六十一 着

 帝都からの増援の兵を迎え、熊野の御山はにわかに慌ただしさに包まれた。


 新たに派遣されたのは八咫衆が一、浅羽の軍にして、全員が天狗で構成された機動力に優れた部隊であった。

 そうでなくば期日に間に合わなかっただろう。


 浅羽兼続と名乗った指揮官は、任命状をもって熊野芦名へ目通りを願い、早速にも熊野大社の例祭についての打ち合わせを行う運びとなった。


 兼続と対面した芦名は、鹿島が兵にも劣らぬ立派な体躯にまず感嘆の声を漏らした。


 天狗を見るのは初めてではないが、飛天車を担ぐ下級の天狗とは一線を画していると直感が告げる。


 少将に任命されてまだ間もないと話に聞いていたが、叩き上げながらの凄みをまとっているようだった。


 武人の風格、とでも言おうか。

 歳も三十半ばと、己とそう変わるまいに、熊野の領主として名ばかりの地位に甘んじている者とは、潜り抜けた修羅場の数が違うのだろう。


 本人の鍛え上げられた肉体も目をみはるものがあるが、とりわけその左腕の強烈な存在感は、白星のまとう妖気にも似た怖気を想起させた。


 敵意を向けられた訳でもなしに、芦名はそれを直視すらできず。


(『鬼の手』とは、よく言ったものだ)


 民の間で話題になっている呼び名を思い出し、さもありなんと首肯せざるを得ない迫力が確かにあった。



 いざ会合が始まり、まずは土蜘蛛襲撃の件を根掘り葉掘り聴取を受けるものかと構えていた芦名だったが、報告書にしたためた内容をざっとさらうのみで終わり、少々拍子抜けであった。


 兼続が言うには、


「香取が大将殿は、大事の前の小事に惑わず、目前の警備に専念せよ、と。賊の掃討はその後でもよかろう、と仰せにござる」


 なるほど、安全な帝都に腰を据えた御大が言いそうな事だと、芦名は納得した。


 本来辺境の地において民を思えば、賊への備えが最優先である。

 事実、鹿島の軍は賊の奇襲によって総崩れとなったのだから。


 しかし例祭は、豊穣と国家安寧を祈願する神事であると同時に、国威を示すための格好の場でもある。


 あれだけの事件の直後でも、例年通り滞りなく儀式を執り行う事で、国力が健在だと周知するのが肝要だと、帝都の重鎮は判断したのだ。


 その方針は、現在の熊野の状況にしてみれば追い風である。

 余計な詮索をされずに済むに越したことはない。


 幸い、例祭までの日数はあとわずか。

 それまで浅羽軍には警備に集中してもらい、白星や土蜘蛛から目を逸らせれば、万事が丸く収まるというもの。


 実直そうな若武者を騙す形となるのはいささか気が引けたが、熊野の存亡がかかった大芝居である。


 芦名は神事の準備にのみ集中する事で、ぼろが出ないよう務めて平静を装った。



 神事の打ち合わせに一段落ついた後、芦名と兼続は連れだって駐屯所跡地へ視察に向かった。


 二人が会合に臨んでいる間、浅羽の兵らは襲撃を受けた駐屯所跡地の現場検証、及び取り壊しを手早く済ませ、そこへ仮設の天幕を張り、日暮れ前には野営所を設置し終えていた。


 浅羽兼続のそつのない指揮と、統率の行き届いた兵に、芦名は再度敬服した。


 血の気が多く、着任早々遊郭へ繰り出すような鹿島の軍とは大違いである。


「見事なものですな、貴殿の兵は。お噂はかねがね聞いており申したが。貴殿の武勇だけでなく、部下の方々もさぞ優秀なのだろうとお見受け致す。この芦名、感服しきりにござる」


 思わず口をついた称賛だったが、それは本心からのものだった。


「いえ。拙者など、まだまだ若輩者にござる。栄誉ある神事の護衛とあっては失敗は許されぬと、緊張し通しな有様。至らぬ点もあるかと存じまするが、どうかご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いつかまつる」

「なんと。おやめ下され。少将殿ともあろう御方が、軽々に頭を下げるものではありませぬ」


 物腰低く馬上で頭を下げた兼続に、芦名は慌てて面を上げるよう促した。


「恥ずかしながら、未だに将の位に着いた事に慣れておらぬのです。これほどにも重責あるものならば、一兵卒として戦場を駆けていた方が、余程向いていると実感しているくらいでして」


 この時ばかりは鋭い目つきも鳴りを潜め、赤面してみせる若き将に、芦名は好感を抱いた。


 貞頼などより、余程信を置くに値する。そう思わせる程に。


「それでは、緊張を解して頂くためにも、今宵は一つ宴席を設けましょうぞ。武勇は轟いておられますが、こちらの方はいかがかな?」


 芦名はくいっと杯をあおる仕種をして、兼続へ挑戦的な笑みを見せた。


「おや。貴殿もいける口ですか。その勝負、受けて立ちましょう」


 兼続もちらりと猛禽類の圧を覗かせ、にやりと笑い返す。



 その夜の宴では秘蔵の純米酒を振る舞い、芦名と兼続の飲み比べは、双方譲らず同時に酔い潰れ、引き分けに終わった。


 勝負は流れたが、芦名の寝顔は充足感に満ちていた。


 二十年来、例祭の度にしたくもない接待を仕切っていた芦名は、この日、初めて帝都からの客を心から歓迎する事が叶った。

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