第162話 カルアの恋々

 カルアは片手で自分の顔を押さえて、頭をぶんぶんと横に振る。

 そこから気持ちを切り替えるように荷台へと目を向けてきた。


 そこでちょうど俺と目が合った。

 彼は少し眉を顰めたかと思うと、目を見開き、俺の名を呼んだ。



「ヤツハ、ね。あなたは?」

「ええ、そうですが。よくご存じで」

「そうね、直接は知らないけど、お世話になったからね」


 カルアはパチリと指を鳴らす。

 すると、近くに会った幕舎から緑の影が飛び出してきた。


「お呼びですか、カルア様?」


 そいつの身長は低く、しゃがれ声。黄色のチョッキを纏い、大きな鷲鼻を持つ、緑の皮膚の存在。

 地下水路での取り締まりで俺の脇をすり抜け、壁をまるで地面を走るかのように逃げ去った小さな影――ゴブリン。いや、ガブ!


「お前はっ!?」

「ん、おや、お嬢さんは……どこかでお会いしましたかな、ククク」

「どこかでってっ?」


 カルアに視線をぶつける。

 彼はニヤニヤとした笑いを見せ、隣にいるガブもまた同じくニヤついている。


(こいつら、こんなに堂々と! カルアはともかくガブまでっ。それだけ捕まらない自信があるのか! あんなことをしておいて!)

 平気で人権を蹂躙しておいて、彼らは堂々と日の当たる場所に立っている。


 

 俺は目に怒気を含め、二人を睨みつける。

 その様子を心配して先生が話しかけてきた。


「どうしたの、ヤツハちゃん? なにか、あったの?」

 先生はちらりとカルアとガブを見る。

 いっそぶちまけてやりたいけど、何の証拠もないのに王族に文句を言うわけにも行かない。


「いえ、何もっ」

「そうよ~、エクレル。私とヤツハの間には何もないわ」


 

 カルアは嫌らしくねっとりとした息を吐く。

 俺はガブを睨みつけて、カルアへ言葉をぶつける。


「ああ、何もないけど、そのガブが堂々といるのはどうなんだ?」

「ふん、何かあると思うなら、咎めなさいよ」

「何?」

「私を見て、あなたのちっぽけな正義の心とやらに火がついたのなら、腰に差す剣で私を刺しなさい、切りつけなさい」

「何を?」

 

 カルアは両手を広げて、無防備な姿を見せる。

 俺はその態度を、どうせ何もできないと高をくくった行動だと思った。

 だけど……彼の瞳を見て、背筋に寒気が走る。

 


 瞳の奥にあるのは傲慢でも虚勢でもなく、ただの空っぽ。


(こ、こいつ、本気で殺されてもいいって思ってる……)


 カルアが瞳に宿すものは、何もかもを諦めた空虚な光。



(何を考えている? 自殺願望でもあるのか?)


 俺は何もできず、ただカルアを見つめる。

 その様子を見て、彼は落胆し、息を吐いた。


「はぁ~、そうよね~。王族の私に手は出せないわよね。王族……く、くく、ふふふふ、あはは、あははははは!」


 突然、狂ったように笑い始めるカルア。

 こいつが何を考えているのかさっぱりわからない……。

 彼はひとしきり笑い終えると、淀んだ瞳を見せた。


「あなたたち、先に行きたいの?」

「そうだけど……」


 カルアは視線を俺からずらして、ピケを見つめた。

 そして、小さく息をつく。


「フッ……駄目よ」

「え?」

「だから、この先は行かせない」

「はぁ、なんで?」

「行かせたくないからよ」


「だからなんで、あっ、さっきピケを見たよな? まさか、ファッションセンスにケチをつけた嫌がらせかよ!」

「そんなことは……そうよ、文句ある!」

「あるよ! 入り口で賄賂要求して、中に入ったら通しませんはないだろ!」

「賄賂? そう、あいつら、仕方ないわね。ま、別にいいけど……」

「ん?」


 カルアの様子からして、賄賂を取っていることを知らなかったように見える。だからといって、兵士たちを咎める様子はない。

 この男、一体何なんだろう?


 

 トルテさんはピケの非礼を謝りつつ、通行できるように頭を下げる。


「カルア様、先ほどの娘の無礼をお許しください。私たちはどうしてもメプルに向かわないといけません。何卒、ご容赦を」

「だから駄目だって言ってるでしょ」


 その後、トルテさんに続き、エクレル先生やサダさんがカルアを説得しようとしたが、彼は全くというほど聞く耳を持たない。

 俺たちは同じ問答を繰り返す。


「だから、なんで通してくんないの?」

「チッ、うるさいわね、このブスは」

「ブスいうなっ」

「わかったわよ。通してあげる」

「え、本当」

「ええ、十日後くらいにね」

「はぁ~!? 嫌がらせ度が上がってるぞ!」

「だから……チッ!」



 カルアは何かを言い淀んで、舌打ちを見せた。

 ただの嫌がらせにしては何かおかしい。

 彼はいったい、何がしたいのか?


