五十八 光まとうもの
「巫女よ。何を根拠にそう言い切れる」
芦名は己が妹に、かすかな不自然さを覚えて尋ねた。
「私はつい先程まで、その御方──白星様と、夢を通じてお話をしていたのです」
「夢、だと?」
「はい。これまでの宣託と同様のものとお考え下さい。私は白星様に斬られたことで、祭神との繋がりを断たれました。その縁が引き寄せたのでしょう。気を失っている間、白星様の思念と巡り合ったのです」
巫女の顔は至って平静。真面目な声色をもって、さらさらと言葉を紡ぐ。
「夢の中での時間は無限に等しいもの。私は白星様と、多くの言葉を交わしました」
己の巫女としての責務と、窮屈な境遇との板挟み。
祭祀を務める度に圧される不安。
日々すり減って行く神経。
挙句に奉じた神に体を乗っ取られ、これほど苛烈な戦に駆り出されるなど、思ってもみなかったことなど。
どうせ仕えた神はもはやない。
巫女はこれまで溜め込んだ不満の全てを、思い切って吐き出した。
一度
お家がため、民のため。
これまで誰にも、実の兄にさえ相談できずにいた愚痴を、白星は茶飲み話の如く気楽に聞き入れた。
その上で、白星は一笑に付したのだ。それ程嫌なら、投げ出してしまえ、と。
その際、話し手を交代し、白星の来歴を聞かされた。
己以上の、気が遠くなるほど永きに渡り封じられていたという、太古の神霊の身の上は、巫女に大きな感銘と共感をもたらした。
白星は身動きすら取れずにいたが、巫女には自由に動ける器と意思がある。縛を解かれた今、これから己の好きに振る舞えばよいではないか。
それを聞いた巫女は、目から鱗が落ちた気分であった。
今までに、巫女の役目を押し付けこそすれ、やめてしまえなどと言う者は、一人としていなかった。
そして知らず、自分でもそうあれと思い込んでいたのだから。
「祭神を失くしたとは言え、次はそれを喰らった白星様の支配下に置き代わるだけなのでは、と。そう諦めていた私には、晴天の
瞑目し、反芻するように、巫女は胸に手を当てしみじみと語る。
「辛かろうとは思っていたが、それほどに思い詰めていたのか……」
憑き物が落ちたようにさっぱりとした妹の顔を見て、芦名は己の不徳に歯噛みした。
「夢の中の会話は、互いの思念を直接交わすもの。本音でしか語れないのです。白星様のお言葉の中に、嘘はもちろん、邪念の一欠けらも感じなかったことを、巫女の名においてここに誓います」
その場の全員に言い聞かせるよう、凛とした声を張って、巫女が告げる。
「熊野が龍穴は、今や白星様のものとなりました、これは揺るがぬ事実です。しかし、白星様に熊野を侵略する意思はなく、私達にはこれまで通り、いえ、これまで以上の自由を認めて下さいました。もう、旧き神の慣習になど捕らわれずともよい。そう仰って下さったのです」
「うむ。わしはこの通り、すでに器を得ておるからの。無垢な器を常備しておく必要はない。ぬしはこれより自らの足で地を踏み締め、どこぞなりとも好きに歩けばよい。名にしても、好きに名乗り、呼ばわればよい。のう、
「はい!」
現実にて初めて呼ばれた真名に、巫女改め櫛名田は頬を染め、目に涙を溜めて頷いた。
「おお、なんと……なんと喜ばしいことだ……!」
長年妹に不便を強いて来た芦名にしても、それは救われる思いであった。
「よもや、かような日が来るとは……櫛名田よ。本当にそう呼んでよいのだな」
「はい、兄上。ああ、名を呼ばれるだけのことが、これほど嬉しいなんて……」
しばし兄妹は抱き合い、束の間涙を流し合う。
周囲の兵も貰い泣きをしながら、巫女の名を連呼した。
「かか。うつくしきかな。家族の情」
白星は水を差さぬよう、ぼそりと呟き一人笑む。
一しきり喜びを分かち合った後、櫛名田は切り出した。
「兄上。私は今、とても晴れがましい気分です。もう中将殿のお相手もせずに済みますし、色々な事から解放されて……まるで、まだ夢を見ているようです」
