第60話 暖かな気持ち

 城の敷地の外側を目指して地下水路内を歩く。


 十分に距離を取ったと思われる場所に梯子があった。

 梯子を昇り、先には石製の蓋。

 鍵や封印はない。ただ、非常に重い。大人数人の手を借りるか特別な道具でもないと持ち上がらない重さ。

 だけど、身体機能が向上している俺の力の前では大したものではない。

 ググッと持ち上げ、横にずらす。


 

 ふちに手をかけて、よっと飛び出す感じで外に出た。

 外は明るく、太陽は真上で輝いている。


「うう~、眩しい。もう、昼か。早く帰らないと。その前に、ここどこら辺だろ?」


 まわりは小さな小道の袋小路といった感じ。雰囲気から城内ではなく街のどこか。

 地面には丈の高い草が生い茂っている。

 地下水路の出入り口となる石製のマンホールは草に埋もれて、まず誰からも見えない。



「ちょうどいいな。ここから出入りすればブランをこっそり連れ出せる。さて、とにかく、大きな道に出ますか」



 小さな道を進んでいくと人通りの多い道に出た。

 周りの風景から、ここは北地区らしい。

 だとしたら、あとは表通りを目指して歩いて行けば、すぐに帰り道がわかる。

 


「はぁ~、帰ったらアプフェルから笑われるなぁ。ピケからダメダメ扱いされるだろうし、フォレは呆れてるだろうし、帰んの気が重いなぁ」



 今後の展開を予想して足取り重く歩いていく。

 そこへ、聞き覚えのあるおばさんの声が届いた。


「ヤツハちゃんっ。よかった、無事だったのね!」

「ん、だ、だれ?」


 声に反応して、すぐさま振り向く。

 声の主はドブさらいを依頼してきたおばさんだった。


「あ、どうも、って、どうしたんです。そんなに、焦って?」

「どうしたもこうしたも、あなたが行方不明になっているって聞いたから、街の人たち総出で探してたのよ!」

「えっ!? そ、そうなの?」

「ええ、早く、宿屋に戻りなさいっ。みんな心配してるから!」

「え、あ、はい、わかりました」



 おばさんの声に押されて、駆け足で宿屋へ戻る。

 何だか知らないけど大きな騒ぎになっているみたいだ。



 宿を目指して走っている間も周囲の人から、『大丈夫だった?』『ケガはないかい?』と心配される声や気遣う声が届いてくる。

 宿屋に近づくにつれて、街の人たち声は増え、大きくなる。


 そのたびに、今がどんな状況なのかよくわからなくて、心が不安に揺れる。


 

 宿屋の近くまで戻ってくると、入口の前には人だかりができていた。

 そこには、フォレ、アプフェル、ピケ、トルテさん、アマン、パティ。さらに見知った街の人たちや、会ったこともない人たちもいる。


 誰かが俺に気づき、名前を呼んだ。

 すると、俺の姿を見つけたピケがこちらへ駆け出してきて抱き着いてきた。


「ヤツハおねえちゃんっ! よかった、無事だったんだ!」

「え? ああ、ただいま」

「ケガない。どこか痛いところない?」

「いや、ないけど……」

「よかった、ほんとうによかった」


 ピケは大きな涙を流しながら、俺の腰回りをぎゅっと抱きしめてくる。

 小さく細い腕で、とても、とても力強く抱きしめる。


 泣きじゃくるピケを前に、どうしていいかわからず困惑してしまう。そこへ、アプフェルが近づいてきた。

 彼女は怒った顔を見せて、静かに声へ力を籠める。

「今まで、どこにいたの?」


「どこって……えっと、あのあとさぁ、元の場所に戻ろうとして迷って、疲れて眠っちゃんたんだよね。適当な階段から上に上がるだけ帰れたのにね。それに気づいて、情けなくて笑っちゃったわ」

「ヤツハっ!」



――パンッ!



 乾いた音が響いた。

 頬には痛みが走る。

 アプフェルは俺を睨みつけている。

 その瞳には、涙が浮かんでいた。


「どんだけ心配したと思っているのっ! あの時、待ってって言ったのに、勝手に行っちゃうしっ。帰ってこないしっ。ヤツハがケガをして動けないのかもしない。もしかしたら……死んじゃっているのかもしれない。そう思って、ずっと心配してたんだよ。なのに、ヘラヘラして……バカぁぁ!」


 アプフェルは後ろを振り向いて、トルテさんの元へ走っていき、彼女に抱き着いて身体を震わせる。

 ピケはずっと俺の腰に抱き着いたまま、しゃくり声をあげている。


 

