二十六 舞い踊るもの

 少女が投じた波紋は、一瞬にして場の空気を支配した。


 手にした杖で地を鳴らす。


 ただそれだけの所作で、周囲のざわめきが消えてゆく。


 一帯へ張り詰めた糸が巡らされたように。

 瞬き一つ許されぬかと思われる静けさが、しだれ桜の下へ訪れた。


 ゆるりとした動作で白鞘が持ち上げられ、再びすとんと落とされる。



 実際には、そう大した音量ではなかっただろう。


 しかし、居合わせた人々は一様に、雷鳴でも聞いたかの如く、顔をぴりりと強張らせた。


 それが無意識の畏敬から来る硬直だと、理解できた者が果たしているかどうか。



 雑音消えたをよしとして、少女はつつと足を踏み出す。


 観衆の目は、すでにその一挙手一投足へ釘付けとなっていた。



 ひらひらと花弁が降る中を、静かに、かと思えば大胆に、緩急つけて舞い始める。


 袖を振るえば桜花が取り巻き、きびすを返せば後を追う。


 地を打ち拍子を刻めば、鼓動に跳ねるよう、落ちた花びら舞い上がり。


 つま先軸に回転しては、振った白鞘が花吹雪を巻き起こす。


 もはや花弁を意のままにしているとしか思えぬ。

 桜の精がうつつに形を成したかのような、雅にして神秘なる所業。


 楚々そそとしながら艶ある身捌きも、それらに拍車をかけるよう冴え渡る。



 まさに人花一体。



 小さき白拍子と桜花の華麗な共演に、見物客からは知れず、ほうとした溜め息が漏れていた。



 少女が締めにふわりと諸手を広げ、膝折り袖を地に伏すと、花びらは逆に上空へと飛び散った。



 しばしの静寂を挟んだ後。


 幕を閉じるように、一帯へはらはらと降り注ぐ紅の雨。



 そこでようやく緊張解かれ、熱狂した観衆から大喝采が沸き起こった。


「すごいじゃない。ここまでとは思わなかったわ」


 眼福を得たとばかり、ほくほく顔で感想を言い合い、流れで茶店に立ち寄る客も多々。


 仕向けた娘も願ったりと、顔を綻ばせている。


「ええ。まことによき舞いでした」


 ふと、ばらけてゆく人波に逆らって、拍手をしながら歩み寄る者がいた。


 大柄だが、柔和な雰囲気まとう、身なりの良い中年の男。


「これは、大旦那様。いらっしゃってたんですか」

「今日はこちらが吉兆ありと占いに出たのでね。その甲斐あって、よいものを拝めたよ。それで、夏。どういった経緯でこの催しに?」


 夏と呼ばれた娘は多少ばつが悪そうにするも、顛末を正直に語ってみせた。


「なるほど。先程の演目ならば、十分にお代は帳消し。いや、むしろ頂きすぎですな」


 顎髭に手をやりつつ聞いていた男は頷くと、立ち上がった白星へ視線を移す。


「申し遅れました。私はここらで商いをしている、大黒屋という者です。この店も私が営んでおりまして。どうでしょう。よろしければ、奥で休んでいかれませんか。相応のおもてなしをさせて頂きます」

「ほう。ずいぶんと太っ腹よの」

「私はこれで、芸事に目が無いものでして。先程の見事な舞いについて、是非お話を聞きたく存じます。それと僭越ながら、持ち合わせもなくお一人でいなさる理由も。もしお困りならば、何かお力になれるかも知れません」


 持てる者の余裕か。

 はたまた商人の流儀か。


 相手が年少の者でも丁寧な物腰を崩さず、終始にこにことしている。


 白星の尊大な口調にも、さして気にした風もないのは、巫女や舞い手は浮き世ずれしている事が多いのを心得ているのだろう。



 白星から見ても、そこに悪意や慢心といった陰気の流れは感じられなかった。


「大旦那様はとても世話焼きで、この辺ではすごく顔が利くの。お近付きになっておいて損はないわよ」


 娘が太鼓判を押すように耳打ちする。


 男の申し出は、白星にも都合のよいものであった。

 土地勘ある有力者との交流は、大きな利となろう。


「そこまで言うなれば、一つ招きにあずかるかの」

「応じて頂けますか。ありがとうございます」


 白鞘を担いで首肯した白星を笑顔で先導し、茶屋の暖簾を潜ってゆく大黒屋。


「いらっしゃ、あっと。大旦那様でしたか。お疲れ様でございます」


 わいわいと賑わう店内にいた、夏に似た年格好の娘が、男を見るなり慇懃に一礼する。


「うん。ご苦労だね、秋。上を使うから、誰も通さないでおくれ」

「はい。ごゆっくりどうぞ」


 よくある事なのか、秋と呼ばれた娘は淀みなく返事をし、主の客と見た白星へも屈託ない笑顔を向けてから仕事へ戻っていった。


「さ、後は私がお相手するから、夏も戻りなさい。いっぺんにお客様が入ったし、秋一人では大変そうだ」

「はーい。それじゃあね」


 夏は一瞬残念そうに顔をしかめるが、己の立場は弁えているようで、白星へ軽く手を振り離れていった。


 そのやり取りだけで、奉公人の教育が行き届き、かつ高い信頼を得ているものと伺える。


「素直なものよな」

「ええ。自慢の看板娘達ですよ」


 大黒屋は嬉しそうに笑むと、店内を横切っていく。


 その間にも、顔馴染みと見える客から幾度となく挨拶が飛び、顔の広さと人柄が示された。



 店は表から見るよりも意外と奥行きがあり、入り口付近は小上がりに畳を敷いた簡易な座敷。

 奥へ行くと屏風で仕切った個室、といった具合に席分けがなされていた。


 通路の最奥まで来ると、正面に上がりかまち。そこから直角に折れ曲がった廊下が右手に伸び、左手には玄関という配置。


 下足番げそくばんらしき小僧が控えており、用意された桶の水で足を洗ってもらう。


「ずいぶん凝った作りの店よの」

「この辺りは交通の要所にありまして、奥は宿を兼ねているのです。昨今は物騒になっておりますので、利用される事もめっきり減ってしまいましたが」


 わずかに顔を曇らせながら、上がった廊下をきしませ進む。


 ほどなくして、二階への階段が姿を現した。


「少し急なので、ご注意を」


 先に登った大黒屋が、上から手を差し出してくれる。


 白星は遠慮せずに手を借り、引き上げて貰うと、一気に視界が広がった。


 二階部分は、全く仕切りがない大広間となっていたのだ。


 床は全面磨き抜かれた板張りで、宴会場、というよりは、道場のように見えた。


 実際、壁には何本もの木刀や槍など、様々な武器がかけられている。


 何より、最初に嗅ぎ取った空気が、一階とは別物だった。


 あれだけ賑やかだった階下の音は一切聞こえない。

 汗と熱気が仄かに残る、きんと張り詰めた静寂。


 白星がそれらを見回している間に、男は階段の留め具を外し、折り畳んで昇降口を閉じていた。

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