第106話 王都の魔物、再び
――東門前・外
俺たちはサバランさんから引き取った特攻服と、工房で作ってもらった道具――これらを
今回は荷物が少ないため馬車はない。馬もない。
まさか、歩き?
いえいえ、実はもっと楽で手っ取り早い移動手段を俺は知っている。
その移動手段は、朝っぱらからテンションマックスで手を振りながらやってきた。
「は~い、ヤツハちゃ~ん。元気してた~? 最近、忙しそうで、中々会えなくて寂しかったんだから!」
今回、馬代わりとなるエクレル先生は、紫水晶の瞳を子どものように輝かせて、杖を片手に両手をぶんぶん振っている。
もうすぐ二十七になろうとしている人なのに、普段は俺より子どもっぽい……。
「久しぶりですね、エクレル先生。先生もあの襲撃の後始末に駆り出されて、忙しいそうでしたしね。それにしても、朝から元気っすね」
「当然よ~、ヤツハちゃんにアプフェルちゃん……ああ、ダメ。まとめてギュッギュッってできるなんて」
「誰がさせるか! なっ、アプフェル。ん、アプフェル?」
「フシャア~ッ!」
アプフェルは耳と尻尾を毛羽立たせながら、牙を剥き出しに威嚇している。
それも、パティの後ろで。
「どうした、アプフェル?」
「どうしたも何も、ミラクルな移動手段があるってあんたが言うから何かと思えば、エクレル先生を連れてくるなんてっ!」
「あ~、お前も揉みくちゃにされた口か?」
「揉みくちゃどころじゃない。実践式授業でエクレル先生と組まされて、ずっと尻尾と耳をフニフニされ続けたんだからっ!」
声を荒げ、アプフェルはスレンダーな尻尾をボンっと膨らませる。
先生はそのときの授業を思い出したのか、口元に手を当てながらニンマリと笑う。
「ふふ、あの授業は大変充実した時間でした」
「先生はねっ!」
アプフェルは先生の視線を避けるように、パティの背中でちょろちょろ顔を動かしている。
壁に使われているパティは扇子の内側でため息をつき、俺もアプフェルの様子を見ながら呆れた笑いを出す。
「はぁ、まったく朝から騒々しいですわね」
「はは、たしかになぁ。でも、パティはエクレル先生のこと平気なんだ?」
「わたくしは先生の魔手の犠牲になったことがありませんので」
「なんで?」
「フィナンシェ家の者ですからね。エクレル先生が講師と招かれた授業では、ああもフィナンシェ家に生まれてよかったと思ったことはありませんわ」
パティは空を見上げて、色のない瞳を見せる。
その瞳を通して、先生が可愛い子たちに襲いかかる光景が目に浮かぶ。
ここで、ちょっとした疑問が湧く。
「あれ? アプフェルも一応お偉いさんの孫娘じゃん。ねぇ先生、そんな無茶していいの?」
「フフフ、その話ねぇ」
先生はねとっとした笑い声を上げる。
その声を聞いて、アプフェルはギギギギっと歯ぎしりを立てる。
「先生はパルミエお姉ちゃんの友達なの。もう、なんでこんな人が私のお姉ちゃんの友達なのよ!」
「ああ、身内に親しい人が。残念だったな」
「残念なんて言葉じゃすまないっ! フシャア~!」
先生が近づこうとするたびに、アプフェルは威嚇をしている。
以前、先生の話をしたときも嫌そうな顔しつつも、身近な関係っぽい雰囲気を出してたが、まさかこんな関係で、ここまで面倒な間柄だと思わなかった。
アプフェルはパティ
先生は杖を腰に差し両手を広げ、指をグネグネと波打たせながら、飛び掛かる隙をうかがう。
世にもしょうもない攻防。
この状況を見かねたアマンがフォレの後ろからひょっこり出てきた。
「あの、ワンころとのコントはそこまでにして、話を進めませんか?」
「誰がワンころよっ。このニャンころっ!」
「アプフェルさん、アマンさんの言う通りですわよ。そろそろ私の後ろに隠れるのはお止めなさい」
パティは扇子を使い、アプフェルが藁をも掴む思いで握っていたドレス服を払いのける。
壁を失ったアプフェルは無防備な状態で先生の前に晒された。
しかし彼女は抵抗を諦めず、
俺はその姿を見ながら指を折る。
「パティにアマンにエクレル先生。それと学校の女子生徒もか……アプフェルってさ、敵多すぎるだろ?」
「うるさいっ。そう思うなら助けなさいよ!」
「しょうがないなぁ。先生、もうそこまでにして……先生?」
先生はぼーっとあるものを見つめている。それはアプフェルじゃない。
アマンだっ!
「アマンっ、逃げろっ!」
「えっ?」
だが、言葉は間に合わなかった。
俺やパティやアプフェルの隙間を風のように擦り抜けて、先生はアマンに迫る!