 突然の出来事――余りにも急な出来事に動揺して、俺は固まってしまう。

 そんな俺に、パティとアマンが状況を説明してきた。

 二人の声には呆れと怒りの色が混在している。



「ヤツハさんが何かの仕事で行方不明になった聞いて、街の皆さんで探していたのですよ」

「はい、私もそのときはご一緒でしたので、各方面に声をかけていたところです」


「え、そう、なんだ。ごめん、心配かけて」


「その謝罪はアプフェルさんと、今、ヤツハさんのそばで泣いているピケさんにしてあげなさい」

「え、うん。ピケ、心配かけて、ごめんな」


 ピケは身体を震わせ、俺の腰に顔をうずめたまま、何度も顔を横に振る。

 パティはため息交じりに声を上げる。


「はぁ、早朝からアプフェルさんに叩き起こされ大変でしたわ。あなたのことを心配して、わたくしの占いの力を借りたいと頼みに来たのですよ」

「アプフェルが」


「あのアプフェルさんが、わたくしに対して頭を下げるなんて、よほどヤツハさんのことを心配していたのでしょうね」

「……そう」

「どういうわけかあなたの居場所は曖昧でしたが、占いで無事であることはわかりました。そのことを伝えたのですけど、アプフェルさんはずっとあなたを心配して」

「あ……うん……」


「パティさんだけにじゃありません。アプフェルは人猫じんびょう族である私にも頭を下げて、あなたの捜索に協力してほしいと頼んできたのですよ」

「え……? あいつ……そこまでして、俺を……」


 

 俺はアプフェルへ顔を向ける。

 彼女はトルテさんに抱き着いたまま、ずっと震えている。

 その震えは俺の腰回りからも感じる。

 

 ゆっくりと視線を下へ向け、ピケを見つめた。

 ピケは俺の腰に顔をうずめたまま、不規則な息を漏らし続けている。

 俺はピケを包み込むようにそっと抱きしめる。

 ピケはそれに反応して、ぎゅっと強く強く、抱き着いてきた。


 フォレがそばに近づいてきて、声をかけてくる。


「ご無事で、何よりです」

「フォレ……」

「申し訳ありません、お二人とも。ヤツハさんと話が」


 フォレがパティとアマンに視線を向ける。

 二人はうなづいて、ピケの肩をそっと掴む。

 ピケは何度か首をいやいやと横に振っていたけど、パティがやさしく声をかけて、トルテさんの傍へ連れて行った。


 

 俺の傍にはフォレだけが残る。


「ヤツハさん。あなたが行方不明になってすぐに、捜索隊を送ろうとしましたが、サシオン様に止められて叶いませんでした」

「サシオンが?」

「はい。地下水路の地図は部分的にしか存在せず、二次遭難の可能性があるという理由。そして、もともと特別な許可がない限り、出入りを禁止している場所。大規模捜索となると許可に時間が」

「……ああ、そうなんだ」


「私はそれでも何とか許可ができないかと願い出たのですが、やはり許可はできないと。それを聞いたアプフェルがサシオン様に激高して……あの時は大変でした。それでも彼女は諦めきれず、任務の話を隠して、街の皆さんに街の中を探すようにお願いを。すでにヤツハさんが地下水路から出ている可能性を考えて……」


「そこまで……そう……」

「ヤツハさん。アプフェルにしっかりと言葉を伝えてあげてください」

「ああ、そうだね。わかった」


 

 俺はゆっくりと足を動かして、トルテさんに抱き着き、いまだ身体を震わせているアプフェルに近づく。彼女の隣では、ピケもトルテさんに抱き着いて体を小刻みに揺らしている。

 二人の姿を目にして、自分の愚かさに奥歯を噛みしめる。


(何がアプフェルから笑われるだ。ピケからダメダメ扱いされる? フォレから呆れられる? みんな、みんな、俺のことを心配してくれていた。なのに……俺は、最低だ!)


 自分の愚かさ。醜さ、情けなさ。そして、アプフェルたちへの申し訳なさが心を埋め尽くしていく。

 だけど、同時に、心の中には暖かな気持ちが広がる。



(俺は、誰かが自分のことを心配してくれているなんて、夢にも思っていなかった……)



 勝手な行動で地下水路で迷い、勝手な思いで皆を侮辱し、自分勝手な考えだけで心を満たしていた。

 どれほど謝罪をしても、言葉は足りない。

 そうだというのに、俺は、俺は……心配してくれたみんなの気持ちがうれしくて。


(だめだ、耐えられないっ)


 足を止めて、目を強く瞑り、上を向く。

 気持ちが昂ぶり、息が少し荒くなる。

 なんとか、自分の気持ちを落ち着かせようと何度も深呼吸をするが、一向に昂ぶりは鎮まらない。


「ヤツハ」


 近くからアプフェルの声が響いた。

 声には涙が混じっている。


「アプフェル……」

「くすっ、もしかして、泣いてるの?」

「それは、お前の方……アプフェルっ!」

「きゃっ!?」


 俺はアプフェルを抱きしめた。

 そして、彼女の胸に顔をうずめ、肩を震わせながら、言葉を伝える。


「ごめん、心配かけて。ありがとう、心配してくれて」

「うん、いいよ」

 

 アプフェルは優しく、俺の頭を撫でる。

 そのまましばらく、彼女に頭を撫で続けてもらった……。

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