第十七章 盲目流転

第144話 秋風舞う王都

 黒騎士との戦いから二か月が経ち、王都『サンオン』は足早な秋と別れを告げようとしていた。



「ふぉ~あ、ひま~」

 俺は宿屋『サンシュメ』の自室のベッドで横になり、欠伸を友達に暇をもてあそばせている。

 この二か月の間、右手の治療に専念して、仕事もせずにずっとベッドの上。

 さすがにそろそろ飽きてきた。

 

 俺は右手を見つめる。


 傷一つ残っていない右手。

 拳は砕け散り、潰れていたというのに……。


「さすが、アプフェル。と、エクレル先生」


 俺は右手を通して、二か月前から今に至るまでの出来事を振り返る。



 

 シュラク村では、パティとアマンの白き魔法で乱れた魔力の流れを回復してもらい、続いてアプフェルの回復魔法で右手の傷を癒した。

 その間、ずっと俺は気を失った状態でエヌエン関所へ運ばれたそうだ。


 運ばれたあとも、意識を失ったまま。

 意識のない三日の間、アプフェルを中心にパティとアマン。そして、エヌエン関所に滞在する魔導士さんたちが俺の右手の治療に当たっていたらしい。

 そのおかげで血流は回復し、右手を切断するなんて最悪の事態は避けられた。


 だけど、右手の形はぐにゃりと捻じ曲がった、不出来な壺のような造形のまま。

 その手を見て、アプフェルはずっと泣いていた……。


「ごめんね、ヤツハ。私が未熟だから。ごめんね、ごめんね、ごめんね」


 俺は泣き続けるアプフェルの頭を撫でようとした。

 だけど、その手では彼女を宥めてあげることはできない。



 右手を下ろし、涙で頬を濡らし続けるアプフェルに何を語り掛ければいいのかわからず、ただ沈黙の時だけが流れゆく。

 そこにパティが訪れた。

 彼女の後ろにはエクレル先生の姿があった。

 パティは以前見た黒い鳥の魔法を使い、エクレル先生と連絡を取ったそうだ。

 

 事情を知った先生は俺の治療のために、急ぎ転送魔法でエヌエン関所へ訪れたらしい。

 

 

 先生は泣いているアプフェルの肩に優しく触れる。

 アプフェルはひときわ大きな息を吸って、顔を崩し、漏れ出るような小さな声で「ごめん」と呟く。

 

 そしてそのまま、病室から走り去ってしまった。


 アプフェルの後ろ姿を目にした先生は、寂しげな笑みを見せて、謝罪を漏らす。

「ごめんね、アプフェルちゃん。あなたの大切な気持ちを奪って……」


 アプフェルは俺のことを助けたかった。

 右手を元に戻してやりたかった。

 だけど、彼女にはそれができなかった……。



 先生は無言で癒しの力を宿す緑光を両手に纏う。

 身と心を暖かく包む魔力が病室を満たしていく。

 その魔法の奇跡は、俺はもちろんアプフェルたちも届かないもの。


 先生は奇跡の光で俺の右手を覆う。


「これは少し時間がかかるわね。ヤツハちゃん、私の力と同調できる?」

「え? あ、はい、やってみます」


 先生の魔力の流れを感じ取り、俺の魔力の波長を先生の波長へと近づけていく。


「そうそう、上手よ。あなたの力と私の力。内と外から癒していきましょう。そうでもしないと、この怪我は治せない」



 先生の桁外れの魔力。制御力。

 そして、俺の同調力が合わさり、ようやく右手を元に戻せる可能性が開いた。



 関所では簡易的な治療にとどめ、俺と先生は一足先に転送で王都へ帰ることになった。

 隊の指揮はフォレに任せることにしたのだけど……。


「フォレ、あとは頼んだよ」

「はい……」


 とてもか細い返事を漏らし、彼は俺の顔を見ようとしない。

 表情は暗く、目は虚ろ。

 まるで心持たぬ空っぽな人形。

 だけど、握り締められた両拳はギシギシと悲鳴を上げ叫んでいた。



 

 転送魔法により、王都から少し離れた場所に跳んだ。

 少し離れた場所に跳んだ理由は、王都の周囲には魔法の結界が張ってあり、直接転送が不可能だからだ。

 先生は俺に寄り添うが、それは不要と断りを入れる。

 右手には時折激痛が走るものの、足に不自由はない。

 体力だって回復している。

 

 それを伝えると、先生はぷっくりと頬を膨らませて不満顔だった。

 先生のそんな子どもっぽい態度は何気に心を癒してくれる。

 

