八十二 青きもの

 白星が用意された浴衣に着替え、白の先導で青の待つ部屋へ向かっていると、廊下の奥から打猿らしき怒号が鳴り響いてきた。


「何だと! もう一辺言ってみやがれ!」


 打猿にはこれまでの経緯と、協力を取り付けるよう頼んでいたが、何やら揉め事に発展しているようだ。


「これはいけません、喧嘩になる前に止めませぬと」

「うむ。急ぐとするかの」


 白と頷き合い、小走りで廊下を駆け抜け、とある座敷へ飛び込んだ。


「何度でも言おう。我は自分で見た物しか受け入れぬ。白星殿の活躍はさぞ凄まじかったのであろうが、手放しで我等八十女が協力する理由にはならぬよ」

「こんの石頭があ……!」


 座敷の中では一触即発の空気が流れ、打猿と、白によく似た美女が向かい合っていた。


「そこまでにせい。青や、ただ事ではないと思い、勝手に上がらせてもらっておるぞ。打猿も一度頭を冷やせ」

「だけどよう、姉御。青の奴、姉御のやってきたこと、全部信じねえって言うんだぜ」


 明らかに不満気な打猿を下がらせると、白星は青と向かい合った。


「礼が遅れたが結構な湯であった。着替えも用意してもらってすまぬな」

「気にせずともよい。熊野では五馬が世話になったと聞いたからな。これくらいは当然よ」


 打猿とはうって変わって、冷静な佇まいの青。先ほどまで激しい言い合いをしていたとはとても思えぬ落ち着きようだった、


「打猿、そして白星殿。勘違いしないで頂きたいのだが、貴殿らが成したと言う偉業を、我は嘘だとは思っておらぬ。実際、五馬からも伝達糸を通して、子細を聞いておる」

「じゃあなんですぐ協力しでぐれねぇんだよ!」


 再び声を荒げる打猿に、青は静かに返答した。


「我が直に実力を見ていないからだ」

「何を~?」

「我は八十女が一柱を預かる身。軽々に他者の語る事を鵜呑みにすることはできぬのだ。わかってくれるか、打猿よ」

「うぐぐ……」


 淡々と正当な理由を述べられては、打猿も引き下がらずを得ぬ。


「さて、困ったの。ではわしらの力をどう示せばよいかの?」


 白星が微笑混じりに切り出すと、青は待ってましたとばかりに話し出す。


「ここへ来る途中で嫌と言う程土砂降りを体験したかと思うが、今琵琶湖の周辺ではほぼ毎日この有様なのだ。このままでは付近の河川が増水し、我等のねぐらまで浸水してくるやも知れぬ」

「それは危急の話よの」

「で、あろう? これは琵琶湖に棲む龍神の仕業と見当が付いておるが、非才なる我等には手出しがならぬ。これを解決してくれれば、そなたらの言葉を全面的に信用しようと思う。如何か」

「青、それはいくらなんでも……」

「白は黙っておれ」


 政治の場に白の席はないものか、青はぴしゃりと跳ね除けた。


「ふむ。それしか道がなくば、やるしかあるまいて」

「おお、即断とは心強い。是非ともお願い申し上げる。今夜は歓迎の宴を開き、宿を提供しよう。しっかり英気を養って頂きたい」

「ありがたい。お言葉に甘えるかの」

「白星様、このように安請け合いしてよろしいのですか?」


 心配げな白の言葉を、白星は笑い飛ばした。


「かか。どの道、琵琶湖の龍穴も奪うのだ。やる事は変わらぬ」


 話がまとまると、途端に宴席の準備が始まった。




「がっはっは! 青よ、信用しないと言いつつ、ちゃっかり頼っでるじゃねえか!」

「だっはっは! やっぱり本音では認めでるんだろ?」


 早速にも酒をがぶ飲みして出来上がった土蜘蛛兄弟が、青に向かって絡む。


「そなたらがこれだけ持ち上げるのだ。ある程度はな。ただ、やはりこの目で実力を見ておきたいのだよ」


 杯を干し、ほうと息をつく青の頬も桜色に染まっている。その様のなんと妖艶な事か。


「まったく頑固な奴だぜ。昔っからよお」

「ええ、本当に。こうと決めたらてこでも動きませんから」

「慎重と言いおれ」


 宴会の準備に混ざっていた白が、ある程度整ったところで宴席に加わり、打猿に酌をした。


「おう、すまねえな」

「それに引き換え、白は素直で良い奴だ」


 順に酌をしてもらい、上機嫌な国麿が白をべた褒めする。


「ほう? 打猿と国麿は、土砂降りの中で寝たいらしいな」

「なあ!?」

「とんでもねえ! 青も頑固だけど、話せば良い奴だあ!」

「くく、冗談よ」


 先程は喧嘩腰になっていたが、付き合いは長いのだろう。やはり土蜘蛛同士の絆は強いと見え、冷たい印象を見せていた青も今や笑顔に代わっていた。


「客人も飲んでいるか? 相当いける口だと聞いているぞ。まずは一献」


 手酌で呑んでいた白星の元へ青がすり寄ると、杯を酒で満たした。


「うむ。熊野の酒もよかったが、ここの物もなかなかよな。琵琶湖の水が良いせいか?」

「かつては、な。今では瘴気に濁って使い物にならぬ。そこも含めて、解決して頂きたい」

「うむ。龍神であれば蛇の眷属のようなもの。なんとかなるであろ」

「なんと心強い言葉。このような安酒しか出せぬのが心苦しいが、存分に味わっていってくれ」

「謙遜するな。十分美味いわい」

「そう言って貰えるとありがたい」


 互いに酌をしあい、白星と青は笑みを交わした。



 その日の宴会は、最後の一人──白星が寝入るまで延々と続いた。



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