「そうだな。思えば、鹿島の戦力は頼りにはなったが、あの横暴ぶりには辟易していた。帝都とは手を切る……考えようによっては、もうあれらに悩まされずに済むということか」
腕を組み、妹の言を受け止めた芦名にしても、大きく頷けるところがあった。
「ですが芦名様。報告上は土蜘蛛は全滅したとしましても、まだ付近に潜んでいるのでは。それらを野放しにできましょうか」
副官はあくまで一歩引き、冷静な見地から意見を述べた。
対して、それまで静観していた白星が口を開く。
「慎重さは美徳よな。されど、心配は無用ぞ。あやつらは身内を取り返しに参じたに過ぎぬ。仇の中将が死に、同胞を解放した今、刺激せねば問題あるまいて」
副官は物怖じもせず反論する。
「負傷者を多く抱え、すぐには動けぬ、という事情は察しております。拙者も、敵でなくば彼らを排斥するつもりはなく。ただ問題は、開催間近に控えた例祭にありまして」
「ほう。詳しゅう聞かせよ」
白星が促すと、副官は一度芦名に視線で許可を取り、続けた。
「は。報告を偽るにしても、代わりの護衛兵は再度送られるでしょう。その際、中将の仇が周辺に潜んでおらぬか、鹿島の面子をかけて大規模な捜索が行われることは必至。仮に近郊で土蜘蛛が見つかりでもすれば、匿っていたと勘繰られても言い訳が出来ませぬ。それこそお家断絶では済まぬ事態となりましょう」
「土蜘蛛については信の置ける者へ託しておる。簡単に見つかることはなかろ。して、ぬしの心配事はそれだけかの」
白星の鋭い指摘に、副官は一度言葉を切り、白星を正面から見据え、意を決して本題へと切り込んだ。
「ずばりお聞き致します。貴殿のお目当ては龍穴との事ですが、それを頼みとして、国に叛乱を仕掛けるのが真意ではござりませぬか」
核心を突いた副官の言葉に、周囲の兵よりどよめきが起こる。
薄々感じていた芦名にしても、いざ言葉にすれば手が震える思いであった。
「ぬしは実に聡いの。うむ。叛意は確かにある。しかし、ぬしらを直接巻き込むつもりはない、と言うて信じるか」
「信に値するものあらば」
問いに対して白星は、土地の気脈と縁を繋いで支配を広め、いずれ国中の地脈を掌握するという遠大な構想を語ってみせた。
龍穴を狙うのもその一環であり、此度はたまたま利害の一致で土蜘蛛と共闘したに過ぎず、本来兵を用立てるつもりはないとも言い切った。
それを聞き副官は、闇夜を煌々と染め上げ、一夜にして山の景色を変えた雷撃の雨を思い起こす。
確かにあれ程の御業を振るうのならば、人の子の兵など邪魔になるだけであろう。
副官は白星に敬服し、出過ぎた真似を謝罪した。
「構わぬ。それよりぬしらに期するのは、龍穴の管理よ。せっかく手にしたものの、枯れては敵わぬでな」
白星は座り込んでいた腰を上げると、朝日を背にして熊野の兵らを見回した。
「されど、特別な事は何もない。龍穴の存在を知るぬしらには、釈迦に説法やも知れぬが。この熊野が龍穴は、御山の霊気と民の活気が混じりあって出ずるもの。これまで同様、ぬしらが健やかに過ごして居れば、それだけでよい」
「は。謹んで、拝命致します」
白星がその気であれば、熊野を落とす事など容易だったのだろう。
それを例え龍穴のためとは言え、敢えて巫女を討たず、人々を活かす路を選択した白星に、芦名は深く感謝した。
「見返りとして。亡き祭神に代わり、加護を授ける程度の義理は果たそうぞ」
白鞘を地に突き、
自然、その場の人々は新たなる神の着任に、次々頭を垂れて行った。
「兄上。私は決めました。私は私の意思で、白星様に信仰を捧げると。それが帝への背信であろうとも」
「うむ……あの方になら、熊野が命運、賭けてよいかも知れぬ」
抱き合ったまま、兄妹は言葉を交わす。
向ける視線の先には、神々しい輝き放つ一人の少女。
今後の課題は山とあるが、今この時の決心さえあれば、容易く乗り越えて行けるのではないか。
そう思わせるだけの威厳が、真白き少女には満ちていた。
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