸さぬっ」

「ふん、そうであろうな。だが、誰も来ぬというのは妙な話だ」

「なんだと?」

「大方、誰も王族の暗殺に手を貸したくないのであろう。ブラウニー、貴様は臣下を纏めることができておらぬな」

「な、な、何を……」


「彼らは双子の王に仕える立場。いくら理想をたがえようとも、王を殺害するなどはあってはならぬ。だから、言われたのであろう。王の問題は王で片づけるようにと」

「うぐぐ」

「だから、誰も来ぬのだ。大声を上げれば、それが誰の者であろうと、衛兵は訪れるはず。貴様が真に臣下の心を掴んでおれば、貴様を心配し、訪れるはずだからな!」



「それを確かめるために、わざと……やはり、恐ろしい子だ。ブランよ……その通りだ。だからこそ、私自ら、お前をコトアの元へ送り届けてやろう」

さえずるな、下郎よ」

「何だとっ?」


「自身の手を汚すことを恐れ、母の殺害を己の息のかかった配下に任せ、そして私を自死に見せかけるために女中を使った。この卑怯者がっ!」

「黙れっ!」


「貴様は私の死を確認するためにここへ訪れたのであろうが、当てが外れたな。私がわずかでも母の死を悼むことをやめていたら、その水を手に取ったやも知れぬ」


 

 ティラは両手でしっかりと燭台を手にして、ニヤリと笑う。

 ブラウニーは、ティラと棺に眠るプラリネ双方を目に焼き付け、顔を捻じ曲げる。


「どこまでも、鼻につく親子め! ふふ……だが、それも今日で終わりだ。お前など文字通り、赤子の手を捻るのと同じこと!」


 ブラウニーはティラが手にしていた燭台を左手で横に払った。

 それだけの行為で、ティラはバランスを崩す。

 彼は一気に間合いを詰め、ティラの両手から燭台を取り上げて遠くへ放り投げる。


 そして、左手でティラの首を締め付け、彼女の顔を自身の顔へ近づけて薄汚い言葉を吐く。


「ブランよ。母のように愚かだな。何も知らなければ、静かに逝けたものの」

「ぐ、はっ、だま、れ。みずからの、てを、よごすことを、畏れる、ひきょう、ものが……」

「なにぃ、だ~ま~れ~!」



 ティラの首を絞める左手に力が入る。


「が、が、がっ」


 呼吸もできず、脳への血は堰き止められ、意識が遠のいていく。

 意識の影端に母の姿が映る。

 とても優しくて、いつも温かな笑顔を見せてくれていた母の姿。

 

 傍にはアレッテがいる。

 いつも口うるさいが、なんだかんだで我儘を聞いてくれる優しい人。

 

 母の前にはピケが居る。

 ピケ……とても仲良しな友達。

 元気いっぱいで、ティラのことを知っても、何も言わずに友達でいてくれる心優しき友達。


(母様……アレッテ……ピケ……)


 最期に大切な人たちの名を呼びたい。

 だけど、それは叶わない。


 ピケのそばには彼女が立つ……見た目は美少女なのに、下品なチンピラのような態度を取る奴。

 いつも無礼千万で、ティラの立場を知っていながら、まったく敬意を払う気のない、とても小気味よい愉快な女。

 そして、大切な友。


(ヤ……)


 彼女の名を呼ぼうと息を吸う。

 だが、締め付けられた喉では息は通さず、咳にすらならぬ獣のような呻き声が響くだけ。

 それを見て、ブラウニーは我に返る。

 そう、絞め殺してはいけない。

 あくまでも毒を飲み、母の後を追ったとしなければならない。


 彼は左手を緩めて、毒を持つ右手を近づける。

 緩まった喉に息が通り、肺は空気に満たされる。

 そして、ティラは大きく息を吐いた。


 

――彼女の名と共に!



「ヤツハッ!!」


「おうよ!!」



 名を呼ぶ声に応え、礼拝所の扉が盛大な音を立て破壊される。

 埃舞う扉の前に、礼儀も知らぬ男勝りな女。

 大切な友、ヤツハが立っていた。

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