第22話 便利屋ヤツハ

「いらっしゃませ~。こちらのテーブルへどうぞ~」

 宿屋『サンシュメ』に訪れたお客様を笑顔で迎えて、空いているテーブルに案内する。

 

 俺のもう一つの仕事。それは食堂のバイト。

 

 俺が暇で店が忙しい時は手伝ってほしいとトルテさんから頼まれて手伝っている……ここ五日で、五回目。

 正直に言えば、暇なときはゴロゴロしてたい。

 しかし、ひと月分の宿代の半分はフォレの手出しで、もう半分はトルテさんの厚意。

 宿代はいつか返すとしても、現時点では住まわせてもらっている身なので手伝いを断るという選択肢はない。貧乏はつらい……。


 

 ここ、サンシュメは非常に客足がよく、常に賑わっている。特に夕食時と開店時間のお昼時は戦場だ。

 飛び交う注文。厨房では怒号。テーブル席を駆け回るウエイトレスたち。

 そのウエイトレスに交じり、俺も料理を運ぶ。

 俺は私服の上に、エプロンをつけて仕事をしている。

 それは他のウエイトレスも同じ。

 サンシュメに限らず、どこの食べ物屋さんも特定の制服などないみたいだ。


 

「ありがとうございま~す。またのお越しを~……はぁ~、何とか乗り越えたぁ」

 お昼のピークすぎ、笑顔を崩して、近くのテーブルに寄り掛かった。

 すると、お尻を揉まれる感触。



「ヤツハちゃ~ん、こんなに凝っちゃって大変だね~」

「この~。またか、このろくでなしのおっさんはっ。真昼間から酒に溺れやがって。死ねっ!」


 持っていたお盆を縦にして、おっさんの額に振り下ろす。

 おっさんは真剣白羽取りのようにお盆を両手で挟もうとしたが、酔っ払いにそんな芸当ができるはずもなく、見事、お盆のふちは眉間に命中した。


「いった~。ヤツハちゃんはきついね~。でも、おじさん、そこが好みよ。へへへ」


 結構強めにぶったというのに、おっさんはいやらしい顔を崩さず笑っている。

 このおっさんはサンシュメの宿泊客で、俺の部屋の向かい左に住んでいる。

 名前はサダ。ただし、本名かどうかはわからない。

 

 酒好きで調子のいいおっさんで、常に柿の熟したような匂いを振りまき、飄々としている。

 いつも顔の筋肉を緩めてだらしないおっさんだが、シャンとしていればそこそこ渋いおっさんに見えなくもない。

 顔には皺に混じり、右眉のところに切り傷が刻まれていて、それが渋さ醸し出している。

 とろけた顔で台無しだけど。

 


 この眉の傷は若い頃、トレジャーハンターをやっていた時にできたとか……真相はわからないが金は結構持っていて、宿代はもちろん食事代、酒代の滞納はない。

 夜には風俗街に赴き、おねえちゃん遊びに精を出している。

 絵にかいたような遊び人だ。


 

 俺は揉まれた尻の部分を汚れを落とすかのようにはたいて、おっさんを睨みつけた。

「まったく、そんなに尻触って楽しいか?」

「そりゃあ、男ですもの。女の子のお尻触って楽しくないわけないよ」

「あんた、もう四十だろ。その年なら俺と同じくらいの娘がいてもおかしくないのに。自分の娘くらいの尻揉んで情けなくないか?」

「娘は娘。若い子は若い子だよ」

「はぁ~、ちょっとだけ真面目な話するけど、いい?」


「うん、なになに。おじさんのお嫁さんになる気なった?」

「チッ! ウゼェッ」

「ちょっと、ヤツハちゃん。舌打ちはいけないよ」

「サダのおっさんが舌打ちさせてんだよ。ともかく、おっさんは遊びで尻触ってるけどな、他の女の子は本当に迷惑してんだぞ。裏で本気で泣いたりしてんだからな」



 ウエイトレスの子たちにチラリと視線を投げて、すぐに戻し、おっさんを睨みつける。

 さすがのおっさんも女の子を泣かしているという話に申し訳なさを感じたのか、黙り込んで頭をかいていた。

 

 だが、今の話。全て俺の作り話。

 