「まぁまぁ、ケットシーちゃんがこんなところに!」
「ニャッ!?」
先生の触手がアマンに絡みつく。
しかし、すんでのところでフォレが間に入った。
「先生、そこまでですっ」
「もう、フォレちゃんすぐ私の邪魔をするっ。でも、今日は退けない。そう、これは退くことのできない戦い!」
「何を馬鹿なことを……いいですか、先生。故あって、今は私たちに協力を頂いていますが、アマンさんはただのケットシーではありません。西の海洋国『グラン・ヌー』の代表を務める方ですよ」
「え、あら、そうなの?」
アマンはフォレの隣に立ち、海賊帽を脱いで胸に当てると、微笑みを交えてたおやかに挨拶をする。
「はい。現在、役職を離れておりますが、本国に戻れば、『グラン・ヌー』第三艦隊旗艦『
「そ、そのようなお方だったなんて。申し訳ございません。あの、私はエクレル=スキーヴァーと申します」
「いえ、少々驚きましたけど、気にしてはいませんよ」
「寛大なお言葉を頂戴し、恐縮でございます」
「クスッ。エクレル=スキーヴァーと言えば、空間魔法の?」
「はい」
「やはりそうですか。六年前の暴龍事件でのご活躍、我々の耳にも届いております。空間を切り裂き、鋼よりも固い龍の鱗を切り刻み、地に
「はい。止めには至りませんでしたが。彼らには翼がありますので」
「そうですね。大空を
「はい、その通りです」
先生は会話をしながら、いそいそと足を後ろに運んでいく。
アマンからある程度距離を取ったところで、わざとらしく手を打つ。
「さってと、転送魔法の準備しなきゃ。ヤツハちゃん、あとはよろしくね」
先生は場の状況を全部俺に押し付けて、地面に杖を立てて、呪文っぽいものを唱え始めた。
だけど、俺は知っている。そんなことしなくても、先生なら転送魔法を発動できることを……。
(まったく、先生は。ティラの時といい、可愛いと思ったら後先考えず飛び掛かるから)
因みにティラについては、その後先生から何か問われることはなかった。
王女殿下を抱きしめて頬をすりすりした出来事を、先生は記憶から消し去ることにしたらしい。
まぁ、互いに話題には上げにくい話なので、都合がよかったけど……。
俺は頭をポリポリ掻きつつ、アマンに近づく。
「ごめんね。ちょっと、いや、かなり趣味をこじらせてる人なんで」
「ふふ、大丈夫ですよ。なかなか面白い方ですね、ヤツハさんの先生は」
「はぁ~、お恥ずかしい限りで。そういや、アマンって軍人だったんだ。それも、偉い人?」
「う~ん、そうですね。一応、帰国すれば中佐ですから」
「え、中佐?」
「あ、ジョウハク国の方には私たちの階級は馴染みないですよね」
「いや、なんとなく偉いことはわかるから大丈夫。でも、艦隊の、旗艦の副長をやるほどの人が、俺たちと一緒に行動していてもいいの?」
「帰国をすればです。私は役職を解かれた状態で、サシオン様と協力して事件の捜査に当たっていましたから、今はただのアマンですよ」
「役職を解かれた状態ってのは、肩書があると不都合だから?」
「あくまでも、私個人による責任の範囲。というはずでしたが、それでは動きが取りづらいだろうという配慮を頂き、一族の代表という新たな肩書を」
「んん~、なんだかややこしいな。役職によって、色々権限や立場違うからなんだろうけど。軍人じゃまずいけど、代表なら大丈夫みたいな?」
「ふふ、そうですね」
「でも、『グラン=ヌー』だっけ? 帰国したら副長の椅子が待ってるのに。いいの、帰らなくて?」
「だから、帰りたくないんですっ」
アマンはにっこりと笑顔を見せる。そこには「これ以上は答えないぞ」としっかり書かれてあった。
「そ、そう、深くは尋ねないけど。さってと、俺も先生のところに行って転送魔法の準備を手伝おっかな」
俺はアマンから逃げるように、意味もなく地面と睨めっこしている先生のもとへ向かおうとした。
それをフォレが呼び止める。
「待ってください、ヤツハさん。私たちに詳しい説明を」
「あ、そっか。色んな事が起きて忘れてた。みんな、悪いけどいったん集まって。先生もいい加減にしてこっちに」
みんなを呼び寄せて、円陣の形をとり、俺は説明を始めた。
といっても、大した話じゃないけど。
「え~っと、数時間もかけてコナサの森と王都を往復するのが面倒なんで、転送魔法でパパッと終わらせようと考えました」
アプフェルが手を上げる。
それを俺は、重鎮の教師の如く
「はい、アプフェル君」
「それは
「その通りです。暑い中移動するのはもう嫌なんです」
「はぁ~、そんなことのためにエクレル先生を呼ぶなんて!」
やさぐれ感たっぷりのアプフェル。
その態度に、さすがのエクレル先生も声大人しく言葉を出す。
「そんなに、私のこと、嫌い?」
「………………………………悪い人じゃないのは知ってる」
「沈黙が長い!! そんな、どうしようヤツハちゃん?」
「そろそろ自重って言葉を覚えた方がいいんじゃないんですか?」
「ああ、心なしかヤツハちゃんも冷たい感じ」
「話し進めますよ。とにかく、先生の転送魔法でコナサの森の近くまで一気に行きます。みんな、準備はいい?」
そう尋ねると、みんなは戸惑った表情を見せた。
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