 先生は歪な右手を隠すぐるぐる巻きの包帯に目を向けて、傷の具合を覗き見る。

「たぶん大丈夫だと思うけど、転送魔法の影響がないか様子が見たいわね。王都に戻り次第、すぐに診ましょう」



 俺たちは急ぎ足で王都へ向かい、まっすぐサンシュメへ戻った。

 本当は病院に行った方がいいと先生に言われたけど、結局先生の治療に頼るわけだから、場所はどこでも同じ。

 それならば、早くピケやトルテさんに会いたい。


 宿に戻ると、ピケとトルテさんが出迎えてくれた。

 事情を知らぬ二人はいつものように話しかけてくれる。

 

 不覚にも、俺はピケとトルテさんの声を聞いて、涙を一筋零した。

(ああ、戻ってこれた。俺の日常……)



 いつものサンシュメ。

 注文を聞くウエイトレスさん。厨房から聞こえる鍋を振る音。

 テーブルには老夫婦、厳ついおっさん、子ども連れの家族、若い恋人たち。

 皆は温かな料理を口に運びながら、会話を弾ませる。

 

 こんな当たり前の光景が、こんなにも大切だったなんて……。


 突然涙を流す俺の姿に、ピケとトルテさんは驚きながらも心配そうに話しかけてくる。

 ピケが包帯でぐるぐる巻きになっている俺の右手を目に入れる。


 怪我に気づいたピケは具合を尋ねてくる。

 トルテさんも、食堂いたみんなも……。


 俺はいつもの日常に、いつもの自分で応えた。

 幸い、アプフェルたちや先生のおかげで、たまに走る激痛はともかく、普段の右手の痛みはやせ我慢できる程度までに軽減されていた。


 これなら、みんなに心配をかけずに言葉を返せる。



「ああ、ちょっとケガしちゃってね。でも、大丈夫。大したことないから。それに先生が治療してくれるっていうから問題ないよ。おかげで治療代浮くし」

「もう~、おねえちゃんったらっ。包帯でぐるぐるにしてるから大ケガだと思っちゃった」

「ケガしたなら派手な方が見栄えがいいだろ」

「みんなが心配するからダメだよ~。あ、そう言えば」


 ピケは俺や先生の後ろへと視線を投げる。

「ねぇ、ほかのみんなは?」

「え? ああ、みんなは仕事が残っていてな、俺は先にサシオンに報告を上げるために戻ってきたんだ」

「ふ~ん。お姉ちゃんは遠くまで行ってたんだよね。南って暑いの? 変な格好してるし」

「変なって、まぁ、スパッツ姿は王都だとちょっと変か? 元の服装の方で戻ってきた方が良かったかな?」

「ううん、面白いと思うよ」

「そう?」


「ヤツハちゃん、報告書」

 

 先生がありもしない報告書の話を上げる。

 様子からして、転送魔法による右手の傷への影響が気になるみたいだ。

 

 俺は返事をして、ピケの頭を左手で撫でる。

 ピケはまだまだ話し足りない素振りを見せたけど、トルテさんに促されて仕事へと戻っていった。

 


 トルテさんは先生に向かい、身体を前に押すように声を上げた。


「エクレル、ヤツハのこと頼んだよ」

「っ!? ええ、もちろんです」


 演技でピケは誤魔化せたけど、トルテさんには見抜かれてしまっていたようだ。

 俺はばつが悪そうに頬をかく。


 そんな俺をトルテさんはギュッと抱きしめた。


「おかえりなさい、ヤツハ」

「はい、ただいまです」

「みんなは無事なのかい?」

「ええ、ピンピンしてますよ。ポカやったのは俺だけです」


「怪我は大丈夫?」

「問題ないです。先生がいますから。ね、先生」

「ええ、トルテさん。任せてください」

「ふふ、あんたの魔導の腕は信じてるからね。学生の頃からの付き合いだし」

「懐かしいですね」


 二人の会話に興味を惹かれる。俺はトルテさんを見ながら尋ねた。

 


「あれ? 二人って親しい仲なんだ?」

「まぁね、エクレルが魔導生だった頃、色々・・面倒を見てやったからね」

「はい……その節は、何と言いますか……」


 堂々としているトルテさんに対して、先生の歯切れが悪い。

 二人の立場は明白。

 これは面白そうな話が聞けそうだ。


 そう思い、さらに深くトルテさんに尋ねようとしたのだけど、エクレル先生に強引に背中を押されて階段を昇らされていった……。


 その階段の途中、視線の脇にサダさんの姿が映る。


(帰ってきてたんだ……あれ? 王都とエヌエン関所は魔法の馬車を使って十日も掛かるのに、どうやって? 俺と別れて、気を失っていた日数を含めても五日程度。徒歩ではとても……)


「ヤツハちゃん? どうしたの、立ち止まって?」

「え? いえ、なんでもないです」


 俺はサダさんから視線を外す。

(まぁ、どうでもいいか。途中で馬を借りたのかもしれないし)

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