 ウエイトレスのみんなは裏で、いつかあのオヤジの玉を蹴りつぶしてやる! と、好戦的なご意見を漏らしていた。

 勤めている女の子たちは粒ぞろいだけど、中身はドン引きするくらい逞しい。伊達にトルテさんの教育を受けてはいない。

 しかし、その事実を話したら、図太いおっさんは気にもせず触り続けるだろう。

 こういったタイプの人間を止めるには、精神攻撃が一番。


 

 サダさんは少し唸り声を上げて、俺へ顔を向けた。

「う~、そっかぁ。泣かしちゃってたのか。じゃあ、仕方ない」

「やめる気になった?」

「ああ、もう他の子のお尻は触らない。ヤツハちゃん、一人にしとくよ」

「なんでだよっ!? 俺も泣くぞ。今ここで子ども泣きしてやろうか?」

「またまた~、ヤツハちゃんはそんな玉じゃないの、おじさんがよ~くわかってるよ」


 お尻を揉むような手つきを見せながら、ニタニタ笑っている。

 どうしようもないおっさんだ。

 本音を言えば、おっさんから事あるごとに尻を揉まれるのはたまらなく辛い。

 

 俺の視点からすれば、男が男に尻を揉まれているようなもの。

 同性趣味のない俺にとってそれが尻を揉まれる不快さに輪をかけて、気持ち悪さを助長する。

 厨房の裏で仕事をさぼりつつ、何度、包丁片手におっさんを想定してブッ刺したことか。

 

 しかし、この手のおっさんはどんなに痛い目に合っても効果がない。

 殺す以外、手がないというのは非常に厄介だ。



 何か一泡吹かせる方法はないのかと思案していると、ピケが二本の赤毛の三つ編みを揺らして、ぴょこぴょこと俺を呼びに来た。


「ヤツハおねえちゃん、おかあさんが騎士団の人たちのお弁当の配達をお願いしたいって」

「はぁ~、わかった。いま行く」

「わぁ~、大きなため息。もしかして、サダおじさんにまた?」

「そうなんだよっ。ピケ、このおっさん何とかしてくれ!」


「もう~、サダおじさんだめだよ~。お尻ばっかり触ってぇ。ヤツハおねえちゃんやほかのおねえちゃんたちも嫌がってるんだよ」

「へへへ、おじさんの元気の源だから、仕方ないね」

「元気ねぇ。そんなにお尻触りたいなら、私のお尻触る?」


 ピケはサダのおっさんに小さなお尻を突き出す。

 これにはさすがのおっさんも何もできず、誤魔化すように笑うしかない。


「ピケちゃん、それはちょっとなぁ。ははは」

「今度からはもう、みんなのお尻触っちゃだめだよ。どうしても触りたいなら私の触らせてあげるから」


 子どもの無垢な攻撃に晒され、サダのおっさんはピケに白旗を上げるしかなかった。

 グッジョブ、ピケ。




 サダさんのことはピケに任せて厨房へ向かう。

 厨房ではトルテさんが袋に包まれた二十人分ほどのお弁当を準備して待っていた。


「ごめんね、ヤツハ。今はお昼の片づけと夕方の仕込みで、男どもが忙しくてあんたにしか頼めないんだよ」

「いえいえ、全然問題ないっスよ。サダのおっさんに尻揉まれるよりかは断然いいですし」

「またかい、あの人は……あとできつく言っておくからね」

「ははは、お願いします」


 ざまーみろ、と言いたいが、あのおっさんがこれくらいでへこたれるわけがない。

 しばらくはピケバリアを有効活用させてもらおう。



 俺は用意された弁当箱を両手にぶら提げる。

 二十人分のお弁当。普通なら男が二~三人で配達する量。

 しかし俺は、身体機能が強化されているのでこの程度なら一人で配達できる。

 そのため、男衆が忙しいときは配達役を任されていた。


「それで場所は、騎士団の詰め所?」

「いや、東門の方。祭りの準備のために警備の確認で集まってるみたいだね」

「祭りかぁ。まだ三か月先だってのに、大変だなぁ」


「英雄祭は国上げての祭りだからね。国中の人間が楽しみにしてるから、気合の入りようが違うんだよ」

「そんなに大規模なんだ。楽しみだな」

「出店もいっぱい出るし、ほかの国の人たちもたくさん来るから、いろいろ物珍しいものが見られるよ」

「そっか、ますます楽しみ。じゃ、そろそろ行ってきます」

「ああ、いってらっしゃい」

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