二十七 誘いこむもの

 かたん、と軽快な音を立て、階段であった場所がたちまち床へと早変わり。


 その途端、外部との繋がりが絶たれ、完全に閉じ込められたものと白星は悟る。


「かか。まるでからくり屋敷よの。見ていて飽きぬ」


 細めた白星の目には、広間全体に張り巡らされた緻密な結界が透けて見えていた。


「仕事柄、密談が多いものでして。ここならば外部に漏れる事はありません。存分にお話を伺えます」


 口調は変わらぬままに、男の存在感が見る間に膨張するのが感じられる。


 それは暗に、意に沿わねば多少の荒事も辞さぬという意思表示とも取れた。


「よくぞそれほどの気を押さえ込んでいたものよ。とんだ狸よの」

「誉め言葉ですな。商人はそうあらねば務まりませんので」


 白星は愉快そうに笑い、男も穏やかなままに返す。



 まんまと袋小路へ誘い込まれる形となった。


 出入り口は塞いだばかりのその足元のみ。


 明かり取りの窓枠こそいくつかあるが、人の身が通る隙間には程遠い。



 それ以前に白星は、この男が逃走の隙を与えるとは思わなかった。


 丸腰であるが、まるで油断を抱く理由にならない。


 何故なら、階段で身を引き上げてもらった際に触れた手の平は、分厚く、固かった。

 即ち、長き修練を経た者のみが持ち得る、武士の手であったのだ。


 大柄であるのも見せかけではなく、商人の仮面を外した今や、一回りも二回りも厚みを増したように感じられた。


 さりげない風を装った姿勢は見事に軸が通っており、徒手でも即座に相手を組み敷く体術を修めているものだろうと、容易に想像が付く。


 しかし、その気であればすでにそうしていただろう、と白星は推測する。


 男は武士然とした覇気を放ちはしたが、そこに殺気は微塵も感じられなかったのだ。


 いざとなればすぐに動ける間合いであるには違いない。

 しかし、ひとまず対話が目的であるのは事実であるらしい。


「さて、立ち話もなんですので。どうぞこちらへ」


 そう白星を促して、あっさりと移動を始める。

 一階で廊下をきしませたのが嘘のように、音一つない見事な足運び。



 相手の力量、狙いが知れるまで、言の葉交わすは白星としても望むところ。


 大人しく後へ続き、広間の片隅に設けられた、休憩場と見える囲炉裏が据えられた座敷へ上がる。


 男は白星へ分厚いふかふかとした座布団を勧め、自分は囲炉裏の火をおこし始めた。


「この広間へ入って、一目で結界の存在に気付かれましたな。さぞ陰陽道に通じた方とお見受けしましたが」


 炭がくすぶり始めると、湯を沸かすため囲炉裏の上に鉄瓶を吊るす。


「何をおいてもお聞きしたいのは、先の舞い。あれは、どこで習いなさった」


 火箸で灰を混ぜる手を止め、男の黒い瞳が白星をひたと見据えた。

 わずかな嘘も見逃さぬと言わんばかりに、瞬きもせず真っ直ぐと。



 男の問いと表情を見て、白星はふと閃くものがあった。

 その上で、敢えて質問に質問を返す。


「舞いにこだわる理由を聞かせよ。それ如何いかんで、わしらは敵か味方か定まろう」


 白星も挑戦的な視線を正面からぶつけ、男の返答を待った。


 瞬時、すうっと男の顔から全ての感情が失せていき、その圧が強まる。


 しかし鋼の理性で抑え付けたようで、男はぽつりと告げた。


「……かの舞いの歩法は、我が故郷にのみ伝わるもの。余人が扱えるものにあらず」

「かか。やはり須佐の縁者か」


 納得なったと白星が破顔すると、男の目がくわりと刮目される。


「おのれ、まさか……!」

「待ちおれ。見せた方が早かろう」


 白星は勢い込む男を制しながら、白鞘で床を打ち隠行を解いた。


 たちまち溢れる冷厳な妖気と共に、白き容貌が露になると、男は今度こそ叫んでいた。


「その刀は! ……いや、この際それはよい!」


 囲炉裏をぐるりと避けて白星まで詰め寄ると、少女の細い両肩を熊のような手でがしりと掴む。


「お前、星子か! 星子であろう! 生きておったのか!」


 至近距離で大声を出され、白星はかすかに眉をしかめた。


「少し……いや、大分雰囲気は変わったが……間違いない! 若き日の雪子せつこの面影がしかとある。よくぞ、よくぞ生きていてくれた……!」


 少女の顔をじろじろと見回したと思うと、途端にしがみついておいおいと号泣を始める。

 突如大男の胸に抱き締められ、頭の上で子供のように泣きじゃくられて、流石の白星も反応に数秒を要した。


「本来ならば。感動の対面なのであろうが、の」


 先までの緊張感はどこへやら。

 まるで隙だらけとなった男の腕の内より、白星は苦笑と共にするりと抜け出し、勢いで前へつんのめった巨体の足をぱしんと払う。


 どすん、と豪快な音を立てて、見事に床へ大の字となった男は、引っくり返ったまま唖然と少女を見上げるばかり。


「いくら縁者とは言え、女人に突然抱き着くは、褒められたものではあるまいぞ」


 ふわりとした微笑みに魅入られてか、一瞬ぽかんと間抜け顔を晒す男。


「……あ、ああ。すまなかった」


 あまりの事に思わず地が出たのか、男からすっかり敬語は抜け落ちていた。


「改めて問おうぞ。ぬしは星子の血縁か」

「ずいぶん他人行儀な言い様だな。いや、最後に会ったは、まだ幼い時分か。忘れられても文句は言えんな」


 男は起き上がりあぐらををかくと、白星へ向き直り、


「おれは須佐が里長の弟。つまりはお前の叔父だ。また生きて会えて嬉しいぞ」


 屈託なく、にかっと笑いかけて見せた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る