五十七 説き伏せるもの
朝を迎えても未だ戻らぬ巫女を探しに、熊野の兵が山を降りて来たのであろう。
馬上の兵は、昨夜よりも破壊の進んだ地形にまずどよめき、次いでこちらの姿を見付けるなり、喚声を上げて駆け寄って来るのを、白星は未だ倦怠感の残る四肢を地に投げ出したままで迎えた。
馬上の兵らは二手に別れて下馬し、芦名は巫女の元へ一目散に飛んで行った。
白星の元へは副官が、恐る恐るといった体でにじり寄り、槍を手にした兵らに周囲を固めさせる。
「芦名様。この者の処遇はいかに?」
特に抵抗も反応も示さず寝そべったままの白星を見て、副官は指示を仰ぐも、巫女の意識が無い事で芦名は大いに取り乱していた。
「巫女、巫女よ! 頼む、目を開けてくれ! ああ、一体どうしたというのだ! まさかとは思うが、お前がいなくば熊野の家は……」
あれだけの激闘の後にして、全身大小の傷がつき、左手に至っては激しく破損しているのだ。その心配も分かろうものではあるが。
あまりの騒々しさに、おちおち休憩もできぬと悟った白星は、ゆっくりと起き上がって伸びをした。
それに合わせ、警戒していた兵らが緊張した面持ちで槍を構える。
白星は気にもせず、あくび混じりに声を発した。
「大の男がみっともないの。安心せい。命までは取っておらぬ」
芦名はその言葉に反応すると、とっさに巫女の胸に耳をあて、呼吸と鼓動を確認すると、一気に安堵したように脱力した。
その後芦名は、槍の包囲越しに白星へ相対すると、正面から詰問した。
「お前が巫女と戦ったのか」
「うむ。正確には、その者に宿った神と、ではあるがの。ぬしらが秘神、
改めて、土地の所有者に向けて宣言する白星。
解放された白刃は、憑き物を落とすが如く、斬りたいものだけを斬って落とした。
最後の一合にて、白星は巫女と神との霊的な繋がりのみを断ってみせたのだ。
「……真名まで知れているならば、まことの話なのであろう。ひとまずは、妹を討たずにいてくれたこと、感謝する」
芦名はその場に跪き、深く頭を垂れた。
その後、白星を囲んでいた兵を下げ、居住まいを改め話を続ける。
「龍穴が落ちては、これ以上の戦闘は無意味。そも我等が束になろうと、神喰らいに勝てる道理なし。この通り、降伏致し申す」
再度芦名が地に両手をつくと、それに倣い、周囲の兵も一斉に跪いた。
「つきましては、我が首を差し上げまする。それにて勘弁して頂けませぬか。妹は神に
言うだけ言って土下座の姿勢を固める芦名に、周囲の兵が自分達も供をする、などと言い始め、にわかに場が混乱を始めた。
兵に慕われる良き領主だと知れた上で、白星はふう、と一息吐いた。
「ぬしの首なぞもろうても、ものの役にも立たぬ」
すっぱりと言い切る白星へ、芦名が地に擦りつけていた面をがばりと上げた。
「考えてもみよ。帝肝入りの鹿島が軍は壊滅し、中将も討ち死に。その上、熊野秘奥の祭神まで暴かれた。それをそのまま上へ報告したとて、ぬしの首一つで済むものかの」
もっともな現実を突き付けられ、芦名はわなわなと震え出した。
「……恐らく熊野が家は取り潰し。よくして淡路辺りへ流されるか。悪しければ、一族郎党処刑も有り得る……御山も聖域の価値を失くし、帝都から見限られるか……そうなれば、町も自然と廃れてゆく……」
己が失態を指折り数え、芦名は顔面蒼白となって額に手をやった。
「そこで、ものは相談よ。幸い、鹿島が軍は全滅にして、此度の戦の証人は、わしらをおいて他になし。なれば、適当な報告をでっちあげ、知らぬ顔をすればよい」
「な、なんと!?」
「例えば、そうさな。鹿島が土蜘蛛の奇襲を受け、ぬしらが駆け付けた頃には勝敗は決しておった。中将は気力を絞って天雷を落とし、土蜘蛛どもを道連れに、見事な最期を遂げた、とな」
「確かに、天雷が発動したのは確認しています。町からでも激しい戦いがあったことは見えていたはず。一応の筋は通る、か……?」
熟考を始める芦名に代わり、副官が鋭い問いを発する。
「確か貴殿は土蜘蛛と申された。龍穴を制したならば、この地を支配するのが目的かと拙者は愚考しまするが、いかに」
それに対し、白星は不安を取り除くように笑い飛ばした。
「かか。さにあらず。わしはあくまで龍穴のみが目当て。それ以外は知ったことではない。逃げた土蜘蛛達とてそうよ。あやつらは売られた喧嘩を買ったのみ。手出しせねば無害なものよ。勝敗決した今、ぬしらは今まで通りの暮らしに戻るがよい。それが龍穴の維持に繋がるでな」
「しかし……それこそ帝への反逆に……」
渋る芦名の背後より、不意に歓声が沸き起こる。
見れば意識の戻った巫女が、半身を起こしてこちらを向いていた。
「おお、巫女よ! 目を覚ましたか!」
「はい、兄上。ご心配をおかけしました。僭越ながら、先ほどからお話だけは耳に入っておりましたが、その方のお言葉に嘘はございません」
苦痛に身を苛まれつつも、巫女はきっぱりとした断言した。
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