七 迎えるもの
かんかんと、彼方より無遠慮に打ち寄せる音のさざ波に、不動であった森の
それに驚き、にわかに沸き立つ外の鳥や獣達同様に、星子は素早く身を起こしていた。
父は未だ戻らず、小屋の中で待つ内にうとうとしていた意識がたちまち覚醒していく。
(里の鐘だ)
聞き間違えではなく、耳を澄ませば、かすかながらも高く通る音は途切れず響いている。
それが火事や人死にを報せるための鐘の音だと思い至り、星子は鍛練用の木刀を掴み小屋を飛び出した。
薄闇の中、泉から吹き流れる冷気を押し退け、脇目も振らずに要石の脇を駆け抜ける。
森で暮らすようになってこれまで、外界の音が届いた事など一度たりともない。
この異常が、父が戻らぬ事と無関係とは到底思えなかった。
いてもたってもおれず、里までの最短経路を思い浮かべ、灯りもなしに獣道へ飛び込もうとした矢先。
行く手より、凄まじい豪音と共に、爆炎の渦が森を仰いだ天高くまでそびえる様が、星子の視線を釘付けにした。
衝撃そのものは深い森の木々が遮り、余波すら感じない。
しかし、地獄の業火もかくやといった猛々しき
続いて多数の爆発に加え、大勢の人々の悲鳴、怒号、罵声、諸々の混じりあった狂騒が風に乗り、星子の身へさらなる鎖となって絡み付いてゆく。
初秋の涼やかな夜気に反し、かっとした熱で全身が
しかし心は裏腹に、氷水を浴びせられたような、激しい怖気に蝕ばまれていた。
向かおうとする先の惨状たるや、まるで想像がつかぬ。
今しがた、勇んで分け入ろうとした暗闇は、最早星子にとって名もわからぬ巨大な怪物の
我知らず、地べたへ尻餅をつき、木刀を抱えてかたかたと身震いするのみとなった七つの少女を、一体誰が責められようか。
星子の緊縛は、森に静寂が戻るまで解ける事はなかった。
永遠とも思えるような時間。
星子は姿勢を変えず、瞬きも忘れ、虚空へゆらゆらと視線を泳がせていた。
ふと。
遠方で、がさりと藪を割る音が聞こえた気がした。
星子は無意識のままに、音の出どころを探る。
耳へ全神経を、これまでの人生で最もと言ってよい程に注ぎ込んで。
ぽきり。
ばさり。
聞こえる。
確かに。
近づいている。こちらへ。
その事実は星子に希望を抱かせた。
神域へと至る道筋を知るのは、巫女たる自身と、長たる父のみ。
であれば、向かってきているのは父以外に有り得ない。
「父上!」
星子は無我夢中で呼んでいた。
かつて、これ程までに必死で父の姿を求めた事があったろうか。
ほんの昔、里の男子に馬鹿にされぬよう、負けん気のみで登り詰めてみせた大木の頂で。
降りる事を考慮に入れずに、べそをかいていた日暮れ。
あの時はそうであったかも知れぬ。
帰りの遅い我が子を迎えに現れた、笑みの一つもない、しかして見慣れたしかめ面。
あの父の厳格な顔が、今はただ、無性に恋しい。
「父上!」
がさり。
星子の心からの呼ばわりに、離れた藪を跨いで暗がりに現れたのは、果たして父であった。
星子は落ちる涙を隠しもせず、一心不乱に父の元へ向かう。
しかし
それでも、肌や着物の生地が痛むのも
父は常通りの表情で、無言のままに娘を迎えた。
右手に持った、刀の一閃をもって。
「父、上?」
星子の身が、斜めに
直前に、木の根につまずいた弾みで体勢を崩し、刃は浅く右肩をかすめるだけに終わった。
しかし、星子は魂そのものを真っ二つにされたような心地であった。
父の、行動の意味がわからぬ。
理解が、及ばぬ。
星子の思考が硬直している間にも、父は刀を振りかぶっていた。
熱した鉄を押し付けられれば、このようになるのだろうか。
星子は、焼けるような痛みと共に、己の鎖骨が砕ける音を聞いた。
酷くゆっくりと感じられる時の中で、あろうことか、父が自分に刃を埋め込む瞬間を確かに目にした。
赤い飛沫が舞い、水滴の一つ一つが鮮明に数えられる程に、長く長く時が引き伸ばされてゆく。
拡大された視野の内に、父の左手の先が新たな情報として映り込む。
そこには、見知ったものが。
久しく顔を合わせていなかった、母、妹、弟、その下の弟。
それらの首から上のみが、父の左手に黒髪を束ねて握られ、生気のない肌を晒している。
息を呑み、瞳孔を散らす星子に、わずかながら揺れる父の口元が見えた。
────よ
それを認めた刹那。
星子は正面から強い衝撃を受け、その場より弾き飛ばされていた。
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