七十八 画するもの
「ここに、国を……?」
あまりに途方もない言葉に、星子はぽかんとした表情で聞き返した。
「うむ。これまでこの地は魔境であったが、脅威を取り除いた今、よき漁場となろう。港を作り、村を建てれば、こぞって人が集まるというものよ」
「亀は……一体どう使うの?」
まだ話を飲み込めていない内にも、思わず先を促す星子。
「宿った邪気は、首諸共すでにわしが喰ろうた。頭蓋は龍穴の要とする。そして残るは、何百年を経たあやかしの肉」
白星は一度言葉を切り、にやりと口元を歪めた。
「これを無駄にする手はあるまい。煎じて飲めば、心身増強間違いなしよ。まずはそれを、土蜘蛛八十女に手土産としてくれてやることにする」
現場を見れば、削ぎ落した肉を複数の大きな鍋で煮込み、様々な薬草と混ぜ合わせる作業を、福一の指揮下の薬師達が担っていた。
白星によれば、星子が眠っている間に福一が呼び寄せた、付近に伏せていた須佐の民らしい。普段別々の役割に扮しているだけあって、服装はてんでばらばらだった。
星子が起きたのに気付いた福一がこちらに会釈すると、薬師の一団も揃って一礼して見せ、星子も慌てて返礼する羽目になった。
裏返せば、全員が星子の姿を認識したのだ。即ちこの場には、生き残った須佐の縁者が集っている事になる。
その事実に、星子は思わず胸が熱くなった。
「屈強な土蜘蛛らがさらに力を増せば、帝都の連中も注意を向けるであろう。その間に、わしらは拠点の体裁を整えるという寸法よ」
「そんなにうまくいくのかな……?」
不安げな星子に、白星はにんまりと笑いかける。
「何。おまけ、と言うては異論もあろうが。こやつとの戦で、ここらの海をまとめて茹で上げたからの。海産物の類があり余っておる。冷凍して保存食として民に配れば、さぞ喜ばれよう」
「伊勢は……きちんと統治がされてないんだったね」
「うむ。魔境と果てた海を放棄し、漁ができずに民は飢餓にあえいでおるそうな。まさに支持を得る絶好の機会ぞ。民の信頼さえ勝ち得れば、実質土地を奪うも同然。後はこれまで通り、わしが龍穴と繋いで守りを固めようぞ。さすれば国も、おいそれとは手出しはできぬ。まさに国盗りの第一歩となろう」
白星の講釈を聴きながら、潮が満ちつつある干潟を見れば、土蜘蛛兄弟や須佐の民が合力して、泥の中から巨大な蟹を引き上げたり、岸辺に打ちあがった魚介類をかき集めていた。
白星は戦に巻き込んだ者達の供養も兼ねて、抜け目なく利用するべく算段を付けていたのだ。
それを見た星子は、自分勝手な解釈かも知れぬと思いながらも、あたら散らした命を無駄にせずに済んだと安堵した。
そして一人、自分達の
「ふむ。そろそろ頃合いか」
作業に切りがついたのか、福一と打猿、国麿らがこちらへ向かって来るのを察し、白星が砂浜より腰を上げる。
「白星様。亀肉の下処理はほぼ済みました。後は交代で煮詰めて行けばよいでしょう」
「うむ。手間をかけるの」
「とんでもございません。あのような極上の素材を扱えるなど、薬師冥利に尽きます」
ほくほく顔の福一とは裏腹に、打猿の表情は冴えなかった。
「姉御、こっちはきりがねえや。掘っでも掘っでも出てきやがる。まあ、豊漁と言えば聞こえがいいが、今日明日に回収は無理だぜ」
「あのまま囲まれてたら押し潰されでたかもなあ。想像しだらおっかねえぐらい一杯だぞ」
沢山の表現をしたいのか、国麿が両の前足を天へ向けて大きく広げて見せる。
「聞くところによると、蟹は一度の産卵で、何千、何万個と産むらしいですからね。その一割程度しか育たなくとも、驚異的な数になるでしょう。引き際を見切った白星様のご
福一が
「そ、そんなにいだがもしれねえのか。まともに相手しでたらやばかったなあ」
「ふむ。なれば採れる分だけ採り、残りは凍らせて小出しにするかの」
「ねえ、みんな。何の話?」
一人眠っていた星子が話題に付いて行けずに問うと、白星は干潟一面を埋め尽くす蟹の骸を示した。
「こやつらが一斉に襲い掛かってきよったのよ。想像してみい。なかなかの修羅場ぞ」
言われたとおりに、巨大な化け蟹が群れてくる場面を想像し、星子は蒼白となった。
「……皆さん、お疲れ様でした……」
己一人だけ、何の役にも立たぬ事を恥じ、心よりの労いの言葉を紡ぐ星子。
「かか。構わぬ。ぬしが起きていようが、結果は同じよ」
「もう、そんな言い方しなくてもいいでしょう! 反省してるのに」
「そんなことより、おらあもう腹減ってだめだ。そこら辺ので飯にしようぜ」
言うが早いか、打猿が手近にあった化け蟹の太い脚をへし折り、ぎっしり詰まった白身へとかぶりついた。
「お! 苦労させやがっだ甲斐あっで、なかなかうめえぞ!」
「本当か、兄貴! じゃあおれも……おお、こりゃいいや!」
「茹で加減も絶妙ですね。柔らかく、じゅわりと旨味の汁気をたっぷり含んでいます」
「かか。大黒屋で食うた、小ぶりな沢蟹も悪うなかったが。これには及ばぬな」
「こんなお化け蟹、食べても平気なんだ……」
なし崩しに、全員がその場へ車座になって蟹を貪り始める。
自然、他の須佐の民も集い、酒を持ち寄って一気に宴の様相を呈する浜辺。
久々に多くの須佐の民が集ったとあって、誰が音頭を取るでもなく舞いが始まった。
「ほれ、星子や。戦にて役立たずを恥じるならば、酒の肴に舞いでも供してみせい」
「そりゃあいい! 姉御の戦勝も兼ねで、いっちょ気前よく頼むぜえ!」
「星子の舞いは初めでだな。気になるぞ」
皆の目が星子に集中すると、福一が拍子を取り始め、星子の周囲を遠巻きに回り出した。
それに続々と舞いながら人が並び、星子の逃げ場はなくなった。
「もう、しょうがないなあ」
口ではそう言いつつも、口元をほころばせる星子。
まだこれだけの数の同胞が残っていた喜びと、その皆と舞える幸福を噛み締め、星子は手捌き主体の剣舞を披露して、周囲を大いに沸かせるのだった。
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