 俺はさらに大きく声を上げて、カルアに詰め寄ろうとした。

 そこに、とても深く頼もしい声が響く。


「一体、何の騒ぎだ?」

「え、この声はっ?」

 

 俺は背後から聞こえる、たぶん、この世で最も頼りがいのある声へ目を向けた。

 その人は真っ赤に燃ゆる太陽のような髪と瞳を見せて立つ。

 逞しい体躯に恵まれ、均整の取れた彫刻のごとく美しき顔を持つ女性。



「ノアゼット……さま」

「ん? ヤツハか。久しいな。黒騎士の件は聞き及んでいる。見事だ」

「あ、それはどもです」


 ノアゼットはいつもの真っ白な鎧と、背に猛々しい鷲のような紋章を見せる外套を身に着けていた。

 もちろん、右手にはあの女神の黒き装具のガントレット。



 彼女はカルアに近づき、事情を尋ねる。


「いったい何をしている? ん、身なりが随分と変わったな」

「そんなのあなたには関係ないでしょっ。それよりもノアゼット。どうして、あなたがこんなところに?」

「クラプフェンより、暇を貰ってな。代わりに東西を守っていた六龍のパスティスとバスクを呼び戻し、私はこれを機会に故郷へ顔を出す途中だ。それで、何を騒いでる?」

「それは……」



 カルアは目を逸らす。

 ノアゼットは彼への追及を止めて、俺に目を向けた。

「何があった?」

「いや、よくわかんないんですけど、カルア様が俺たちを足止めするんですよ。こっちは香辛料の取引きで忙しいのに」


「なるほど……カルア、彼らを通してやれ」

「だけど、それは……」

「彼らを通さぬ道義があるのならば、同じ道義で私を足止めするか?」

「クッ、わかったわよ、通りなさい!」



 カルアは出口の柵に立っていた兵士に向かって顎を動かす。

 兵士たちはだらだらと柵を開けて、道を譲った。

 ノアゼットはトルテさんに声を掛ける。


「道は開けた。行くがいい」

「ありがとうございます。ノアゼット様」

 トルテさんは深く会釈をして、手綱を打った。


 ノアゼットは荷馬車の後ろからついてくる。

 その途中で、カルアに声を掛ける。その声には不思議な寂しさが混じっていた。


「カルアよ、いつまで歩みを止めているつもりだ?」

「っ!? うるさい、あなたには関係ないでしょ!」


 カルアは唾を吐き捨てるかのような声を上げた。それに対してノアゼットは、声に乗せた寂しさを瞳に乗せて、彼の元より立ち去って行った……。




――宿営地



 ガブがヤツハたちの後ろ姿を見ながら、カルアへ話しかける。

「よろしいんで?」

「止めたわ。あとは知らない」


 

 カルアは自分の幕舎へ戻ろうとした。そこに、一人の兵士が近づいてくる。


「カルア様。偵察隊より、当該魔物の報告が挙がっています」

「ふん、で、結局、あの飛んでた魔物の正体は何だったの?」

「……龍です」

「えっ!? 属性種は?」


「そこまでは。遠くから影を確認するのがやっとでしたから」

「そう……龍。なんかヤバそうな魔物だと思ってたけど、まさか龍とはね。止めてあげてたのに、バカな子たち。ま、でも、エクレルとノアゼットがいるから問題ないでしょ」


 

 カルアは一度、宿営地を見回す。


「ふん、龍相手じゃ、私たちの手に余る。これ以上ここに残っていても意味がないわね。王都に帰るわよ。たぶん、龍はノアゼットが退治してくれるでしょ」

「できなかったら?」

 

 ガブが鷲鼻の先を震わせながら尋ねてくる。

 カルアは笑いを吐き飛ばし答える。


「ハハッ、そん時はあの子たちが死ぬだけ。でも、ちょっと……」


 カルアは点となった、荷馬車を見つめる。

 その様子を見て、ガブは小さく話しかけた。


「珍しいですね。カルア様が気に掛けるなんて」

「ピケってガキんちょのファッションセンスが惜しいだけよ。私は幕舎に戻るわ。準備ができ次第、ここを離れるわよ」


 カルアは適当に兵士たちに指示を与えて、幕舎に戻る。

 彼は僅かに笑みを浮かべる。


(ふふ、久しぶりに王族という色眼鏡もなく、憎しみもない眼で見られた。サバランにクレマにピケ。こんな面白い連中が近くにいたとはね……でも、私の手は……)


 立ち止まり、自身の両手を見る。

 その手には何もない。

 だが、彼の目には血と汚泥に塗れた両手がはっきりと瞳に映る。

 穢れた両手を見つめ、鼻で息を飛ばす。


「ふんっ、馬鹿馬鹿しい。もう、終わったのよっ」





――――――――――

※チョッキ

ベストやジレのことです。

古めの言葉ですが、こっちの方がゴブリン(ガブ)にはしっくりくるので使用しています。

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